ステアリングホイール――丸くなった、自由になった<1959年>

よくわかる自動車歴史館 第92話

ティラーで操った初期の自動車

2005年に公開された映画『ALWAYS三丁目の夕日』には、ダイハツ・ミゼットが登場する。都電や建設中の東京タワーなどとともに、当時の町の情景を象徴するアイテムとして使われているのだ。ただ、時代考証的には少し疑問が残る。映画は1958年の東京が舞台になっているが、ミゼットが1959年型なのだ。1957年に発売された初代モデルのDK型は、オートバイのようなバーハンドルを採用していた。映画に使われているのは1959年にフルモデルチェンジされたMP型で、丸いハンドルが装着されている。

1959年に登場した2代目ダイハツ・ミゼット。ミゼットでは、この代からステアリングホイールが使われるようになった。

戦後の日本で物資の輸送に活躍した軽三輪商用車は、バーハンドルを持つものが多かった。ダイハツは戦前から三輪トラックを製造していて、これはエンジンの上にあるサドルにまたがり、バーハンドルを握って運転する方式だった。後輪をふたつにして荷台を付けたオートバイと言ってもいいような仕立てである。軽三輪商用車はオートバイから上級移行してきたユーザーが多く、乗り換えても違和感のないバーハンドルが採用されたのだ。

ダイハツは戦前から三輪トラックの製造を行っていた。写真は1931年に製造されたHD型。

二輪車の場合、操舵(そうだ)機構は非常にシンプルで、前輪とサスペンション、ハンドルが一体となっている単純な機構がほとんどだ。前が1輪の三輪車なら、同様に複雑な構造を必要としない。それもあって、ガソリン自動車が誕生した直後には3輪のモデルも存在していた。ただ、こうした三輪車は安定性の面で不安があり、早々に四輪自動車が主流になっていった。

この頃の自動車には、ステアリングホイールがない。ティラーと呼ばれるレバー状の器具で操舵していたのである。シャフトに付けられた取っ手をつかんで回す仕組みで、片手で操作できる。軽量でスピードも出なかった時代には、これでも対応することができたのだ。しかし、エンジンの開発が進んで出力が高まり、装備が豪華になって重量が増してくると、この方法では無理がある。両手でしっかりと保持して微妙な角度調整を行うには、ホイール形状のほうが適していた。

1889年のパリ万博に出品された、ダイムラーのシュトゥルラートヴァーゲン。この頃の運転席の前に、前輪を操るティラーが備えられている。

1894年に行われたパリ-ルーアン・トライアルにおいて、参加したエミール・エ・ルヴァソールの1台にステアリングホイールが装着されていたという。これがステアリングホイールの最も早い採用例のひとつとされる。20世紀に入る頃には、次第に多くのモデルにこの機構が取り入れられるようになっていった。

ギアを使った精密なステアリング機構が普及

四輪車の操舵では、三輪車では生じなかった新たな問題を解決しなければならない。旋回時に通る軌跡は、内輪と外輪では異なるからだ。内輪のほうが旋回半径が小さいので、スムーズにコーナリングするには外輪よりも大きな舵角を与える必要がある。この問題はすでに19世紀初期には認識されていて、ルドルフ・アッカーマンによって理論化されていた。すべての車輪が共通の中心点を持つようにする方法が、アッカーマン配置と呼ばれる。

​​想定される円の中心点は後輪の車軸の延長線上にあり、その点から伸ばした線が内側の前輪と外側の前輪の回転中心に直交する。切れ角の差は、ホイールベースとトレッドの数値から計算することができる。この原理をもとにした操舵機構が、アッカーマンステアリングである。1901年のパナール・エ・ルヴァソールB2は、すでにこの方式を採用していた。

カール・ベンツは1892年にダブルピボット式の操舵装置を開発し、翌年に特許を取得している。アッカーマン配置を知らなかったベンツは、この理論を独学で発見したという。

当初はティラーやステアリングホイールから車軸をダイレクトに動かしていたが、エンジンが大型化し、車重が重くなると、負荷が大きくなってくる。操舵に大きな力が必要となるため、軽減するための機構が取り入れられた。T型フォードのステアリングホイール内部には、プラネタリーギアが備えられていた。減速機構によって操舵力を高めるわけだ。

工場に並ぶ製作中のT型フォード。軽い力での操舵を可能にするプラネタリーギアは、ステアリングシャフトの上部、ステアリングホイールの付け根に設けられていた。

自動車の高性能化が進展すると、ステアリング機構の精密性が重要になってくる。高速走行では、わずかな角度の差が大きな進路の違いになって表れるからだ。正確な操舵を実現するために、ウォームギア(ネジ型歯車)とセクターギア(扇型歯車)を組み合わせる方法が考案された。ステアリングシャフト先端のウォームギアが回転するとセクターギアを前後に動かし、リンクを介してアームに力が伝わる。

スムーズさを向上させるために改良されたのが、リサーキュレーティングボール式ステアリングだ。ウォームギアの代わりにボールねじを使うもので、バックラッシュを抑えて耐摩耗性も向上させることができる。この方式は、長い間自動車のステアリング機構の標準とされてきた。

ラック&ピニオンとパワーステアリングが標準に

1970年代から、ラック&ピニオン式ステアリングを採用するモデルが急増した。ピニオンギア(小歯車:多くの場合斜めに歯が切られている)とラックバー(一部に歯が切られた棒状の部品)を組み合わせたシンプルな構造である。ステアリングシャフト先端のピニオンギアでラックバーを左右に動かし、アームに力を伝達する。ダイレクト感を得やすい方式とされ、スポーティーなモデルから採用例が増えていった。​

2014年式メルセデス・ベンツSクラスクーペのラック&ピニオン式ステアリングシステム。

現在ではほとんどの乗用車にラック&ピニオン式ステアリングが採用されている。正確な操舵を可能にすることに加え、部品点数が少なくてすむためコストが安いというメリットがある。道路事情の改善も、普及を後押しした。ダイレクト感が強いということは、悪路ではキックバックが大きいことを意味する。舗装路が増えることでラック&ピニオンの弱点が解消され、利点が目立つようになっていったのだ。

自動車の大型化とFF方式の一般化で、前輪荷重はさらに増大した。ギアによる減速だけでは十分な操舵力を得ることが難しくなる。ドライバーを補助する目的で開発されたのが、パワーステアリングである。エンジンの出力を利用してポンプを作動させ、油圧でアシストする。第2次大戦前から研究は進んでおり、1950年代に大型化が進んだアメリカ車から装着が広がっていった。

油圧式パワーステアリングはほとんどの乗用車に採用されるようになったが、問題点も浮上した。油圧を保つために常にポンプを作動させているため、出力の一部を消費し続けることになる。これが燃費悪化の要因になってしまうのだ。そこで現れたのが、油圧の代わりにモーターで補助を行う電動パワーステアリング(EPS)である。1988年に、軽自動車用として日本で開発された。初期のシステムでは操舵感にスムーズさを欠いたが、改良されて自然なフィールを得られるようになり、現在では大排気量車でもEPSが使われるようになっている。

世界初の電動パワーステアリングは日本の光洋精工(現ジェイテクト)が開発したもの。1988年に登場した3代目スズキ・セルボに搭載された。

ステアリングホイールは、円形のリムとスポークで構成されたシンプルな形状である。付属するのはホーンボタンぐらいというのが普通だったが、次第に取り付けられるスイッチ類が増えていった。ほとんどスイッチパネル化しているF1マシンほどではないが、乗用車でもメーター表示切り替えやオーディオ操作、ハンズフリー電話などのスイッチがステアリングホイールに付けられていることが多い。変速のためのパドルが装備されることも増えている。エアバッグも内蔵されており、ステアリングホイールは今や操舵を担うだけの装置ではなくなっている。

日産スカイラインは2014年に世界初のステアバイワイヤを採用した。ステアリングホイールの動きを物理的に前輪に伝えるのではなく、センサーが入力量を読み取り、モーターでタイヤに切れ角を与える仕組みだ。電気信号に置き換えることで制御の自由度が増し、シャフトが不要になればエンジンルーム内のレイアウトも無理なく行えるようになる。これから採用が広まっていくことが予想される技術だ。

量産車として世界で初めてステアバイワイヤを採用した13代目日産スカイライン。

入力装置という位置づけになれば、ホイール状である必然性は弱まる。実際、コンセプトカーではさまざまな代替装置が試されてきた。2009年の東京モーターショーでは、トヨタが2本のジョイスティックでステア・アクセル・ブレーキのすべてを制御するFT-EV IIを披露した。2011年には、ホンダがツインレバー・ステアリングを装備した3台のコンセプトカー、AC-X、EV-STER、マイクロ コミューター コンセプトを出展している。

2011年の東京モーターショーに出品された、コンセプトカーのホンダAC-X。2本のレバーで操舵を行う、ツインレバー・ステアリングを採用していた。

それでも、今のところステアリングホイールに取って代わる操舵装置は現れていない。回転運動を用いるステアリングホイールは、ティラーやバーハンドルよりもはるかに自由な操舵感をもたらす装置なのである。

関連トピックス

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軽三輪商用車のバーハンドル

戦後の日本では、焼け跡の中で二輪車の製造が始まった。航空機会社の技術者たちがスクーターを開発し、ホンダなどが自転車に補助エンジンを取り付けた乗り物を製作した。

小型トラックは高価だったので、町の商店では二輪車にリヤカーやサイドカーを取り付けて荷物運搬に使っていた。メーカーでも最初から荷台を取り付けたモデルを製造するようになり、戦後型の軽三輪商用車が生まれたのである。

1953年のホープ​スターON、1954年のツウテン65Kと、まずはオートバイに荷台を付けただけのモデルが登場した。操舵機構はそのまま使われたので、いずれも当然バーハンドルである。

キャビンを持つ三輪車が作られるようになっても、バーハンドルと丸ハンドルが混在していた。スズライトなどの四輪軽乗用車も登場して丸ハンドルがスタンダードになり、1960年代に入るとバーハンドルは次第に姿を消していった。

1957年に登場したダイハツの初代ミゼットも、バー​ハンドルを採用していた。

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電動パワーステアリング

モーターを使って操舵をアシストするシステムには、いくつかの種類がある。最も多いのがコラムアシスト式で、ステアリングコラム部にモーターを配置するタイプである。

エンジンルーム内にモーターを置くピニオンアシスト式は、高出力化しやすく騒音が少ない。アシスト部を独立させたデュアルピニオンアシスト式は、強度が必要な大型車にも対応できる。

油圧式パワーステアリングの機構を用いながら、ポンプを電動化したシステムも開発された。エンジンの出力で動かしていたポンプを、モーター駆動に替えたものだ。燃費に悪影響を与えず、油圧ならではのナチュラルなフィールを得ることができる。

2004年式メルセデス・ベンツAクラスに用いられた、電動パワーステアリングのアシストモーター。

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ステアバイワイヤ

ステアバイワイヤシステムは物理的な制約から解放されるため、ハンドリングの特性を自由に設定できる。日産スカイラインのシステムでは、ステアリングの手応えが「しっかり」「標準」「軽い」、反応が「クイック」「標準」「おだやか」の3種類から選べる。

入力が電気信号化されるので自動運転技術との親和性が高く、スカイラインでは、ステアバイワイヤがレーンキーピングシステムと組み合わされている。

電子スロットルによるドライブバイワイヤの導入は進んできたが、ブレーキやステアリングではまだハードルが高い。万一不具合が起きた時、致命的な結果を招く可能性があるからだ。

スカイラインのステアバイワイヤでも、バックアップとしてステアリングシャフトは残されている。通常は切り離されているが、システムが不調になるとクラッチをつなげて物理的に操作できる仕組みとなっているのだ。

日産スカイラインに採用されるステアバイワイヤシステム。システムに不具合が生じた場合に備え、ステアリングシャフトは残されている。

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