息子をきっかけに2度蘇ったサバンナRX-7(SA22C)。巨匠が仕上げた極上街乗り仕様【取材地:鹿児島】

  • マツダ サバンナRX-7 SA22C RE雨宮

軽快なNAロータリーサウンドを響かせ、吉野公園にやってきたこのクルマは1984年式とは思えないほど美しいマツダ・サバンナRX-7(SA22C)。それもそのはず、このサバンナは、チューニングカー業界で『ロータリーの神様』と呼ばれる雨宮勇美氏が代表を務めるチューニングショップ『RE雨宮』にてフルレストア&カスタムを施され、東京オートサロン2016のブース展示車両としてスポットライトを浴びた1台なのだ。
鹿児島県鹿児島市在住のオーナー、エイキチさんとこのサバンナとの出会いは今から30年前、エイキチさんがちょうど30才だった時期に遡る。

スポーツカーに興味を持ち始めたのは、幼少期にミニカーを買ってもらって遊んでいることが多かったという家庭の環境が大きかったと話すエイキチさん。いっぽうで、ロータリーエンジン車を所有したのはこのサバンナが初めてだという。そこに至るきっかけは大学時代の経験にあったそうだ。
「大学に通っていた20才くらいのころはスカイラインのジャパンに乗っていました。父がブルーバード、セドリック、グロリアを乗り継いでいた大の日産党で、その影響が大きかったんだと思います。2ドアハードトップでL型2Lターボのジャパンに乗って、地元でRX-3とかコスモのロータリーエンジン車を相手に競争していた思い出が残ってますね(笑)」

そんな1970年代後半から80年代前半にかけてはチューニングカーブームの黎明期。チューニング専門誌が誕生し、ゼロヨンや最高速チャレンジといったジャンルにおいて『日産・L型エンジンvsマツダ・ロータリーエンジン』という構図に皆が熱狂した。
「それもあったのか、自分のまわりのクルマ好きはマツダ党ばかりになっていって、なかにはディーラーに就職する人たちもいました。私自身も試しに友人のロータリー車に乗ることもあったし、相手にしてもやはりロータリーは速いという印象でした」

「初めてアマさん(雨宮勇美氏)に会ったのも学生のころなんです。自分は鹿児島に住んでいたので、アマさんは購読してるチューニングカー雑誌に毎号出てくるロータリーをイジる凄い人という印象でした。それで、東京にある私の母の実家に帰省で訪れるときに、東京の工科専門学校に進学していた友人から『アマさんのお店に行ってみない?』と誘われたんです」

「東京都江東区のお店にアポなしで突然行ったんですが、ラッキーなことにアマさんと会うことができたんです。雑誌で見たことのあるシャンテとかも入庫していて、アマさんはSAをイジっていたかな。それで『こんにちは!』と挨拶して、色々お話してもらった思い出があります。ただ、当時からそういうファンは数え切れないほどいたと思うので、アマさんのほうは私を覚えてなかったと思いますが(笑)」
そんな経験をしたのち、22才となったエイキチさんは大学を卒業。貿易会社に就職すると、1ヶ月に1度は転勤し、2ヶ月同じ場所に住むことはほとんどなかったというほど多忙な時期を過ごす。当然、そのあいだは自家用車を持つ余裕もなかったという。

  • マツダ サバンナRX-7 SA22C RE雨宮

「鹿児島に戻ってきたのは、30才になる手前で重度のヘルニアになってしまい、仕事をやめて療養することになったのがキッカケでした。歩くこともできないくらいだったんですけど、こっちで良い先生が見つかったおかげで完治しました」
そこで鹿児島での移動手段が必要となり探していたところ、マツダのディーラーで紹介してもらった中古車にサバンナがあったという。「本当のことを言うと、S30系のフェアレディZを諦めたカタチだったんですけどね(笑)。ジャパンに乗っていた当時は親から『スポーツカーすぎる見た目だからダメだ』と反対されたんですが、このときは予算の都合で諦めました」
こうして30才でサバンナを購入したエイキチさん。3年間はそれなりに自分好みのカスタムを加えつつ乗っていたが、結婚して所帯を持つこととなり、サバンナとのカーライフを一旦休止することを決意。父親が所有していた納屋に10年間ほど放置することになったという。

「もういちど、そのサバンナを動かそうと思ったのは息子が小学校5年生くらいになったころに『こんなクルマを持ってるんだよ』とサバンナを見せたのがキッカケでした。思いのほか息子の反応が良く、クルマも保管状況が良かったおかげか、その場でエンジンもかかってくれました。そこからマツダオートの友人といっしょに修理をして、サバンナの横に息子を乗せてドライブすることも増えていきました」

この頃から息子さんにとってもサバンナは身近な存在になっていった、とエイキチさん。RE雨宮がRX-7(FD3S)でスーパーGTに参戦していた時期でもあり、大分県オートポリスで開催されるレースを息子といっしょに観戦した経験もあるそうだ。
しかし、まだこの時点ではエイキチさんと雨宮氏の面識は、学生時代にいちど挨拶を交わしたことがあるだけ。しかも、いちクルマ好きのファンとして、である。
そんなエイキチさんとサバンナをRE雨宮に引き寄せるキッカケとなったのは、またしても息子さんだった。

「息子が東京都内の高校に進学することが決まったんです。そしてちょうどその頃、自分が鹿児島でやっていた商売が軌道に乗って、東京にも出店することになったんです」
エイキチさんは毎月のように東京へ出張し、ホテル代わりに息子の下宿先を訪れるようになったという。「それで、私も息子も興味があったものだから『せっかく東京にいるんだしアマさんに会いに行こう』となったんです。たしか2014年のことで、戸田のスーパーオートバックスのイベントにRE雨宮が出展しているということで行ってみたんです。あいにくアマさんはいなかったんですが、サバンナに乗っていることとレストアの相談もして、アマさんのもとでクルマを作ってもらうことになりました。アマさんからは『いまどきSAかよ~』って面倒くさそうな顔されちゃいましたけどね(笑)」

  • サバンナRX-7 SA22C RE雨宮 東京オートサロン

こうして『ロータリーの神様』アマさんの手によって蘇ったサバンナは、2016年に幕張メッセで開催された東京オートサロンにて、RE雨宮ブースの展示車両として飾られるという大役まで果たすことに。

レストアするにあたってのコンセプトは『現代の技術で進化系のチューニングをしたサバンナ』。幸いシャーシの腐食はほとんどなく、内装のレストアもフロアを塗り直す程度で完了。足まわりもダンパーをイチから設計可能な工作機械を持つショップに依頼することで、完全オリジナルの現代的なスペックへと進化を遂げたという。

「エンジンは20B(ユーノスコスモの3ローター)仕様がいいと言ったんですが、さすがにそれはバランスがわるいからと断られました(笑)。それでNAのまま、1世代新しいエンジンの13Bに載せ換えて、ペリ仕様にしてあります」
ペリフェラルポート仕様といえば、ロータリーエンジンのチューンとして最も過激なメニューだが、点火系やコンピュータまで最新技術を取り入れることで、街乗りでもストレスない快適なドライブが可能な仕上がりになっているという。

そして、エクステリアには“2人目のオーナー”として息子さんがこだわりを伝えた部分も。
「リヤバンパーの下側が、ノーマル状態のままだと急になにもなくなってしまうデザインで、違和感があったんです。そこを、サイドステップから自然なラインで後ろにつながるようにパーツを追加してもらいました」。もちろん市販のエアロパーツは存在せず、造形もこだわった部分のため、唯一オートサロンの出展時は間に合わなかった、というのが当時の裏話だ。

放置状態から復活する際、そしてRE雨宮でレストアのメニューを相談する際と、2度に渡って息子さんの存在が大きく影響したエイキチさんのサバンナ。そして、取材させていただいたこの日も往復の運転を担当してくれたのは息子さんだった。
そんな状況にエイキチさんは「息子がクルマ好きになってくれたおかげで、サバンナに乗ってくれる人間ができた」と、ひと安心の様子。

やり残したことはこのサバンナで首都高を走ること。また、カスタム面でもインダクションボックスの追加やフロア下まわりのフルフラット化など、まだやりたいメニューが残っているというが、息子さんのサポートのもとでその未来を実現できる日がやってくるのも、遠い話ではないのかもしれない。

(⽂: 長谷川実路 写真: 平野 陽)

[GAZOO編集部]