「僕がクルマ好きになった原点」小学5年生の時に出逢ったサバンナRX-7と歩んできた人生

  • GAZOO愛車取材会の会場である倉敷スポーツ公園で取材したマツダ・サバンナRX-7(FC3S型)

    マツダ・サバンナRX-7(FC3S型)



自動車は機械、工業製品にすぎない。しかしこの愛車取材を重ねていると、クルマには魂があり、オーナーとその愛車との出会いは本当に運命だったのかもしれないと思うことが時々ある。

ここでご紹介するマツダ・サバンナRX-7(FC3S型)は、オーナーである『テストドライバー』さんが小学生の時に一目惚れをし、クルマに興味を持つキッカケとなったクルマそのものである。
そして、このRX-7を手に入れるまでの経緯は、数奇な巡り合わせが絡んだとても興味深いものであった。

彼がこのクルマを手に入れたのは高校3年生の時だが、出逢いは小学5年生の時だった。

「スポーツ少年団でバレーボールをしていたんですが、小学5年生の頃にRX-7に乗るクルマ好きなコーチがやってきたんです。コーチは凄くカッコよくて僕の憧れでもありました。RX-7の横に乗せてもらったり、一緒に洗車させてもらったりしているうちに、僕もすっかりクルマ好きになって『憧れの人が乗っているRX-7に自分もいつか乗りたい!』と思うようになっていったんです」

そんなテストドライバーさんは、中学生になるとRX-7に乗ることを前提に、『CARBOY』や『OPTION』、『OPTION2』といったカー雑誌を毎月欠かさず購入するように。中でも当時、誌面懸賞に応募して当選した『限定テレホンカード』は今でもお宝のひとつと、取材会場にも持参してくれていた。

憧れのコーチには、中学生や高校生の頃までちょくちょく会っていたそうで『18歳で運転免許を取ったら、このクルマに乗りたいから売って欲しい』と約束していたという。しかし当初、その願いは叶わなかった。というのも、コーチは彼に知らせず新車のアルテッツァに乗り換えて、このRX-7を下取りに出してしまっていたからだ。

「そんなことは知る由もない僕は、高校3年生になったばかりの5月、同級生の子からたまたまその通学路にあったお店でこのRX-7が『9.8万円のプライスボードがついて売られていたよ』と教えてもらいました。驚いて部活が終わった後に学ランのまま自転車で見に行ったら、中古車屋さんではなく、なんでも売っているリサイクルショップのような場所に赤いRX-7が並べられていたんです。

「そのクルマを確認してみると、ナンバーも同じでサイドに貼られたステッカーも全く同じ位置に貼られていたので『これ絶対コーチが乗っていたクルマや』と確信しました」

このままでは、彼の憧れだったこのクルマが他の人の手に渡るか、廃車となってしまう運命に…。テストドライバーさんにとって、そんな結末は絶対に許容できるものではなかった。彼はその場で店長に「これ、絶対に欲しいのでどうか売ってください!」と、事情を話し頼み込んだそうだ。そして店長も『わかった。ちゃんとお金が払えるんだったらいいよ』と承諾してくれたのだという。“憧れだったこのクルマを手に入れたい”という、彼の情熱は本物だったのだ。

「流石にその日は無理だったので、数日後に自分で用意できた6万円と、友人から借りた4万円で10万円を用意してお店に行き、無事にこのクルマを購入しました。ただ、このクルマを買ったことは親に内緒にしていて。事前に相談したところで運転免許もないし、置く場所もなかったし、絶対に許可なんてもらえないとわかっていたからです。結局、父親に電話で伝えたのは、運転免許のない僕のために店長さんがクルマを家まで運んでくれると言ってくれたタイミングでした。案の定『黙って買いやがって! すぐに返してこい』と大激怒でしたね(苦笑)」

「親には『絶対に手放したくない』といった想いを必死に伝えた覚えがあります。結局はなんとか許してくれて、父親と一緒にRX-7を引き取りに行きました。ただ、家の駐車場には1台しか置けなかったので、ひとまずは父親のクルマを私道に出して、僕のクルマを屋根付きの駐車場に置かせてくれました。これがその時の写真です!(笑) その後は近場の駐車場に移しましたけどね」

こうして高校3年生の5月、奇跡的な偶然とそのチャンスを逃さなかったことで、ついに憧れだったコーチのRX-7を手に入れた。ちなみにコーチが彼に黙ってRX-7を下取りに出した事情については、後に本人から聞いたそうだ。

「コーチは僕の親を知っています。そんな中で、もしこのクルマで僕が大事故を起こしてしまったら、僕の両親に申し訳ないっていう理由があったみたいでした。『ほんまにゴメンな』と謝られましたね。でも、結果的に僕の元にちゃんと来てくれたので良かったです。ちなみにコーチが下取りに出したあとは、それを担当した営業マンが一瞬だけ所有していたらしいです。その後、リサイクルショップで売られることになった経緯まではわかりませんけどね」

無事に手に入れたのは良いものの、実際に乗り始めるまでにはまだまだ課題が山積みだった。まずお金がないため、税金が払えないからとナンバーを一時抹消。そして購入の1ヶ月後、教習所に通いはじめて、18歳の誕生日の日に仮免許を取得。7月には無事免許を取得した。ちなみに免許取得費用は昔から親が出してくれることが決まっていたため、そこでは金銭的に困ることはなかったという。

ただ、彼が購入したクルマは1991年式のマツダ・サバンナRX-7(FC3S型)で、購入時の走行距離はすでに12万kmに達していた。そのため消耗しているパーツも多く、安心して乗れる状態にするためには、メンテナンスや修理が必要だったという。

「車検代や修理費用を捻出するために、まずお金になりそうなものを全部売りました。その後8月でバレー部を引退し、すぐに倉庫でフォークリフト作業のアルバイトを始めて、軍資金を稼いでいましたね。ちなみに僕が所属していたバレー部は強豪校で、本当は『冬の国体までやってほしい』と言われていたのを断ったんです。その時には、もうバレーボールよりクルマが最優先になっていましたから。なにせ、当時先生にはクルマを買ったことや免許を取りに通っていることも黙っていた状態でした(苦笑)」

「クルマを運転するようになって3ヵ月目。夜中走っていた時に、突然バックミラーがバーンと明るくなってステアリングが重くなり…エンジンブローでした。ブローしたエンジンは、まだ高校生で分からないなりに載せ替え作業を手伝って、その冬のうちに復活させました。このときも、お金を作るために、購入時に装着されていた17インチのレイズ製のボルクレーシングGr.CV PROホイールを、バイト先の先輩に7万円で売ったりしましたね…」

さらに、20歳の頃には激しい事故を経験してしまう。その時に助けてくれたのが、知り合いの鈑金屋さんだった。

「元は10万円で買ったクルマだったので、修理代のほうが掛かるといった状況でした。けど、僕は絶対にこの個体じゃないと嫌だった。そうしたら鈑金屋さんが『10万円でええで。直してやる』と、僕のクルマより綺麗なドナー車を見つけて、そこからボディ外板の移植手術と全塗装をして復活させてくれたんです。本当なら余裕で100万円くらいは掛かっていたはずです。本当に、感謝しかないです」

そんなテストドライバーさんは、高校卒業後に自動車整備士の専門学校へ入学し、その後はトヨタディーラーに就職。しかし“クルマをいじること自体が、そこまで好きではない”と思い始めていた頃に、偶然見かけた『テストドライバー募集』の求人チラシを見て『チャレンジしてみたい!』と応募し、見事に合格したという。
そして23歳の時に、現在の職場である住友ゴムに転職し、現在はダンロップの新車装着向けのタイヤや、オフロードタイヤのテストドライバーとして汗を流しているそうだ。

テストドライバーさんが特殊な職業にすんなり転職できたのは理由があった。
「18歳の頃、クルマ好きの先輩からダート走行練習用のシティを3万円で譲ってもらって、それで腕を磨いていました。ダートトライアル競技には20歳の頃からプライベーターで参戦していたので、その経験を買われたんだと思います」

そんなダートトライアル競技では、これまでに全日本のシリーズチャンピオンを3回も獲得し、現在もGRヤリスで参戦し続けているというのだから、流石がとしか言いようがない。
「社員でモータースポーツをやっている人はあまりいないので、やっぱりクルマ好きな人が開発に携わっているんだよというのを知ってもらいたいという気持ちで頑張っている面もありますね」と目を細める。

RX-7の購入から25年経った現在は、生活環境も変わってガレージ内にしまっていることが多いというが、ナンバーは切らずいつでも動かせる状態だという。ただ、何年間かはナンバーを切って保管していた時もあったのだとか。

「他のクルマにも目移りしてしまって、同時に維持できなかった時期があったんです。でも10年くらい前、18歳の新入社員の子が嬉しそうにFC3Sの特別なモデルに乗ってきたのを見て『自分もRX-7をキカッケにクルマ好きになって、この仕事もしているのに、何やってんだろう。自分も乗らなあかんな』と思い直し、復活させたんです」

彼にとってこのクルマは“クルマ好きになった頃に原点回帰できるタイムマシンのようなもの”だと言う。そのため、今でも車内で聴くのは当時流行ったユーロビートや相川七瀬の曲ばかり。鍵もコーチが使っていた頃からの純正キーを今も愛用し、ホイールも購入時の形を再現したいと、数年前に中古で買った18インチ版のボルクレーシングGr.CV PROを履かせている。また、クルマの整備も、当時このクルマを買って車検整備をしてもらっていたメカニックさんに今でも見てもらっているそうだ。

「今でこそ、競技車両など色々なクルマに乗っていますが、エンジンをかける瞬間、あの時のドキドキ、ワクワクした感じが蘇るのはこのクルマだけです。これじゃなきゃダメなんです。そして、整備だったり鈑金だったり、お世話になった沢山の方々のお陰で今も維持できているんです。だからこそ絶対に手放さないし、最期まで乗り続けます」

数奇な運命とオーナーの強い愛情で、真の愛車となったサバンナRX-7。その後のクルマ一筋となる人生のキッカケともなった、かけがえのない存在。
やはり、小学5年生の“あの時”が運命であったのだ。

(文: 西本尚恵 / 撮影: 清水良太郎)

※許可を得て取材を行っています
取材場所:倉敷スポーツ公園(岡山県倉敷市中庄3250-1)

[GAZOO編集部]

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