トヨペット・クラウン (1955年~) トヨタ名車列伝1話

1952年、トヨタは初の本格的な乗用車の開発にあたり、これまでの設計主体の開発体制から、各部が横断的に機能する主査制度を設けた。その初代主査となったのが中村健也である。

当時を中村はこう振り返っている。「まず、販売店やタクシー会社を歩いて回り、お客様の声を聞くところから始めた」。それは、計画の具体化に欠かせないことだった。そして、中村は『悪路に強く乗り心地の良い乗用車』というコンセプトを立てる。乗り心地を良くするために提案した前輪へのコイルスプリング独立懸架方式に、周囲は反対した。悪路耐久の実績がなかったからだ。しかし、中村は自身が習得した自動車技術と、「国産の乗用車をつくる」という強い信念で皆を説得し、手本のない仕事をまとめあげていった。他にも、後輪に三枚板ばね、観音開きドアなどの新技術に挑戦し、1955年、クラウンは誕生した。

クラウンは、当時の国内使用環境に対応した純国産乗用車として、お客様から熱烈な支持を得た。そして、その後のトヨタの乗用車づくりの基盤が固まった。