[S耐のスーパーな人]Vol.13 内田優大選手 50歳からレースを始めてSUPER GTまで登り詰めた超遅咲きドライバー

さて、今回の「S耐のスーパーな人」は、青木孝行選手からご紹介いただいた内田優大選手です。レースを始めたのが50歳で、そのわずか2年後にはS耐のチャンピオン、そして今年はSUPER GTにまで上り詰めたジェントルマンドライバーの速さの秘訣について伺いました。

※以下、スーパー耐久第3戦富士で取材させていただいた内容です。

速さの秘訣は、コワいもの知らず?

──いつ頃からレーサーになりたいと思っていたんですか?

小学校5年生の頃かな、夢はカーレーサーと言っていたこともあるくらい憧れを持っていましたね。でも中学、高校と陸上にはまって、専門学校から社会人と、その頃にはレースというものとは縁がなくなっていました。

社会人になってからバイクに乗り始めて、もともとレーサーになりたいという思いもあったからですかね、通勤だけでなく色んなところを走り回っていました。でも23歳の時、通勤途中に事故を起こして、膝に大けがを負ってしまいました。その影響は今でもあって、スタンディングスタートは下手なんです。

──実際にどのような経緯でレーサーになったんですか?

その後、34歳の時に独立して、時間はかかりましたが事業を成功させて軌道に乗せることができたことで、フェラーリを買うことができたんです。これがスーパーカーかと本当に感動しましたね。

でも、せっかくフェラーリに乗るんだったら、腕も磨いておきたいなと思って、フェラーリが主催する1泊2日のサーキット走行会に参加したんです。この時の先生だった藤井誠暢選手から、「内田さん運転が上手すぎるからレーサーになったほうがいい」と言っていただけたんですよ。それでその気になっちゃいました(笑)

ただ、どうしたらレーサーになれるのか分からなかったんですが、50歳の時にランボルギーニのワンメイクレース、スーパートロフェオのアジアシリーズのお話をいただいたんですよ。しかもレース用のガヤルドがバーゲンプライスで、1年戦って売っても元がとれちゃうよと言われたので、それならやってもいいかなと思いました。

でも、レースの経験はまったくなく、サーキットでの走行もフェラーリのドライビングレッスンとセパンサーキットでの走行、あとは直前に86レーサーズで3回くらい教わっただけという状況でした。

──スーパートロフェオって、レース中の最高速が280kmも超えるレースですよね!?

初戦の予選は15台中7番手でしたが、決勝レースはスタート時の“うわーっ”とくる感じが怖くて怖くて、「オレ、ここにいちゃいけないのかな」と思っている間に、オープニングラップで最後尾まで落ちていました……。

そのレースはそのまま終わってしまいましたが、「いや、こんなんじゃだめだと」、2戦目の中国ズーハイでのレースでは気合負けだけはしないように臨みましたが、マシントラブルでリタイアでした。でも、次の上海でのレースでは、アマチュアで3位に入り初の表彰台を獲得できたんです。

それから、レースを始めて3か月くらいの時、いい練習になるからと声を掛けていただいたGT-Rのクラブトラックエディションのレースで優勝したり、半年ぐらいでフェラーリチャレンジでも優勝することができました。

そんな実績もあってか、迎えた2年目のスーパートロフェオでは、僕一人だけプロアマになっちゃったんですが、初戦の富士から、プロドライバーの方もいる中で総合2位に入れて、その後ずっと表彰台に乗れるようになりました。

──速さの秘訣って何だと思いますか?

僕にも、全然わからないです(笑)。単純に言うと、怖さを知らないのがいいのかな。最初に出たレースは怖かったんですけど、それはスピードに対する怖さではありませんでした。怖いもの知らずで、全開でも曲がれると言われれば全開で行っちゃいます。それでスピンしちゃう時もありましたけど、勢いと潔さだけでやってきた感じです。

ただS耐はチーム戦で、自分一人でスピンしているわけにもいかないので、ミスしないように気を付けて走っていますし、6年S耐に参戦していますが、ペナルティをもらったことはないです。軽い接触はありましが、大きなトラブルもないですね。

プロドライバーの引き出しの多さに感嘆

──そのS耐はどんなレースだと思いますか?

2014年の秋にレースにデビューしましたが、S耐には2016年にコンドーレーシングから声を掛けていただいて、藤井選手と平峯一貴選手と組ませていただいて、初年度からST-Xクラスのチャンピオンを獲ることができました。

ST-XとかST-Zとか、ジェントルマンドライバーが走らなければならないクラスがあって、本当にアマチュアを大事にしていただいているレースですよね。僕らも名だたるプロドライバーの方と一緒に走ることができるのは、すごく光栄なことですし、プロの走りも間近に見られます。ジェントルマンがステップアップするにはすごく勉強になるし、やりがいもあるレースです。

──プロドライバーとの違いはどう感じていますか?

僕らも1周速いタイムを出せることはあるんですけど、プロのすごいところは限界のところで、クルマとタイヤと相談しながら、いかなる状況でも速く走ることができる。それがコンマ1秒とかコンマ5秒とか変わってくると思うんですよね。

エンドレスでは、山内選手とかチョー速いんですけど、例えば(富士スピードウェイの)100Rで、どんな状況でもマシンをちゃんとコントロールする引き出しがたくさんあって、本当にすごいといか言いようがないです。

僕らアマチュアは、アンダーステアが出たまま“あーーー”ってふくらんじゃったりするんですけどね(笑)

──ジェントルマンドライバー同士での横のつながりはありますか?

はい、もちろんありますよ。D'stationレーシングの星野辰也選手とか、浜健二選手とかすごく仲良くさせていただいているし、星野敏選手にもよくしていただいたり、いろいろなつながりがありますね。あまり仲が悪いというのも聞いたことがないですし。

いろんなチャレンジをしてハッピーに過ごしたい

──市販車で一番印象に残っている車は何ですか?

リトラクタブルヘッドライトの70スープラにものすごい憧れたんですよ。今そのマニュアルミッションの車両を探していて、買ったら外装をカーボンとかにしてきれいに作り直して、乗り回したいと思っています。

──今後の目標ややってみたいことはありますか?

今年、目標の一つを達成することができたんです。それはSUPER GTに参戦することです。あと今年の目標では、エンドレスで3年連続のシリーズチャンピオンを獲りたいですし、SUPER GTでも表初台なんておこがましいですけど、まずはポイントを獲りたいですね。まだドライバーとしての進化も実感していますので、結果につなげていきたいです。

その先の目標はというと、いろいろなチャレンジをしたいと思っています。

僕ももう今年で57歳なので、レースについては勇退にむけていい花道を作っていきたいと考えています。50代後半でこんなことをやっている方もなかなかいないと思うので、もう社会人ですけど、子供たちにいい親父の背中も見せられたんじゃないかと思います。

S耐を始めてから体を鍛えていますが、そのついでにスパルタンレースに出て、消防士とかジムのトレーナーとかばかりの中、3000人中24位に入ることができたり、一昨年はホノルルマラソンにも出ました。40代までは仕事が忙しくてそちらに集中していましたが、50歳になっていろいろなチャレンジを通じて、これまで知らなかったような世界を見ることができているので、そういった意味では幸せですよね。

そうだ、キリマンジャロの登山とかもしてみたいですね!

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これだけのチャレンジをすることができるのも事業が成功したおかげですが、内田選手のお話を聞いて、仕事もレースも、ご自身の能力を最大限に発揮し、どんな困難にも突っ込んでいく、成功するための秘訣は共通なのではないかと感じられました。レースに限らず、男としての夢が広がり続ける内田さんの次なるチャレンジも、ぜひまた伺ってみたいなと思いました。

次回は、一緒にワンメイクレースでも戦っていたという、最高峰ST-XクラスでLEXUS RCF GT3をドライブするジェントルマンドライバー、永井秀貴選手です。お楽しみに~!

(GAZOO編集部 文・写真:山崎真 編集:岡本淳)