554分の1台を引き寄せたのは偶然か、それとも運命か?日産シルビア(CSP311型_初代)

この取材を続けていると、本当にさまざまなタイプのオーナーさんと出会う。所有するクルマ、愛車遍歴、周囲の環境など、1つとして同じケースは存在しない。しかし、限りなく100%に近い確率で「所有しているクルマを溺愛している」という点だけは見事に共通している。そして、その愛し方もさまざまだ。雨の日には絶対に乗らない、道路工事に遭遇したら迂回する(または引き返す)、夏場はひたすら整備の時間に充て、秋からのイベントシーズンに備える・・・等々、愛車とのカーライフは、正解がひとつではないことを強く実感するばかりだ。

冒頭の画像を見て、思わずのけぞった人がいるかもしれない。日産・シルビア(初代/CSP311型)の奥に見えるのは、トヨタ・スポーツ800と、マツダ・コスモスポーツ。いずれも1人のオーナーが所有している愛車たちだ。今回は、以前「Fun to Driveの原点、トヨタ・スポーツ800と暮らす喜び」の取材時に知り合ったオーナーの計らいで、ガレージにお邪魔させてもらうこととなった。そこで目にしたのが冒頭の光景だ。いずれも、不思議な運命に導かれてオーナーの元に嫁いできたクルマたちである。そこで今回は、日産・シルビア(以下、シルビア)にスポットを当ててみたいと思う。

「このシルビアは、1967年12月生産、1968年登録の個体になります。今から約4年前に購入し、1年掛けてボディ外装の修理と車検を取得。これまで2万キロくらい走破しました。販売されていたわずか4年間のうち、554台しか生産されなかったクルマだということは知っていたので、まさか自分が所有できるとは夢にも思っていませんでした」。

1964年の第11回東京モーターショーにおいてダットサン・クーペ1500として出品され、翌1965年にシルビアとしてデビューを果たした。ちなみに、「シルビア」という車名は、ギリシャ神話の女神を冠したものである。この「シルビア」というクルマを語る上で、世代ごとに思い浮かべるモデルが異なるだろう。オーナーのように初代に憧れた人もいれば、通称「エスイチサン」などと呼ばれる5代目というケースもあるだろう。そして現時点では最後のシルビアとされる「エスイチゴー」と呼ばれる7代目を思い浮かべる人もいるだろう。その時代を彩ったシルビアであったが、2002年にいったんその幕が下ろされた。そして、このクルマの復活を待ち望んでいる人も少なくないはずだ。

シルビアのボディサイズは、全長×全幅×全高:3985x1510x1275mm。SUツインキャブが装着された、「R型」と呼ばれる1595cc 直列4気筒OHVエンジンの最大出力は90馬力。エンジンとフレームはダットサン・フェアレディ1600(SP310型)と共通であり、ほぼ継ぎ目のないハンドメイドの「クリスプルック」と呼ばれた美しいボディ、フロント2輪ディスクブレーキ、ポルシェシンクロ4速MTなどの技術が惜しみなく投じられたクルマであった。それゆえ、高額な車両本体価格(当時のブルーバードのほぼ倍額となる120万円)と生産性の低さから、1968年に販売が終了するまでの4年間の間に、わずか554台が造られたに過ぎない。そんな、極めて希少価値の高いこのシルビアとの「なれそめ」をオーナーに伺ってみた。

「懇意にしているクルマ屋さんのところに、突然このシルビアが現れたんです。前オーナーさんが他界し、そのご子息が売りに出した個体だという話でした。この種のクルマはまさに『縁モノ』です。迷っているうちに他の方に買われてしまいますから、購入を即決しました」。

オーナーのガレージには同世代のクルマたちが収まっている。この年代のクルマが好みなのだろうか?

「私は今、52歳です。スーパーカーブーム真っ只中の時代に幼少期を過ごしました。もちろん、晴海で開催されたスーパーカーショーにも行きましたよ。でも、当時衝撃を受けたのは、小学校4、5年生の頃に見た、美しいグリーンのジャガー・Eタイプだったんです。あのときの光景は今でもはっきりと思い出せます。その頃から、将来はクルマのデザインに関わる仕事がしたいと思い、絵を描いたりしました。その結果、念願叶って自動車メーカーのデザイン部門で仕事をすることができました。そんな経緯から、シルビアのデザインにも深く関わった、木村一男さんにお会いすることができたんです。これは嬉しかったですね」。

こうして、念願だったシルビアのオーナーとなったわけだが、購入後に1年もの時間を掛けて車検を取得したとのことだ。やはり相応の苦労があったのだろうか。

「この個体は10数年もの間、車検が切れている状態でした。内装はオリジナルのままでしたが、シートはステッチがほどけてしまい、スポンジが見えていたんです。そこで、自分で縫って直しました。エンジンも、自分でプラグとオイルを交換したところ調子がよくなりました。ボディパネルは専門店で板金塗装してもらいました。生産時のボディカラーの色味が分からず、再現するのに苦労しました。その他、ホイールをハヤシレーシング製に交換、フェンダーミラーは無垢の真鍮から削り出し、マフラーとエキゾーストマニホールドはワンオフで製作しています。少しずつオリジナルに戻しつつも、現時点では走りの予感を意識するようなモディファイを心掛けています。先日、初代シルビアオーナー同士が集まる機会があったんですが、どれも微妙に色味が異なるんですね。生産時のボディカラーのままという個体も存在しないようですし、もはやどの色味が正解なのか誰にも分かりませんでした。生産された554台のうち、日本国内で実走可能な個体は7〜80台と言われています。その他、博物館に収蔵されたり、部品取り車となったり、海外へ流れていった個体も多く、オーストラリアには40台くらいあるようです」。

このシルビアが貴重なクルマであることは誰の目にも明らかだが、それを踏まえつつも、所有しているオーナーたちが抱えるさまざまな事情があるようだ。

「全国のシルビアのオーナーさんも年齢を重ねてきていて、やむを得ず手放すといったケースもあるようです。しかし、程度の良い個体が市場に出ると、そのまま海外へ流れていってしまう可能性も充分にありえます。私は、可能な限りこの個体のコンディションを維持することを心掛けながら所有していきたいと思っています。シルビアの斜め後ろから見たラインが好きで、仕事から帰宅すると、家に入る前にガレージに立ち寄ってしまうんです。妻からは『そんなに好きならクルマの中で寝たら?』と言われています(苦笑)」。

オーナーは所有するクルマを選ぶことができる。しかし、当然ながらクルマはそれができないし、嫁ぎ先のオーナー次第でその後の運命が大きく変わってしまう。もし、このシルビアに意思があるとしたら、オーナーとの出会いはとても偶然とは思えない。シルビアの意思による(としか思えない)運命的な導きで嫁いだ先には、同世代のクルマが暮らしている。こうして、ひとつ屋根の下に収まるシルビア、そしてトヨタ・スポーツ800とマツダ・コスモスポーツは、現世における安住の地を見つけたようだ。そして、これらのクルマたちはオーナーの惜しみない愛情を注ぎ込まれ、素晴らしいコンディションを維持しつつ、次の世代のクルマ好きへと受け継がれていくのだろう。

Fun to Driveの原点、トヨタ・スポーツ800と暮らす喜び
http://gazoo.com/ilovecars/vehiclenavi/161116.html

(編集: vehiclenaviMAGAZINE編集部 / 撮影: 古宮こうき)

[ガズー編集部]