『セブンなくして今の自分は無い』RX-7に魅せられた男が語る、ロータリーと共にしたクルマ人生の軌跡

  • GAZOO愛車取材会の会場である千葉県の『さんばしひろば』で取材したマツダ・RX-7(FD3S型)

    マツダ・RX-7(FD3S型)


夜勤明けで疲れていたはずなのに、ハンドルを握ると体がみるみると回復し「気付けば箱根に向かっている」と話す、今回の取材対象者である『整治』さん。走って、走って、どこまでも走り続けて…。きっと自分のカーライフは、そうして終わっていくのだと、優しい表情を見せてくれた。

「今年で64歳になりましたが、セブンをセブンらしく走らせてやれるのは、あと何年くらいかな? と思うことがあります。おそらく、私に残された時間はそう長くはないんじゃないかと勝手に予想しているんですよ」
だからこそ、走りまくっているのだという。走るコースは決まっていて、旧国道1号線の畑宿から七曲りを通って、箱根神社の脇から大観山へ。芦ノ湖をぐるっと周ってから、周辺のスカイラインを行ったり来たりの『修行』をするのだそうだ。
そして、帰り道で温泉へ入って疲れを癒すというドライブは、自分にとって至福のひと時だと噛み締めていた。シートベルトを締めて、アクセルを踏んで、朝も昼も夜も、春も夏も秋もハンドルを握るのが最高だと言う。

そんな整治さんは、27歳の頃に中古の初代RX-7(SA22C型)に乗ろうとしていたところ『このクルマは、運転も維持をするのもそんなに甘いものじゃないわよ!』と姉から一喝されて、泣く泣くキャンセルしたそうだ。そうして数年後、仕事を掛け持ちして2代目RX-7(FC3S型)を購入し、そこから箱根へ通うようになったという。

「RX-7に乗れることが嬉しくて嬉しくて、頻繁に箱根へとドライブに行っていたんですけど、何故かシックリこないんです。う〜ん…何というか“乗っている”のではなく、“乗せていただいている感”が毎回あったんですよね」と、歯切れ悪く答えた。ただ、整治さんのすごいところは、これで諦めてなるものかとユーノス・ロードスターに乗り換え、運転のイロハを学ぶことからリスタートしたというところである。

「千代田区にあるホテルニューオータニで、ユーノスの発表会があったんです。車内を覗き込むと、最初に自分が乗りたかった初代RX-7と似たようなシンプルなインパネが目に入り、これならばと購入を決めました。ロードスターに乗り換えてからは、いつかもう一度、自分らしくRX-7を運転するために、冒頭でお話しした箱根の修行へと頻繁に行くようになったんです(笑)」

そんな整治さんがRX-7の虜になってしまったのは、44年前まで遡る。初代マツダRX-7にお姉様が乗ることになり、家に置いてあったカタログを何気なく捲ってしまったことからすべてが始まったのだという。
「当時私は学生で運転免許を持っていなかったし、クルマ好きというわけでもなかったので、『RX-7というクルマがあるんだ〜』と思うくらいでした。そんな曖昧な相槌を打ちながらページを捲っていると、リヤウインドウ側がメインとなった写真が出てきたんです。それがものすごくカッコ良く見えて! それで一目惚れしてしまったというわけです」

間もなくしてお姉様のRX-7が納車され、早速ドライブに連れて行ってもらったそうだ。覚えているのは、実車がカッコ良かったどうのということではなく、ボディのあちこちが子供の手垢だらけになっていたことだという。
その真相は、近所の子供達に『ヘッドライトを上げて見せて』『中がどうなっているのかが見たい』等々せがまれ、RX-7がかなりの人気者になっているということだった。その話を聞いて「惚れたのは自分だけではなかったか」と、思わず笑みが溢れたのを覚えていると嬉しそうに教えてくれた。

それから時は過ぎ、2代目RX-7(FC3S型)に乗り、運転技術を磨くためにユーノス・ロードスターへ乗り換え、そしてもっとパワーのあるクルマに興味が移って、初代インプレッサWRX(GC8型)に乗った後、様々なクルマを乗り継ぎ…現在の愛車であるRX-7(FD3S型)のハンドルを握るようになったという。
FD3S購入のキッカケは、たまたまテレビで放送されていた『プロジェクトX〜挑戦者たち〜』という番組を見たからだ。
その番組内で、ル・マン24時間レースで“日本車初の総合優勝”の映像が流れた時、胸にジリジリとした熱いものが込み上げてくるのを感じたのだとか。

「世界でマツダだけが量産のロータリーエンジンを生産していて、あの過酷なル・マン24時間レースで勝っている。そういった、世界に通用するロータリーエンジンを搭載しているRX-7に再び乗りたいと、番組を見終わってから強く思ったんです」

幸か不幸か、ちょうどそのタイミングでRX-7(FD3S型)の生産終了が発表されたため、買わずに後悔するならローンでも良いから買ってしまえ! と意気込んでディーラーの門を叩いたのだという。
そこまでは良かったのだが、数十年前に購入した2代目RX-7(FC3S型)と比べると、車両価格が2倍近くまで上がっており、営業マンが説明をし始めてすぐにめげそうになったと「ハハハ…」と乾いた笑いを響かせた。

それでも乗りたくて、2002年に愛車として迎え入れたRX-7(FD3S型)は、関東マツダが販売した限定モデルとなっている。タイプRグレードをベースに、リヤウインドウにデカール、通し番号入りのメタルステッカー、そしてダークブルーの17インチBBS製ホイールかHIDのヘッドライトをオプションで選択できるという“お買い得仕様”だ。
整治さんは迷わずBBSホイールを選び、さらに値段交渉の末、オートエクゼ製のマフラーをサービスで装着してもらったとニヤリ。

搭載しているエンジンは、国内外のモータースポーツで輝かしい戦績を残してきた名機13B型ロータリーエンジンの13B-REW。2代目RX-7に搭載されていた13Bエンジンと大きく違うのは、タービンがシングルからツインへと変わったことだ。低回転域では片方のタービンを、高回転域では両方のタービンを使って過給機を行なう“シーケンシャルツインターボ”という仕組みが取り入れられたことで“トルクと燃費が大幅に改善された”と、カタログに書いてあったそうだが…。

整治さんいわく、良くも悪くもターボエンジンらしく、ターボラグは少なからず存在するとのこと。ただ、逆を言えば、ツインのタービンが稼働状態になった時の一気呵成、怒涛の加速力はかなり魅力的だと微笑み、これにハマる人はきっと多いであろうと、自信満々に鼻を鳴らした。

「走行距離は12万4000kmを突破しましたが、大きな故障と言えば、ソレノイドバルブの故障くらいなんです。会津地方にドライブに行った時に、ターボで過給ができなくなってしまい、仕方なく下道で帰ったことが一度だけありましたね。ロータリーエンジン車のオーナーが経験しがちな“エンジンオーバーホール”は今のところ無縁だし、年に2回ほどのオイル交換とディーラーでの定期点検整備、そして車検時の整備のみで元気に走ってくれています」

経年劣化によるオルタネーターの交換やバッテリー交換はしているそうだが、今のところ大きなトラブルはまったくないという。続けて、だからこそ心配なのは、これから何かあった時に頼れる、ロータリーエンジンを触れる整備士さんが日本全国で少なくなってきていることだと腕を組んだ。

「いつかはそうなるだろうと予想していましたが、ついに、RX-7の整備をディーラーで断られるようになったり、純粋なロータリーエンジン車がマツダのラインナップからは無くなり、ロータリー付きEV車が店頭に並ぶようになりました。これも時代の流れなので、ある程度は仕方ないんでしょうが、寂しくもありますね〜。だからこそ、日本のモータリゼーションにしっかりと足跡を残したRX-7を大切に維持し続けて、次のオーナーさんに無事に手渡したい。かつて、日本にはこういう素晴らしいクルマがあったという事実を繋いでいきたいんです」

「RX-7無くして今の自分は無いし、これほどまでにクルマ人生に彩りを添えてくれたことに感謝しかない」と話してくれた整治さん。RX-7に乗ることで多くの友人ができたこと、そしてその関係が未だに続いていること。それらのすべてに感謝したいという、熱い胸の内を話してくださった。

「だから、私は“セブン”と最後まで走り続けます。一人の男を、いや、日本の…世界のクルマ好きの心を揺さぶるセブンで走り出さずにはいられないんです」
そう言い残して、颯爽と会場を後にしていく姿を見送る筆者の中にも、沸々と希望のようなものが溢れ出てきた。走れRX-7。これからも沢山の人の想いを乗せて。

(文: 矢田部明子 / 撮影: 平野 陽)

※許可を得て取材を行っています
取材場所: 千葉みなと さんばしひろば(千葉県千葉市中央区中央港)

[GAZOO編集部]