若き日の憧れを現実に。74歳のオーナーが駆る、1968年式ダットサン フェアレディ2000(SR311型)

「最近、クルマに乗るのがしんどくなってきて···。そろそろ手放そうかと思っているんだよ」。

クルマ好きの、それも旧車乗りやベテランオーナーが繰り広げる会話における定番のひとつではないだろうか?それが仲間同士の挨拶代わりであれば良いのだが、万が一、半ば本気で「手放そうかな···」と考えている方は、まず今回のオーナーの取材記事を読んでいただきたい。結果として、それがストッパーの役目を果たすことになってくれたら本望であり、またそうであって欲しい。1度手放したクルマは2度と戻ってこないと考えるのが自然だからだ。

青みがかったシルバーのボディカラーが実に美しい、ダットサン・フェアレディ2000を慈しむように眺める紳士の姿が目に留まった。話し掛けてみるとこのクルマのオーナーだという。

「このクルマは1968年式ダットサン・フェアレディ2000(SR311型/以下、フェアレディ2000)です。若い頃、このクルマに憧れていましてね。現在、私は74歳になるんですが、数年前、友人から譲り受ける形でようやく手に入れることができたんです」。

年齢を伺って驚いた。失礼ながら、とても70代半ばとは思えないほど若い。

フェアレディ2000といえば、現在も発売されているフェアレディZの歴史の1ページを綴ったモデルであることは言うまでもない。当時の日本車としては最速となる205km/hに達する性能を有しており、国内のレースでも大活躍した。ソレックスキャブレターを2基搭載した「U20型」と呼ばれる水冷4気筒SOHCエンジンの排気量は1982cc、最高出力は145馬力をたたき出した。フェアレディ2000の発売当時の車両本体価格は96万円。レースでは幾多の勝利を手にし、さらに気品溢れるデザインを持つこのクルマは、当時の若者にとって憧れの存在だったのだ。

「このクルマの前オーナーである友人も他の方から譲り受けたんですが、10年くらい倉庫で眠っていたそうです。その後、私が引き取った時点では、車体のあちこちに手が加えられていました。私としては、この種のクルマはできる限りオリジナルの状態で乗りたい性分ですから、当時の状態に戻すところから始めたんです」。

しかし、多くの旧車と同様に、当時の部品がなかなか見つからなかったそうだ。「日本の旧車は当時の部品を見つけるのが大変ですよね。そこで、全日本ダットサン会の会長さんやクラブ員の皆さんが協力してくれることになり、そこで、このクルマの部品を探してくれたんです。やはり、持つべき者は同じ趣味を持つ仲間の存在だと実感しました。仲間たちがそれぞれのネットワークを駆使してくれたお陰で、諦めかけていた部品が見つかったんです。あのときは嬉しかったなあ」。

こうして純正ステアリング、ホイール、ホイールキャップ、スペアタイヤなど、入手困難だと思われた「当時モノ」の部品を入手。着々とオリジナルコンディションに戻す作業が進められていったという。

「ヘッドレストもどうにか入手できたのですが、かなり痛んでいましてね。直そうにもシートと同じ表皮が日本にはないんです。友人によると、どうやらアメリカにあるみたいだというのです。そこで、友人のクルマに装着されていたヘッドレストと一緒に送って張り替えてもらおうということになり、破格値できれいに直すことができました。あと、エンジンにもエアファンネルが装着されていたり、手が加えられていたんです。結局、手に入れてから最初の1年くらいは細かいトラブルが色々とありましたね。それをひとつずつ解決していった結果、今はトラブルフリーとなりました。アイドリングも安定していますよ」。

このクルマ1台で、日常の足としてすべてをこなすのは難しい面もあるだろう。他に所有しているクルマはあるのだろうかと思い、オーナーに尋ねてみた。

「現在、フェアレディ2000の他に、10数年前から2台のダットサンを所有しています。親族から譲り受けたダットサン・1200トラック(320型)と、ダットサン・ブルーバード(310型)です。ダットサン・1200トラックは、親族に『乗らなくなったら譲って欲しい』と頼んでおいたんです。そしてダットサン ブルーバードは、農家の納屋でボロボロになっていたところを見初め、当時のオーナーに譲って欲しいと何度も頼み込み、結果として破格値で手に入れることができたんです。私のところに嫁いできてからレストアし、見違えるように美しくなったブルーバードを前オーナーに見せたところ、とても喜んでくれましてね。今でもときどきクルマを見せに行っているんです」。

どうやらオーナーは生粋のダットサン党のようだ。となれば、このフェアレディ2000は幸運な嫁ぎ先を見つけたことになる。

「友人からフェアレディ2000を譲り受けるとき、一応妻にも相談しました。『また買うの?』と呆れられましたが、私の趣味はこれ(クルマ)だけですから、どうにか許してもらいました(苦笑)。これまでさまざまなクルマに乗り継いできましたけれど、フェアレディは憧れの存在でしたからね。この時代のクルマはパワーステアリングが装備されていません。そのため、クルマを停めるときはハンドルが重たくなるのですが、いい運動になると思って乗っているんです」。

ここまで熱心なオーナーとなれば、やはり愛車遍歴が気になる。尋ねてみると、オーナーの本格的なエンスージアストとしての一面を垣間見ることとなった。

「運転免許を取得して最初に手に入れたのがプリンス・スカイラインでした。トヨタ車ではコロナやクラウンに乗りましたね。日産・チェリーやグロリアにも乗りましたよ。当時はプライベーターとしてスバル・1000でラリーにも参戦していて、カウンターを当てながら攻めていたこともありました。このクルマは下りの走りと、何より音が良かったんです。懐かしいなあ。その後、仕事や家族を優先して、趣味のクルマから離れていた時期もありましたが、還暦を過ぎたあたりから復活して現在に至ります」。

ラリーに参戦していたときはオーナー自ら愛車のメンテナンスを行ってきたという。このフェアレディ2000も同様なのだろうか?

「本当はそうしたいんですけれど、このクルマは主治医に任せているんです。本当はハードトップ仕様の方がレーシーで好きなんですが、昨年、思い切って屋根を開けてオープンで走ったら本当に爽快で···。今年もこのスタイルでいこうと思っています。私には40代になる息子がいるんですが、クルマには興味がないらしく、そこがちょっと寂しいですね。本当は私の後を継いで乗ってくれると嬉しいんですが···」。

トヨタ・ソアラの開発に助言を行い、第二次世界大戦後、連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)に「従順ならざる唯一の日本人」と言わしめた白洲次郎は、80歳までポルシェ・911のハンドルを握っていたという。「今年で後期高齢者ですよ」と語るオーナーだが、本来の美しさを取り戻したこのクルマとともに、まだまだ現役であることはひと目で分かる。これからも、クルマ好きの後輩たちにとって憧れの存在であり続けてほしい。そして、自動車史の1ページを飾るであろうこのフェアレディ2000を、オーナーのご子息が受け継いでくれたらと、余計なお世話ながらも願わずにはいられないのだ。

(編集: vehiclenaviMAGAZINE編集部 / 撮影: 古宮こうき)

[ガズー編集部]

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