幼少期に「カッコワルイ」と思っていたクルマが忘れられない存在に…。いすゞ・117クーペXC(PA95型)

幼少期には「カッコワルイ」と思っていたクルマが、大人になってから改めて見てみると「何てカッコイイクルマなんだろう…」と、つい見とれてしまうことがある。

例えば、スーパーカーブームにおけるランボルギーニ カウンタックやミウラは別格として、フェラーリ365GTB/4、通称「デイトナ」などは地味な存在といえるかもしれない。人によってはひと目でフェラーリだとは分からないだろう。

しかし、大人になってから現物を見る機会が訪れたとき、人間業とは思えない美しいフォルムに、誰もが魅了されるのではないだろうか?きっと、年齢を重ねたからこそ初めて分かる良さがあるのだろう。それはつまり、自分が大人になったということを意味するのかもしれない。

今回は、幼少期には「カッコワルイ」と思っていたはずのクルマを、大人になってから手に入れてしまったというオーナーを紹介したい。しかも、その思い入れが半端ではないのだ。

「このクルマは、1975年式いすゞ・117クーペXC(以下、117クーペ)です。購入時のオドメーターの距離は12万6000キロほどでしたが、現在は15万キロに達しています。まだ1年半しか経っていないのに、既に3万キロも走ってしまいました。現在、私は51歳ですが、117クーペを初めて見たのは小学生の頃でした。当時は『お尻が下がっていて、丸っこいクルマで何だかカッコワルイなあ…』と思っていたんです。しかし、高校生になったときにハンドメイドモデルの117クーペを見る機会があり、その美しさに一瞬で魅了されました。その後、時間は掛かりましたが、50歳になったのを機に、丸目4灯の前期モデルの117クーペにこだわって探したところ、縁あって手に入れたのがこの個体なんです」。

117クーペのデザインを手掛けたのは、ジョルジェット・ジウジアーロというのは有名な話だ。1966年のスイスのジュネーブモーターショーにおいてショーカーが発表され、日本では1968年から発売された。通称「ハンドメイドモデル」は、手作業で造られ、マニア垂涎のモデルとして知られている。手作りゆえに少量生産であり、さらに車輌本体価格が高額であったため、当時の若者の憧れの存在でもあった。

オーナーが所有する個体は、丸目4灯が特徴的な量産モデルにあたる。一見すると初期型のハンドメイドモデルと同じように見えるが、ヘッドライトまわりやフロントグリル・フェンダーミラー・テールのデザインなど、さまざまな点が異なるところも興味深い(素人目には同じように映るかもしれないが、117クーペのマニアであれば、瞬時に見分けられるはずだ)。後期型の117クーペは角目4灯になり、表情も異なる。ハンドメイド、そして丸目と角目、それぞれに好みが分かれ、熱心なファンはもちろん、オーナーズクラブも存在する。ボディサイズは全長×全幅×全高:4310x1600x1320mm。発売当初は1584ccだったエンジンも何度か仕様変更が行われた。オーナーの個体の排気量は1817cc、「G180SS型」と呼ばれる、ツインキャブレター、直列4気筒SOHCエンジンの最高出力は115馬力を誇る。

あえて丸目4灯にこだわって手に入れたオーナーだが、貴重なこの個体をどのように入手したのだろうか?

「この個体は、いすゞ車の専門店で見つけました。私で3オーナー目のようですが、過去のオーナーが全塗装をしたり、内装の貼り替えを行っていたりと、かなりの手間とお金を掛けていたようです。117クーペは『私が勤める会社のクルマ』でもあるので、同僚には『古いクルマだし、大変でしょう?よく買ったね』と言われてしまいました」。

幼少期には「カッコワルイ」と思っていたはずのクルマを高校生になって魅了されたことから始まり、まさかメーカーの一員になってしまうとは…。1台のクルマがきっかけとなり、人生が変わってしまうこともあるのだ。しかも、驚くのはこれだけではない。

「私は職場まで自転車で通勤できる距離に住んでいるので、妻が1年ほどこの117クーペに乗って出勤していました。かろうじてクーラーは装備されていますが、MT車ですし、毎日大変だったみたいです。そんな経緯もあり、今は軽自動車を購入したので、117クーペは事実上、私の趣味車なんです」。

何と、117を購入した当初は奥様が通勤用に使っていたというのだ!古いクルマだけに、トラブルが起きたときは大変ではないのだろうか?

「現在もそうなんですが、燃調がうまく取れていなくて、エンジンの調子が今ひとつのときもあります。そういえば、常に何かしらのトラブルを抱えていますね(苦笑)。でも、できるだけ自分でメンテナンスしていますから、それほど大きな問題ではありませんよ。私にとっては、手が掛かるくらいがちょうどいいんです(笑)。現代のクルマは快適で乗りやすいし、ほとんどメンテナンスフリーだけど、どこか味気ない気がするんです」。

いすゞの社員ということで、気になる愛車遍歴を伺ってみることにした。

「お察しの通り、いすゞ車が多いです。ピアッツア ターボ、ジェミニ(ハンドリング・バイ・ロータス)、ビッグホーン…。いすゞが乗用車から撤退してからはスバルXVに乗っていました。そして50歳を機に、原点回帰の意味を込めて、現在の117クーペに乗り換えたんです」。

原点回帰とのことだが、それほどこの年代のクルマに忘れられないエピソードがあるのだろうか?

「旧車に魅せられたきっかけは、117クーペの記憶と、19歳のときに当時のアルバイト先の先輩が貸してくれた、トヨタ・スプリンタートレノ(TE47型)の影響が大きいですね。排気量1588cc DOHCエンジンと5速MTの走りに魅了されたことが忘れられなかったんです」。

旧車オーナーを取材しているときに必ず伺っていることがある。それは純正部品の確保とメンテナンスに関する点だ。

「部品の確保に困ったときは、まずできる限り自分で探します。万一の際は、専門店が部品を確保してくれていることもありますし、意外と何とかなりますよ。ただ、ゴム類は大変です。場合によっては自分で造ってしまいます。故障したときは、いすゞ車乗りが集まるSNSのコミュニティに相談することもあります。こちらが困っていると、必ず誰かが助けてくれるんです。旧車乗りにとって、喜びも悲しみも共有できる仲間の存在は本当に重要だと思いますよ。これが1人だったら持ち堪えられないかもしれません(笑)。若い方にも、そんな旧車を持つ楽しさを知ってもらいたいです。とはいえ、いきなり旧車デビューは大変かもしれないので、まずはネオクラシックと呼ばれるような1980年代のクルマが良いかもしれませんね」。

オーナー自身が勤務するメーカーがかつて造り上げた117クーペを愛車に持つだけに、特にこだわっている点を挙げてもらった。

「実は少しだけ車高を下げているんですが、できるだけオリジナルの雰囲気を残すことにこだわっているつもりです。私の個体は、当時、定番といえるほど人気が高かったマグネシウムホイールを装着しています。傷もありますが、あえて修復せずにそのままにしてあるんです。とはいえ、オリジナル志向には限界があるので、見えないところで現代の部品を流用したり、クルマのコンディションを維持することも気に掛けるようにしています」。

最後に、このクルマと今後どう接していきたいかオーナーに伺ってみた。

「私にとって、この117クーペは家族同然の存在になりました。もう現代のクルマには戻れそうにありません(笑)。華のあるクーペだけに、できるだけ錆などを取り除いて、常にきれいに乗ってあげたいです。40数年前に造られたような旧車ですから、壊れて当たり前。自分で直せるところは手間を惜しまず、ゆっくり・じっくりと楽しむくらいのゆとりを持ち続けたいですね」。

半世紀近くも前に造られた117クーペに対するオーナーの想いを、ジョルジェット・ジウジアーロが聞いたらどう思うだろうか。この個体のオーナーはもちろん、おそらくは多くの117クーペのオーナーが、自分の愛車がジョルジェット・ジウジアーロによってデザインされたことに誇りを持っているはずだ。

現代の子どもたちが117クーペを見たら、オーナーが幼少期に感じたように「カッコワルイ」と思うかもしれない。しかし、大人になったときに改めて117クーペに触れる機会があったら、その美しいフォルムに魅せられるはずだ。1969年当時、広告のキャッチコピーは「いすゞは無個性な車はつくらない」だったが、現代においても、その存在は色褪せるどころか、街行く人の目を引くほどの美しさを放っているではないか!!

このファストバックスタイルのフォルムを眺めていると、未来のクルマ好きに向けて117クーペの美しさを伝えていかなければ…そう思えてならないのだ。

(編集: vehiclenaviMAGAZINE編集部 / 撮影: 古宮こうき)

[ガズー編集部]