忘れられたスーパーカー/チゼタV16T(前編)

フェラーリF40やポルシェ959のデビューに端を発した、1980年代後半に巻き起こった世界的なスーパーカーブーム。──日本ではそれを1970年代に続く第2次スーパーカーブームと呼ぶが──そのさなか、クルマ好きで知られるイタリアの著名作曲家ジョルジオ・モロダーと、アメリカでランボルギーニ・ディーラーを営んでいたクラウディオ・ザンポッリのふたりが生み出した希代のミドシップスーパーカーがチゼタV16Tである。

チゼタV16T

作曲家として成功を収めていたジョルジオ・モロダーは、社交界におけるその豊富なコネクションや自らの資産を背景に、主に資金面を担当。一方のクラウディオ・ザンポッリは、イタリアでレーシングカーのメカニックやテストドライバーとして長い間自動車ビジネスに従事していた人物。後にアメリカに渡り、ランボルギーニのバックアップを受け正規ディーラーを開設、その成功を足がかりに、長年の夢だった自身の名を冠したスーパーカーを造り出した。

実はその車名は、当初チゼタ・モロダーV16Tといった。チゼタとは、クラウディオ・ザンポッリのイニシャルであるCとZをイタリア語で発音した際の音。つまりプロジェクトの創始者2名の名前を取り、車名はチゼタ・モロダーV16Tとされたのだ。

チゼタのエンブレム。「チゼタ(CIZETA)」とは、創業者クラウディオ・ザンポッリのイニシャルから取られた名前だった。

しかし、1988年にカリフォルニア州ビバリーヒルズのセンチュリー・プラザでチゼタ・モロダーV16Tを発表、それに続く翌1989年のジュネーブショーでワールドプレミアしたものの、スーパーカーの世界ではよくあることだが、最終開発の遅れからプロダクションモデルの製造が遅れに遅れ、デリバリーは予定通りにはいかなかった。

発表後に舞い込んだオーダーは、新規立ち上げのスーパーカービジネスとしては成功といえる数だったというが、クルマを納車しないことには売り上げにつながらない。そしてこちらもよくある話だが、単なるクルマ好きのビジネスパートナーであるジョルジオ・モロダーが、このプロジェクトから降りてしまうのにはさほど時間はかからなかった。

資金面を担当するビジネスパートナー、ジョルジオ・モロダーが撤退後も、ザンポッリはモデナに残り粛々と開発を進めていった。モデナで長くスーパーカービジネスに携わった経験を持つザンポッリに力を貸したのは、ランボルギーニ出身のエンジニアによってモデナに設立されたテクノスティーレ社だった。

ザンポッリは、自らが生み出すスーパーカーには、今までにない斬新なキャラクターが必要だと考えていた。後発のスーパーカーメーカーとして、既存のスーパーカーにはないインパクトを模索していたのだ。ライバルたちを圧倒する斬新なメカニズムやデザインが必要だ。そこでたどり着いたのが16気筒というエンジンである。

チゼタV16Tに搭載されるV型16気筒エンジン。

テクノスティーレ社はザンポッリからの依頼を受けて、V型16気筒DOHCエンジンの開発をスタート。チゼタの車名にあるV16Tという数字は、今更あらためていうまでもなくこのエンジン(=V16)の採用とその横置き(トランスバース)を示すTから成るものだ。ベースになったのは、ランボルギーニ・ウラッコの最終モデル、P300用のV型8気筒エンジン。86.0×64.5mmのボア×ストローク値や、バンク角が90度であることなどから、このV型8気筒DOHCエンジンを2基接合したものと判断することができる。

トランスミッションはレーシングパターンを持つ5段MTで、横置きのエンジンに対してリアに伸びる縦置き配置。このパワーユニットがもたらすT字の配置もまた車名のTを示唆するものだといわれている。

ウエッジシェイプのボディーは、カウンタックやディアブロのデザインで知られる、かのマルチェロ・ガンディーニの手になるもの。一説によれば、ディアブロ用に描き上げたスケッチがベースになっており、当時ランボルギーニの親会社であったクライスラーが不採用とした案がこのスタイリングだったともいわれている。

スパイダーボディーのチゼタV16T。チゼタのデザインは、ランボルギーニで活躍したマルチェロ・ガンディーニによって行われた。

(文=櫻井健一)

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[ガズ―編集部]

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