日本で唯一となるメアリー・ステュアート型のフォルムを纏った1970年式ポルシェ911S

「最新のポルシェは最良のポルシェ」。

自動車関連誌を読んだことがある者ならば、一度はこのフレーズを目にしたことがあるかもしれない。現行モデルとして売られている最新のポルシェが最良なのだという、一種の暗示掛けともいえるキャッチコピーだ。

では、なぜこんな暗示掛けが必要なのだろうか?それは、ポルシェを好むユーザーが「ポルシェは毎年のように進化していく」ことをすでに学習しているからだ。今年は最新かつ最良であったとしても、翌年に色褪せてしまう残酷さを秘めている。生鮮食品のように鮮度を保つ期間が極めて短いのだ。

せっかく手に入れたポルシェだし、このまま乗り続けるか、最新のマシンに乗り換えるか…。「最新のポルシェは最良のポルシェ」は、そんな贅沢な悩みで眠れぬ夜を過ごすユーザーへの悪魔の囁きであり、ある種の踏み絵なのだ。

しかし、過去に造られたポルシェを手に入れ、それが自分にとって理想的なクルマだとしたら?もうそんな呪縛に悩まされる日々からは解放されるはずだ。

今回のオーナー氏が所有するポルシェは1970年式911S。日本では「ナロー」と呼ばれる最初期のポルシェ911(901型)だ。スカイライン ジャパンが初の愛車というオーナー氏は、これまで国内外のさまざまなクルマを乗り継いできた。これまでは買い替える頻度も3~4年おきと、比較的短い方だと語る。ポルシェ911としてはこのナローが2台目。最初の911は996型のカブリオレで、ゲンバラが手掛けたコンプリートカー。しかし、ティプトロニック(AT)仕様であったことや、誰でも速く乗れることに物足りなさを感じていた。

オーナー氏が体調を崩して入院していたとき、暇を持て余して雑誌を読んでいたところ、偶然ナローポルシェの売り物を見つけた。それまで1年近く、10台ほどナローポルシェの売り物をチェックしてきたが、気に入った個体を見つけることはできなかった。今回の売り物は幸運にもオーナー氏の生活圏だったこともあり、入院中に病院を抜け出し、そのまま購入を決めてしまったのだ。

以来、手に入れて今年で10年になるという、念願のナローポルシェ。当時のカタログカラーであるガルフオレンジだったことも購入の決め手となった。この「ガルフ」とは、オイルメーカーの「Gulf」に由来していることはいうまでもない。

手に入れた個体はフルオリジナルではなく、切り貼りを終えたワイドフェンダーになっていた。さらなる軽量化にこだわり、すべてのフェンダーをRSRの樹脂製のものに変更する念の入れようだ。この個体をベースに修理とモディファイを兼ね、この10年の半分ほどは工場に入り手を加えられてきたようだ。そして進化を重ねて、現在の姿へと変貌を遂げたのだ。

あるとき、1970年代に当時のレースフィールドを席巻した「Carerra RSR」のミニカーを手に入れた。そのシルエットは「メアリー・ステュアート型」と呼ばれる、リアが特異な形状をしている当時のレーシングポルシェだ。これを自身のナローポルシェで再現してみようと思い立った。

しかし、現実はそう簡単にコトは進まない。何しろ「ミニカーをベースに当時のレーシングカーを再現してくれ」というオーダーなのだ。数軒のボディワークショップに断られた末、山梨県にあるBody works dbが引き受けることとなった。ミニカーという3次元サンプルがあるとはいえ、当時の設計図があるわけではない。事実上の手探り状態だ。それでも、代表の奈良氏の執念ともいえるボディワークにより、数ヶ月に及ぶ試行錯誤の末、日本では唯一であろうメアリー・ステュアート型のナローポルシェが完成した。

待ち合わせ場所に現れたガルフオレンジのメアリー・ステュアート型ナローポルシェは、その場にいた人々の視線を一瞬のうちに惹きつける強烈なオーラを放っていた。オーナーが惜しみない愛情を注ぎつつ、いざというときには全開で駆け抜けるマシン特有の、まるで若鮎のような躍動感をたたえている。クルマに興味がない人が見たら、このクルマが50年近く前に製造された「クラシックカー」だとはにわかに信じられないだろう。

もはや、屋根以外はオリジナルの面影はないと語るこのナローポルシェの左右ドアの素材はFRP製、ウィンドウもポリカーボネート製だ。特注で造られたというホイールは17インチ。フロントが9Jでリアは10.5Jという、オリジナルのナローボディでは到底収まりきらないサイズとなっている。

車内に覗くガルフオレンジに塗られたロールケージも伊達ではない。ボディに溶接されたそれは、ポルシェ社のワークス部門が仕上げたような美しさだ。レザー張りのシンプルなフルバケットシートが2脚奢られ、ダッシュボードとステアリングはカーボン製。このダッシュボードは、オーナー氏とRWB中井氏の個体にのみ装着されたスペシャルだ。フロントフード内は100L分のガソリンを飲み込むというATL製燃料タンクが占拠している。フロントのリップスポイラーはBOMEX製である。

6つのカーボン製エアファンネルが目を引く美しいエンジンルームは、まさにレーシングユニットのそれだ。964用3.8Lエンジンをベースにハイコンプ化。マーレー製ピストン&シリンダーに964RSR用カムを組み合わせ、HKS製F-CON V Proによって制御される。マフラーはフロントロウ製のワンオフ、タコ足はLime製。そしてブレーキは、フロントが964RS用、リアには930ターボ用が奢られ、サスペンションはクワンタム製と、列挙していくとキリがないほどだ。さりげなく給油口が右のリアフェンダーに移設されていることに気づくマニアがいるかもしれない。

現在の仕様で車重は1トン前後、最高出力380馬力をたたき出すモンスターマシンだ。筑波や茂木、富士などでサーキットを楽しむオーナー氏にとって、この「メアリー・ステュアート型」テールは必要な装備なのだ。特にブレーキング時にはダウンフォースが効き、リアが暴れなくなったと語る。あるシーンで997型のGT3RS4.0という、当時のNAポルシェでは最速・最強マシンと競り合ったそうだが、1度も前を走らせなかったという。もちろん、オーナー氏の卓越したドライビングテクニックとの相乗効果であることはいうまでもない。

スーパーカー世代のオーナー氏にとって、幼少期に見たポルシェ935のマフラーから火を噴く映像が脳裏に焼き付いていた。大人になってもその記憶が忘れられず、手に入れた当時モノのナローポルシェ。理想を追い求めて今の姿へと進化してきた。しかし、これで終わりではない。

最近、ナローポルシェがオリジナルに戻される傾向があると聞く。その方が海外のバイヤーに高く評価されるからだ。その動機は、クルマがラインオフ時の姿に戻したいという思いからではなく、その多くはいわゆる投機目的だ。しかし、それは本来の姿ではない。いつの時代のポルシェ911も、走らせなければ意味がないのだ。そして、クルマ自身も密かにそれを望んでいるように思う。

「最新のポルシェは最良のポルシェ」という、もはや格言めいた言葉を否定することはできないだろう。しかし、持ち主にとって最高かどうかは別問題だ。これまで数年単位でクルマを乗り継いできたオーナー氏がようやく手に入れた最高のポルシェ。レーシングマシンに匹敵するクルマの走りを堪能するオーナー氏と、走ることを望むナローポルシェは、代わりになるものがいない相思相愛の関係なのだ。

(編集: vehiclenaviMAGAZINE編集部 / 撮影: 古宮こうき)

[ガズー編集部]