[S耐のスーパーな人]Vol.12 青木孝行選手 昔も今も「クルマ大好き」があふれ出るベテランドライバー

さて、今回の「S耐のスーパーな人」は、5ZIGENの木下正治代表からご紹介いただいた青木孝行選手です。普通のクルマ好きの青年がお金を貯めて、努力の末、自らプロドライバーの道を切り開いた青木選手。その経歴や、今年は特に強い思いでS耐に臨むその理由を伺いました。

※以下、スーパー耐久第3戦富士で取材させていただいた内容です。

好きなことだから、大変なことも全然辛くなかった

──レースを始めたきっかけを教えてください

「子供の頃からクルマが好きで、高校を卒業してから自動車整備の専門学校で2級整備士の資格を取得して、トヨタのディーラーに就職しました。その頃からいろいろなところに走りに行ったり、ミニサーキットでも走ったりしていましたね」

「ディーラーで働きながらですが、プライベートでレースをやりたいなと思っていました。そこである日、実家の滋賀から近い鈴鹿サーキットにレースを観に行って、そのまま近くにあるレーシングガレージの門を叩いたんですよ。それがレースを始めたきっかけです」

──どなたかに紹介されたガレージだったんですか?

「いえ、本当に何の伝手もなく、最初に見つけたレーシングガレージを飛び込みで訪ねたんです! 鈴鹿でクラブマンレースを中心にやっていて、以前S耐にも参戦していた「エーワン」というガレージです。どこの誰だか分からない若者が急に訪ねてきて『レースをやりたいんです』って言ったわけですが、ちゃんと話を聞いてくれたんですよね。それからこのガレージでお世話になることを決めました」

──どんなレースから始めましたか?

「最初はシビックレースかFJ1600をやりたいと思っていました。エーワンに行った時にちょうどFJが売りに出ていたので、それを買って始めたのが最初です。当時中古で200万円くらいでしたので、いずれレースをやりたいと思って貯めていたお金で買うことができました」

「FJ1600、F4まではエーワンでレースをさせてもらいましたが、当初は勝ち負けとかプロになりたいとかいうことじゃなくて、本当にクルマが好きで純粋にレースがしたいと思って参戦していました」

──そこからプロドライバーになるまでも教えてください

「トヨタディーラーで働きながら、ス―パーFJに2年、F4に2年参戦しました。その頃、日産のレーシングスクールのスカラシップをいただくことができたんですよ。レースを始めたのが21歳の時で、スカラシップをもらえたのが25歳くらいの時ですね。その翌年に近藤真彦さんと全日本GT選手権のGT300で組ませていただいたあたりから少しお金をもらえて、プロのドライバーになれたかなという感じです」

「そのスカラシップがきっかけで、日産の仕事もちょっともらえるようになりました。その当時はクルマの開発のお手伝いをやらせていただいて、下っ端ではありましたがけっこうたくさん走ることができたんですよね。そこでスキルを磨かせてもらってたことで、全日本GT選手権だったり、フォーミュラドリームなどの参戦につながったと思います」

──とはいっても、まだ働きながらドライバーをやっていたんですよね

「その頃には、ディーラーでの仕事は時間の制約があったので、ディーラーの下請けの会社に就職しました。その会社では休みたいときに自由に休めたんですが、休みを取るためにめちゃくちゃ働きましたよ。1日16時間くらいとか働いていたこともありますね」

「平日は会社で働いて、週末はサーキットにいくという生活を2年くらいやっていて、今思えば大変だったと思いますが、当時は全然大変だとは思っていませんでした。楽しいことをやっているので、しんどいことはあっても辛いと思ったことはないですし、やりたいことをやるのに、他のことを犠牲にするのは当たり前だと思っていましたので」

S耐はいろいろなチャンスがあふれている

──スーパー耐久に参戦するきっかけは?

「スーパー耐久のデビューレースは、十勝24時間レースなんです。エーワンでF4をやっている時に、エーワンがシビックで十勝24時間レースに出たんですが、少しお金を払って乗らせてもらいました。その時速かったかどうかとか、順位とか覚えていないですけど、ただ楽しかったという記憶が残ってますね」

「最初に参戦したのはまだN1耐久の頃ですが、みんな手弁当で参戦している感じで、下のクラスがたくさんいて、一番上のクラスにはR33のGT-Rとかが走っていてあこがれていましたね。そんな手弁当な参加型レースという印象ですが、だから僕も入っていけたと思います」

「その後、継続して参戦できるようになったのは、ダイシンに入ってからです。全日本GT選手権のドライバーとしてダイシンに加入しましたが、ダイシンがスーパー耐久にも参戦していて、あこがれのR33 GT-Rにも乗ることができました」

──スーパー耐久はどんなレースだと思いますか?

「まずこれだけ継続していることが素晴らしいですよね。それは、速いマシンのクラスから低予算でも参戦可能なクラスまで大切にしてきたから、これだけ長くできているんだと思います。また、ハードルもそれほど高くなくて参戦しやすいところもいいレースだと思います」

「また、ジェントルマンドライバーやチームオーナーの方は、大きな会社の社長という方もいらっしゃって、プロから若手のドライバーまでそういった方々と面識が持てたり、自分を売り込むことができる場所でもありますよね」

──ジェントルマンドライバーとはどんな存在ですか?

「こういう場にジェントルマンドライバーとして参戦できるということは、僕が思うに人生の成功者で、普段怒られることなんてないんじゃないかな。ただレースとなれば僕達みたいなドライバーにああでもない、こうでもないと言われたりとか、不思議な環境だと思います」

「でも、ジェントルマンドライバーの皆さんは、謙虚というか、全部吸収しようして話を聞いてくれます。人との付き合い方やレーサーとして上を目指す姿勢、チームをまとめる力など、人として尊敬できる方が多いですよね」

──若手ドライバーにとってはどんなレースだと思いますか?

「けっこうチャンスが多いレースですよね。特に24時間レースなどはドライバーの数が増えますので、チームに入って馴染んでチャンスを掴めば、次繋がると思います。僕もそうやって色々経験させてもらったと思っていますし、僕もけっこう上の方になってちゃいましたが、若手には教えられることはなんでも教えています」

ダイシンでもう一度チャンピオンを獲りたい

──一番印象に残っている愛車は?

「シルビアですね。一番長く所有していましたし、カスタムもして大事に乗っていたクルマです。そのクルマはダイシンのオーナーの息子さん、大八木龍一郎さんに売って欲しいと言われたので、プレゼントしました。なので、まだ僕の目の届くところで走っています(笑)」

──S耐で叶えたいことを教えてください

「何回かチャンピオンは獲っていますが、今年はもう1回チャンピオンを獲りたいという思いが強いです。何と言っても、かなり長い期間休んでいたダイシンがS耐戻ってきてくれて、また大八木信行オーナーとまた一緒に走れることが本当にうれしいんです。本来それだけでもかなり幸せではあるんですが、しっかりと結果を残してチャンピオンを獲りたいですね」

  • 右から2人目がオーナードライバーの大八木信行選手

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何の伝手もなく歩み始めたレーサーへの道。今では多くの実績を残し名ドライバーですが、質問に対して丁寧に答えていただける姿勢は、多くの苦労や経験を経た今でも、本当にクルマが好きなんだなあということを感じさせてくれました。

さて、そんな青木選手からご紹介いただいたのは、ジェントルマンドライバーの内田優大選手です。S耐デビューイヤーにいきなりST-Xクラスでチャンピオンを獲得し、今年もENDLESS SPORTSでメルセデスAMG GT4を駆る内田選手ですが、実は50歳からレースを始めたそう。

今年はSUPER GTのGT300にも参戦する実力派ですが、青木選手からも「めちゃくちゃ努力しないとこんな短期間であそこまで速くなれない」と言わしめる内田選手に、その努力や思いについて伺いました。お楽しみに~。

青木孝行選手の主な戦績(編集部抜粋)

■鈴鹿F4選手権
1997年 シリーズ2位(2勝)

■全日本GT選手権/SUPER GT GT300クラス
1998年 シリーズ6位 ※参戦初年度
2000年 シリーズ4位[チームダイシン]
2001年 シリーズ1位(2勝)[チームダイシン]
2002年 シリーズ5位(1勝)[チームダイシン]
2003年 シリーズ4位(2勝)
2004年 シリーズ5位(1勝)
2005年 シリーズ5位(1勝)
2006年 シリーズ8位(1勝)
2007年 シリーズ22位
2008年 シリーズ5位(1勝)[チームダイシン]
2009年 シリーズ4位(2勝)[チームダイシン]
※チームダイシンでの参戦を中心に掲載。以降も継続して参戦されています。

■スーパー耐久でのチャンピオン獲得年
2002年 class1(ENDLESS SPORTS)
2003年 class1(ENDLESS SPORTS)
2007年 ST-class1(ENDLESS SPORTS)
2014年 ST-X(GTNET MOTOR SPORTS)

[ガズー編集部]