SNSの奇跡的な繋がりによって愛車となったTD-1001R

SNSのいい面をひとつ挙げるとすれば『共通点を持った人同士が、年齢や職業や距離の壁を超えて結びつきを持てる』ことだろう。千葉さんが現在の愛車と出会ったのも、SNSを通じて育んだ人と人との繋がりがキッカケだったという。

いわゆるスーパーカー世代である千葉さんは、物心ついた時からのクルマ好き。中学生の頃に最初に憧れたのが、英国伝統のスポーツカーブランドであるMGだった。代表作であるMGBなど、軽量オープン2シーターを数多く生産されたことで知られ、千葉少年はそのクラシックな造形や、颯爽と風を切って走る姿に胸を焦がしていたのである。
「ただ、ちょうどその頃にMGBの生産が終了(※1980年)して、MGもそこで一度歴史の幕を下ろしたんですよね。後にオープン2シーターが絶滅した時代と言われたりして、子供心にすごくショックだったことを覚えています」

多感な少年時代にオープン2シーターに魅せられ、いつかは自分も乗ってみたいと夢見ていた千葉さん。そんな長年の夢を叶えてくれたのが、オープン2シーターを再び世界の檜舞台に押し上げたマツダロードスターである。
「社会人一年目に購入したのがNA型のロードスターでした。Vスペシャルというグレードで、イメージしていた通りの軽やかな走りに、本当に夢が叶ったと実感しました。当時からカスタマイズも好きだったので、自分好みにいじったりもしたんですが、ロードスターっていじればいじるほどダメになっていくところもあるんですよ。最後の方はエンジンをキャブにしたりもして結局13年くらい乗ったんですけど、今思えばガチャガチャでしたね(笑)」

その後、お子さんが3人生まれたこともあって、送迎などに便利なクルマに乗り換えようと考えた千葉さん。ロードスターを手放すのは惜しかったが、思案した結果、乗り換えるならこれしかない!と決めたのが、なんとこれまた2ドアスポーツカーのFD3S型マツダRX-7だった。
「自分と子供3人が同時に乗れて、屋根がついていて、何より自分が欲しいと思える憧れのクルマ。その条件を満たすのがRX-7だったんです(笑)。ロードスターをきっかけにマツダが好きになっていましたし、一生に一度はロータリーエンジン搭載車に乗ってみたいという気持ちも強かったんですよね。購入した時に8万3000kmだった走行距離は、結局21万kmまで伸びました。本当にいいクルマでしたね」
家族との思い出もたくさん作ることができたRX-7を17年間に渡って所有したというが、年数と走行距離が伸びるにつれ、やはりどうしてもメンテナンスに費用と時間がかかるようになってしまい、泣く泣く売却することになったそうだ。

「直しては壊れての繰り返しで維持費がかかりましたし、修理に預けている間は通勤や外出に
も苦労するなど、悪循環に陥っていましたね。それで致し方なく手放すことにしたんですけど、ちょうど同じタイミングで15年来の知人が『クルマを乗り換えるので誰か買いませんか?』とFacebookにアップしていたんですよ。それが今乗っているTD-1001Rなんです」

かつてマツダでユーノス・ロードスターの開発を担い、子会社であるM2でロードスターのコンプリートモデルであるM2 1001を手がけた立花啓毅さんが、退職後にロードスター専門店のディーテクニックと共同で開発し、NB6C型ロードスターをベースに作り上げたコンプリートカー、それがTD-1001Rである。

搭載される1600ccのB6型直列4気筒エンジンは、圧縮比が高められているほか、吸気系に大型エアボックス、排気系にマキシムワークス製の4-2-1エキゾーストマニホールドなどで性能を高められたチューンド仕様。
足まわりもバネレートを高めたスプリングやレイズ製16インチアルミホイールなどでカスタマイズされていて、軽量化されたボディに専用のエアロパーツを纏い独自のスタイリングを実現している。
「TD-1001Rの存在は以前から知ってはいました。一度乗ってみたいなとは思っていましたけど、限定生産のコンプリートモデルなので、まさか縁があるとも思っていなかったんです」

そして、そんな希少車の元オーナーというのが、モータージャーナリストの鈴木ケンイチさん。千葉さんによると、もともとはSNSのオフ会を通じて知り合い、東京モーターショーを一緒に見て回ったのが親交を深めるキッカケ
になったそうだ。
他の人も多く反応した鈴木さんのFacebookの投稿に最も早く反応したのが千葉さんだったそうで「もう少し遅かったら買えてなかったかもしれません。すごくラッキーでした」と、SNSを通じた不思議な巡り合わせにも感謝しているという。

ちなみに千葉さんもメディア関係か、あるいはクルマに関係するお仕事なのかと聞いてみると、なんと本職はクルマとまったく関連のない小学校の先生。しかも現在は、早期退職を経てフリーランスティーチャーとして活躍しているという。
「今はいろいろな教育現場で担任をしたり授業を持ったりしています。学年も科目も年ごとに変わるんですけど、算数や理科、図工とか、コンピュータのプログラミングを担当することもあります。ちなみにSNSではそういった仕事関係だけでなく、シンプルにクルマが好きな人と繋がっている部分もあるので、ロードスターやRX-7を通じて知り合った友人も多いですね」

教育者である千葉さんは、根幹として「人」が好きなんだなと思わせるところがある。人が好きだからこそ、同じクルマ好きという共通点を持った「同志」や「仲間」と自然に繋がり、その出会いを純粋に楽しんでいるのだろう。その繋がりが巡り巡って、現在の愛車を手に入れるキッカケにもなったわけだ。

こうして千葉さんにとっては思わぬ形で手に入れることができた、生涯2台目のロードスター。
納車からおよそ1年半、NA型とNB型の違いもあるにせよ、コンプリートモデルならではの走りの違いを今、堪能しているところだという。

「記憶に残っていたNAのフニャフニャした剛性感とは違って、TD-1001Rに初めて乗った時は、こんなにしっかりしてるんだ!と感心しました。走行距離も15万kmですから、正直サスペンションもヘタっていると思いますが、それでもしっかり感が感じられるんですよね。エンジンにも手が入っていて、軽量フライホイールも入っていますから、とにかくビュンビュン軽快に回ります。通勤でほぼ毎日乗り、たまにロードスター仲間とツーリングに出かけますが、とにかく運転が楽しくて仕方ありません(笑)」

TD-1001Rは本来ノーマルマフラーを使用しているのだが、そこは千葉さんの好みで社外品に交換。出口をバンパーの形状に合わせてスラッシュカットし、自然な佇まいを表現したところもお気に入りだという。
また、ビタローニ製ミラーやサイドスカートの赤いラインなども、千葉さんが独自にカスタマイズしたポイント。ブレーキキャリパーのカラーを変更したり、オープン走行時の風の巻き込みを防ぐディフレクターを自作したり、細かな部分で自分の好みを表現している。

「言われないとわからないようなところを、DIYでカスタマイズするのが好きなんです」と語る千葉さん。パワーウインドウのスイッチの上に照明を追加し、ライトオンで点灯する仕組みも自ら製作。「もう何回脱着したかわからない」というメーターは照明をLEDに変更したり、ベゼルをタミヤカラーで着色したりと、こだわりが詰まっている。

ちなみに幌を格納した時に上から被せるカバーは、NB型ロードスターの純正オプション。そこには、マツダでNC型とND型ロードスターの開発主査を務め、23年に定年退職した山本修弘さんのサインが書かれている。
限定モデルであることに加え、さらにオンリーワンのポイントも備えているというわけだ。

「RX-7を手放した時は、自分でもかなり落胆してしまったんですが、TD-1001Rに出会えたことで、その悲しみが少し和らぎました(笑)。これからも自分のペースでちょくちょくいじりながら、大切に乗っていきたいと思います」
SNSでの奇跡的な繋がりが重なって千葉さんのもとにやってきたTD-1001R。1台目のロードスターもRX-7も10年以上所有し続けてきた千葉さんにとって、新たな愛車とのカーライフはまだはじまったばかりだ。

取材協力:大磯ロングビーチ(神奈川県中郡大磯町国府本郷546)

(⽂:小林秀雄 / 撮影:平野 陽 / 編集:GAZOO編集部)

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