120系から始まり、200系でさらに深化したクラウンとのカーライフ

  • GAZOO愛車取材会の会場である宮城県東松島市のKIBOTCHA(キボッチャ)で取材したトヨタ・クラウンハイブリッド(GWS204)

    トヨタ・クラウンハイブリッド(GWS204)

「ご主人は、癌の可能性がありますので、すぐに検査入院を。また、転移の恐れもありますので、必要であれば…」

その後は、今後の治療についてや、事務的な手続きを担当医が話してくれたが、どの言葉も現実味を帯びていないように感じ、どこか他人事だったという。ところが、病院を出て暫くすると、不安だとか焦りという負の感情に体が一気に侵食され、ぐるぐると何かが渦を巻きはじめたというのだ。検査の結果が悪かったら? 万が一転移していたら? と、悪い方向へと悩んでいた時、奥様がこう言ったという。

「入院の前にさ、クラウンで福島県に行かない? あっ! 桧原湖なんてどうかな? ボートにでも乗ろうよ!」

入院の1週間前だったため、このタイミングで!? とも思ったそうだが、シロクマさんは行くことに決めたのだという。なぜならすべてを前向きに捉えるために、最愛の家族と大好きなクルマで幸せな時間を過ごすのが、自分にとってベストだと感じたからだそうだ。

奥様曰く、シロクマさんはこのトヨタ・クラウンハイブリッド(GWS204)を購入してからというもの、四六時中眺めているということだ。クルマの周りをぐるぐる回って、角度を変えながら満面の笑みで見つめる姿は、もう“我が家のよくある光景”になっていると顔を見合わせて笑っていた。聞けば、コーティングを施行してからというもの、時間帯によって輝き方に違いが出てきたからだと言うのだ。

「妻は気付いていないですが、早朝出勤前の朝日が昇る頃や、帰宅後の夕暮れ時などにクラウンを眺めていることもあるんですよ(笑)。これらの時間帯が一番綺麗に見えるんです」

ライトからグリルの面がストンと落ち、前にいくにつれて滑らかに尖ってくるスラントノーズが気に入っている箇所で、それが朝日を浴びてキラキラするものだから、そりゃあ見ずにはいられないという。

そう話すシロクマさんが『クラウン』に乗り始めたのは、18歳当時、免許を取ってすぐのことだった。セドリックやジャパンに乗る友人が多かったそうだが、シロクマさんは絶対に120系のクラウンスーパーチャージャーと心に決めていたそうだ。

「17歳の時に読んでいたクルマ雑誌に、車高を低くしたクラウンが載っていたんですよ。30年以上前になるけど、当時は高級車で車高を下げるのが一部の間で流行っていてね〜。僕もそれをやってみたいと、クラウンを購入したんです」

シロクマさんは、初めての愛車がクラウンで大正解だったという。カスタムや走る楽しさ、何より、クラウンだったからこそ見られた景色や人との繋がりが沢山あったからだ。その後、20歳になった頃から1950~1970年代のアメ車にハマり、トランザムやダッチバンでトレーラーハウスを引っ張ってキャンプに行くというアメリカっぽいカーライフも送っていたそうだが、再びクラウンに乗りたいと思ったのは、初めて手にしたクラウンが良かったからに尽きるという。

「当時の僕は高校球児というやつで、甲子園に向けて野球三昧の毎日でした。ところが、手を怪我してしまって野球が出来なくなってしまってね〜。それから、やさぐれた時期もあったけど、今こうしてちゃんと生きていけるのはクラウンがいたからなんです。やっぱり、夢中になれる何かがあるって、人生にとってはすごく大事なことなんですよ」

シロクマさんがこまめに洗車をし、丁寧にシートを磨くのは、こういった気持ちの表れなのだという。クラウンに直接何かをしてもらったというわけではないが、寄り添ってもらっていることに感謝をしているのだとか。だからこそ、ダッチバンから乗り換えたのは、カクカクした昔ながらの130系クラウンだったそうだ。

ただ、人とは変わるもので、今までの愛車の共通点は“角ばっていること”だったのに、年齢を重ねるにつれ丸みを帯びたデザインに魅力を感じるようになり、140系クラウン、170系マジェスタ、現在の愛車である200系クラウンと「曲線を描くクラウンに魅力を感じるようになった」と、目尻に皺をギュッと寄せて笑った。

「この200系のクラウンは、発売当初に一目惚れをして10年くらい片思いしていて、絶対に乗りたいと思ったんですよ」

ちなみに、現在の愛車は結婚を機に購入したそうだ。なぜなら、車高を下げたマジェスタは雪国との相性が悪く、雪が降るたびに奥様が職場まで連れて行かなければいけなかったからだ。
そしてとある日、イオンの駐車場で行なわれた展示会に足を運んだ時に、まさにこのクルマをと対面し、見るや否や即決したそうだ。

奥様は、シロクマさん以上にクラウンを購入して大正解だったと言う。というのも、遠方に旅行に行った際に、ハンドルを全く握らなくてよくなったからだ。奥様のクルマで旅行した際は「そろそろ運転を変わろうか?」と尋ねると、二つ返事で「次のPAでお願いね」と返ってきたのに、クラウンになってからというもの「次のPAで10分休憩してから、また俺が運転するね」に変わったのだという。そういった感じで、シロクマさんが楽しそうにクラウンを走らせているのを見るのが、幸せなのだと優しい顔をした。

気分転換に行った福島県は、自分だけではなく、娘として可愛がっていたトイプードルの“マーヤちゃん”と、クラウンも精一杯シロクマさんを励ましてくれているように感じ、それに奥様は元気をもらったと話してくれた。

「運転している時間が、とても落ち着くんです。退院して2週間後に行った旅行、原点回帰のために訪れた母校のグラウンド、“マーヤ”を最後に病院に連れていった朝。楽しい時も辛い時も側にいてくれて、家族の転機は全てクラウンと乗り越えてきたから、一生手放すことはありません。というか、手放せないです」

それを聞いた奥様は、思わずハンカチで口元を抑えた。マーヤちゃんが天国へ旅立つ10日前、これが最後になるだろうとクラウンで旅行に行ったこと。病院で息を引き取り、想い出の場所をクラウンで巡った帰路。自分が落ち込んではいけないと気丈に振る舞うことが出来たのは、クラウンの存在がかなり大きかったそうだ。初めは、“シロクマさんの好きなクルマ”という認識だったのに、このクルマがいてくれたおかげで家族の絆が深まり、幸せな時間を過ごすことが出来たのだという。それもあって、クラウンは奥様にとっても、生涯で一番好きなクルマに変わったと話してくれた。

現在、シロクマさん一家は“茶太郎君”と“糸ちゃん”を家族として迎え入れたそうだ。後席に糸ちゃんと座り、ハンドルを握るシロクマさんと、その隣ですやすや眠る茶太郎君を眺めていると、燃費が良くて車内が静かで快適であることよりも、この空間が幸せで満たされていることこそが自分にとって重要だと朗らかに笑った。
「主人の術後、再発の可能性も考えられるということで、しばらくは検査に通っていたんです。毎月毎月、どうか何事もありませんように! と祈るしか出来ませんでした。先生に結果を聞いてホッとして駐車場に戻ると、必ずクラウンが待っていてくれました。優しい表情で“おかえり”と言われているようで、運転席に座った瞬間に肩の力が抜けたのを覚えています」

シロクマさんは、クラウンは大切なパートナーだという。とある旅行でレンタカーを借りた時に、楽しさが半減したのが良い例だと教えてくれた。
「クルマって、色々な楽しみ方があると思うんです。初めて乗ったクラウンはカスタムをして、その後の愛車達の中には走りにこだわったクルマもいる。じゃあ今は? と考えた時に、このクラウンは一緒に過ごす時間を大事にしているんだと思います。何をしている時でも、コイツといるとホッとする。そんな感じです」
それが分かったからこそ、このクラウンは純正であることに重きを置いているそうだ。唯一手を加えているのは、ホイールの王冠部分を黒のワンポイントが入った220系用に変えてるに留めている。

7年円前に走行距離3万kmで購入したクラウンは、週末と特別な日にしか乗っていないはずなのに、もうすぐ11万kmになるという。もうこんなに乗ったのかと思う反面、この8万kmの間に色々なことが起こり、人生の密度の濃さに驚いているそうだ。だからこそ手放したくないし、生涯乗り続けたいと、とても良い顔をした。奥様は深く頷いて、満面の笑みでシロクマさんを見つめていた。

(文: 矢田部明子 / 撮影: 中村レオ)

許可を得て取材を行っています
取材場所:KIBOTCHA(宮城県東松島市野蒜字亀岡80番)

[GAZOO編集部]

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