すれ違う人に微笑みを。70歳のオーナーと年間2万キロをともにする1967年式フォルクスワーゲン・タイプI ビートル カブリオレ
「若い頃に乗っていたクルマをもう1度所有してみたい」
この取材を続けていると、こんな想いを口にするオーナーさんと出会う機会がしばしばある。
すべてが輝いていた遠い昔の記憶、希望に満ちあふれた未来。そして、気の赴くまま、どこへでも連れて行ってくれる愛車というべき存在…。しかし、楽しい日々はあっという間に過ぎ去っていく。やがて社会に出て、人並みに家庭を持つようになる頃には、日常生活に忙殺され、青春時代のことなど忘却の彼方へと追いやられてしまうのだろうか。しかし、それは決して悪いことではないと思う。家族や社会、どこかで誰かから必要とされている証でもあるからだ。
やがて子どもが成長して独り立ちし、自分自身も会社員生活を卒業すれば、ある程度の自由な時間が手に入る(はずだ)。そこで、冒頭のようなことを思うのだ。第二の人生のはじまりだ。これまで頑張ってきた自分自身へのご褒美があってもいいではないか。
今回のオーナーも、若いときに乗っていたクルマを再び手に入れ、いままさに人生を謳歌しているようだ。今回は、男なら誰もが憧れるカーライフに迫ってみたいと思う。
「このクルマは、1967年式フォルクスワーゲン・タイプI ビートル カブリオレ(以下、タイプI)です。この個体を手に入れたのは7年ほど前。私が所有してから14万キロくらい乗りましたね。トータルの走行距離は30万キロくらいじゃないでしょうか。私はいま70歳ですが、若いときにもこのクルマに乗っていたんですよ」
タイプIといえば、いわずもがな、4輪自動車として世界でもっとも生産台数が多いクルマとして知られている。累計生産台数は「2152万9464台」だという。何しろ、1938年から2003年まで生産されたクルマなのだ。今後もこの記録が破られることは半永久的にないかもしれない。近頃、末裔のモデルといってよい「ザ・ビートル」の生産終了が決まり、いずれビートルの名を冠したクルマが新車では手に入らなくなることは間違いない(例外として、デッドストックとして密かに保管される個体もあるだろう)。
タイプIは、さまざまなボディバリエーションならびにエンジンが搭載され、また、年式ごとに事細かな仕様の違いがあり、そこがマニア心を刺激するようだ。オーナーが所有する1967年式は、通称「ロクナナ」と呼ばれ、電装系が6Vから12Vに変更されつつ、古き良き時代のタイプIの雰囲気も併せ持っており、人気が高いモデルだ。
余談だが、日本でもお馴染みのタイプIは、1952年にはヤナセを通じて上陸を果たしており、1953年には展示会が開かれ、1954年には正式にインポーターとして販売権を獲得している。当時、上陸したうちの1台が現存しており、イベントなどで実車を観られることもある。
さて、ここで改めてオーナーがタイプIを手に入れるまでの経緯を伺ってみたいと思う。
「海外出張の滞在先のホテルで、ジャガーの集まりを見掛けたことがあり『いつか自分でも乗りたいなあ』なんて思いながら眺めていたこともありましたね。60代前半でようやく仕事が一段落しまして、古いクルマに乗ってみようと思ったんです。そこで、オースティン・ヒーレーやMG・A、ポルシェ・914あたりを探しました。そんなとき、たまたま目に留まったのがこのタイプIだったというわけです。さっそく実車を観に行き、運転席に座った瞬間、20代の頃の記憶が甦ってきたんですね。試乗もせずにこのクルマを買ってしまいました。それくらい『ピンときた』んです。これはもう、理屈じゃないですよね」
こうして、青春の1ページともいえるクルマと再会したオーナー。驚くのはここからだ。
「日本各地をこのタイプIで巡っていますよ。北は北海道から、南は九州まで…。それこそ、年間2万キロくらいは乗っています。長距離移動もこのクルマです。新幹線にはここ数年、乗っていませんし(笑)。現代のクルマの方が運転も楽ですし、快適だとは思うけれど、私は古いクルマに惹かれますね。かつて、海外出張の滞在先のホテルで見掛けたような集まりが日本国内でも開催されているので、このクルマで参加しています。会社員時代には想像がつかなかったような、世代を超えた出会いを楽しんでいます」
とはいえ、手に入れた時点ですでに45年くらい前のクルマだ。失礼ながらトラブルには見舞われなかったのだろうか?
「高速道路を走っていたときにエンジンが止まったり、突然ワイパーが動かなくなったり、ウインドウがあがらなくなったり…。いろいろありましたよ。そんなことがあり、いまでは予防整備を欠かしません。エンジンオイルは3000キロごとに交換していますし、しっくりこない箇所があれば同時に直してもらっています」
70年もの年月のあいだに豊富な人生経験を積んできたオーナーだけに、これまでの愛車遍歴や人生観を変えたクルマも気になるところだ。
「最初の愛車はフォード・コルティナでした。それから1960年代半ばの頃の日産・セドリックにディーゼルエンジンを載せたクルマとの縁があり、このセドリックで大学に通学していましたね。当時は大学周辺に路上駐車しても駐車禁止にはならないし、大らかな時代だったかもしれません。その後は日産・ブルーバードやマツダ・カペラ、トヨタ・クラウンなどを乗り継ぎました。結婚して子どもが産まれたときはBMW・3シリーズ カブリオレに乗っていました。これが後々、2人の息子に影響を及ぼすことになろうとは…(苦笑)。私自身、幼少期に自宅近くの家に止まっていた『フジキャビン』という、1950年代半ばに少量生産された小型車を観て『このクルマに乗ったら、遠くに行ける!』などと、幼心に考えたことを記憶しています。人生観を変えたクルマといえば『フジキャビン』になるんでしょうね」
オーナーのタイプIの車内にはスマートフォンが置かれるなど、現代的な装備も見受けられる。購入後、モディファイした箇所はあるのだろうか?
「もともとはオリジナルだったんです。エンジンを載せ換え、トランスミッションを5速化しました。このエンジンにあう特性にセットアップしてもらっています。このクルマを創りあげるうえでのテーマは“Cool & Comfortable”です。足まわりもリフレッシュしており、ホイールはポルシェ・911純正のアロイホイールで、フロントが4.5J、リアが6.5Jのものを履かせています。追加メーターは、スピードメーターに合わせてVDO製メーターをセレクトしてあります。前後の牽引フックは、お守り代わりですね。また、トノカバーやメーターパネルは特注です。トノカバーは市販品とよく間違われるのですが、職人さんに作ってもらった1点モノなんですよ。いろいろ手を加えていますが、主治医の方のセンスが良いんでしょうね。私自身の意向は伝えますが、同時にプロの方の意見には耳をかたむけるようにしています」
文字どおり「センス良く」まとまったタイプI。車内にはモニターやiPhoneなど、現代的な装備も見受けられるが、違和感なくマッチしている点が印象的だ。これだけ「キマっているクルマ」ともなれば、乗り手によってはクルマに負けてしまいそうだが、オーナーは違う。とてもさりげなく、実にお似合いなのだ。街中でこのタイプIが走っていると目立つと思うのだが…。
「このタイプIを観た人は皆さん笑顔になるんです。そこがこのクルマの好きなところですね。こればかりは、他のドイツ車メーカーでは難しいかもしれません」
最後に、今後このクルマとどう接していきたいのか?意気込みを伺ってみた。
「メッサーシュミットや、サンビーム・アルパインなど、気になるクルマはありますが、このタイプIは私にとって最後の1台になると思います。私には42歳と41歳になる2人の息子がいます。それぞれの最初の愛車は、ホンダ・CR-Xデルソル(電動オープン)と、マツダ・ユーノスロードスターだったんです。前述のように、この子たちが小さかった頃、BMW・3シリーズ カブリオレに乗っていた時期があり、どうもこのときのオープンカー体験が忘れられず、CR-X・デルソルとユーノスロードスターを手に入れるきっかけにもなったようです(笑)。私がいずれタイプIに乗れなくなったとき、どちらか一方が引き継いでくれることを密かに願っているんです」
親父が青春時代をともに過ごしたクルマ。それは何物にも代えがたい存在だ。何かの理由で手放してしまい、市場へと送り出されてしまったら、ましてや海外へと旅立ってしまったら…。手元に戻ってくる確率は限りなくゼロに近い。そのときに気がついても遅いのだ。
「そこにいるのがあたりまえすぎて意識しない、空気のような存在」
…というものこそ、失ってみてはじめて存在の大きさに気づかされる。そんな悲しい結末にならないよう、2人の息子さんのいずれかが、オーナーが大切にしているこのタイプIを引き継いでくれることを願うばかりだ。
(編集: vehiclenaviMAGAZINE編集部 / 撮影: 古宮こうき)
[ガズー編集部]
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