走りを忘れた大人を目覚めさせた通勤快速車ホンダ・アコードユーロR
ディーラーの整備士を経て、新潟工業短期大学で准教授として教壇に立つKさん。若かりし頃はサーキット走行やジムカーナといったモータースポーツに興じていました。
結婚を機にモータースポーツ活動を停止、眠りに就いたKさんですが、その眠りから目覚めさせたのはマニュアル車のアコードユーロRでした。
――現在のホンダ・アコードユーロRは何台目の愛車になりますか?
初めての愛車は、学生時代にサーキット走行やジムカーナに出場するために買った、ホンダ・バラードスポーツCR-Xでした。それから数えて8台目のクルマですね。
途中、左ハンドルにも興味があったのでオペル オメガ ワゴンやフォルクスワーゲン ヴェントVR6と乗り継ぎましたが、以降はホンダ車ばかりですね。
――輸入車からまたホンダ車に戻ったのは、何か心境の変化があったのですか?
2008年頃に世界的な原油高騰の影響で、ハイオクガソリンが200円を超えたとき、家族用のクルマがシボレーアストロ、通勤用のクルマがフォルクスワーゲン ヴェントVR6だったんです。
うちの奥様から、自動車税も高いし、ガソリンも高くなったし、小さいクルマにしなさいと言われて、それぞれホンダ ステップワゴン、オートマのフィットに乗り替えました。
――久しぶりのホンダ車はどうでしたか?
フィットは、想像以上に走らなくて……。僕的にかなりウップンが溜まり、4年間ほどでアコードユーロR(CL1型)に乗り換えました。
アコードは久しぶりのマニュアルということで、走りを忘れた大人が目をさました感じになりましたね(笑)
しかしこのアコードは24万キロを超えた頃、下回りの錆が深刻化して乗り替えることになりました。新潟県は冬期間に融雪剤を撒くので、その影響ですね。冬の間は、定期的に下回りを洗浄していたのですが……。ホント残念でした。
すごく気に入っていたので、同じ型のアコードを探したのですが、いい車輌に出会えず、妥協して一世代後のアコードユーロR(CL7型)を購入しました。これが現在の愛車です。
――ホンダ・アコードユーロR、新旧、比べてどのように違いますか?
いま乗っているアコードはK20A型エンジンにクロス化された6速マニュアルの組み合わせで、戦闘力抜群。しかし、頭の良いi-VTECのため、低速カムから高速カムへの切り替わりがスムーズで、レッドゾーンの8400rpmまで一気に吹け上がる感じなんですよ。
一方、先代のH22A型エンジンは5000rpmを越えると、一旦トルクの谷ができるんですよ。そこから、「来るぞ、来るぞ!」みたいなターボラグ的な感じがあって、高速カムに乗っかって、おお!きたぁぁぁぁぁ!と、「カ――ン!」と甲高いエンジン音とともにパワーが出てくるんですよ。
エンジンフィーリングは、僕としてはK20A型よりH22A型のほうが断然面白いですね。
――やはりもう少し時間をかけてCL1型アコードを探した方がよかったと思いますか?
妥協?して乗り始めましたが、今は良かったと思っています。クルマとしてのトータルバランスは格段に良くなっていますし、間違いなかったと思いますね。
クルマの剛性が上がり路面からのインフォメーションも先代モデルより格段に良くなっていますし、遮音もしっかりしていて耳障りなロードノイズも入ってこない。質感も高く、街乗りにもしっかり対応していますね。
――カスタム等は何かなさっていますか?
今までの経験で街乗りに重点を置き、車検も通るカスタムをしています。
もともと中古で購入時、サスペンションは室内から減衰力が調整できるCUSCO車高調整サスペンションが装着されていました。
私は、ホイールはワーク エモーション CR kai、タイヤはポテンザS001を標準サイズ215/45-17から225/45-17に変更して組んでいます。
理由は、タイヤの高さを確保して、たわみが若干大きくなることでタイヤと路面のグリップの感触がステアリングやシートなどドライバーに伝わりやすくなりますからね。街乗りはコントロール性が大切ですね。
ドライビングポジションも最適化しています。ポジションが低くなると、頭部や体の移動量が少なく安定したドライビングができます。低くしすぎると運転しにくくなるので、高すぎず、低すぎずがベストですね。また、ハンドルの中心とカラダの中心が一致することや、ペダル類の操作性の確認も大切です。
本当はマフラーも交換したいのですが……。うちの奥様から深夜の帰宅や早朝の出勤で、ご近所様に迷惑がかからないようにしなさいと言われているためS2000用マフラーカッターに留めています。
――クルマ以外の趣味は何かお持ちですか?
最近はバイクで気分転換を図っています。結婚を機にバイクを降りていたのですが、数年前にホンダVFR400R(NC30)を購入し、久しぶりにバイクに乗り始めましたね。
やっぱり私たちの年代はレーサーレプリカが大好きですよね。ヘルメットは高校生時代に熱狂したフレディ・スペンサーレプリカ。昔ほどちょっと攻めたりしませんが……。ときどき、妻を後ろにのせて海を見に行ったり、適度に楽しんでいます。
――バイクのエピソードとか思い出とかありますか?
バイクの思い出といえば、高校2年生の春休みに、20年ぶりにロードレース世界選手権が鈴鹿サーキットで開催されることになりました。中古車洗車などのアルバイトをして購入したホンダ ビートで、同級生と2人、原付2台で、新潟県新発田市から三重県鈴鹿市までバイクの旅をしましたね。
まだまだ寒く、日の出から日没まで走っても、原付では300kmが限界。初日は富山県辺りで高速道路のガード下で寝袋に包まり野宿し、丸二日かかりって鈴鹿サーキットに到着しました。
高校生でお金がなかったので、ホテルではなくテント村に宿泊しました。その時、共同浴場でランディ・マモラ選手本人?それともそっくりな人?と遭遇しました。99.99パーセント間違いないと思うので、私たちの間ではマモラ選手が共同浴場にいたことになっています(笑)
帰りも丸二日がかりで、高校生2人の5日間に渡る鈴鹿サーキット往復旅は一生の思い出になりました。
――現在、母校である新潟工業短期大学で准教授をなさっているとお聞きしましたが、卒業後、すぐに教員になられたのですか?
いえ、ホンダ系のディーラーへ就職しました。本当はテストドライバーやレーシングドライバーになりたかったのですが、当時は情報もなく、ホンダ車が好きだったので……。その時は数年整備士をしてある程度たったら、営業マンになろうか~的な感じでしたね。
――営業に行かず、整備士に留まったのは何か理由はありましたか?
入社後もジムカーナ参戦を継続していて、仕事が終わってから、朝方まで工場で自分のクルマのミッションをおろしてLSDを組んだり、サスペンションを組んだり、マイガレージのように使えた良い時代でしたね。
それが自動車整備士への興味や、仕事のモチベーションにつながったように思いますね。
――新潟工業短期大学の教員になるきっかけは何だったのですか?
当時は自動車整備士としてアメリカ進出に憧れていた時期で、英会話教室にも通っていました。アメリカのカリフォルニア州で短期間ですがホームステイもしたことがあるんですよ。
そんな30歳直前、新聞の公募で現職の採用情報を知ったんですよ。今回採用されなくても、次の機会につながればよいと気楽に応募してみましたが、それが予想外に合格し転職を決断ました。
――学生さんにどのような科目を教えていますか?
当初、溶接やアライメントの実習を担当していましたが、現在は学科で1年定期点検をベースにした点検方法や故障探究方法を解説しています。実習では電子制御式燃料噴射装置の構造、故障診断や1年定期点検整備を教えています。
1級整備士を目指す専攻科の授業では、演習科目を担当し全員が国家試験に合格できるよう頑張っています。
研究は、定容燃焼器を用いて、エンジン内部でおこる燃焼現象を高速度カメラで撮影して解析しています。また、近年あおり運転が話題になっています。その対策としてマナー向上の啓蒙活動も行っています。最近では整備士教育に関する研究も行い、学会で発表しています。
卒業生に学生時代からバイクのレース活動をしていた学生がいました。全日本ロードレース選手権にフル参戦となったときに、若い時の気持ちがふつふつと沸き上がり、学生2~3名を同行させて、タイヤの管理やカウルの清掃などを担当しました。
あわせて、スポンサー獲得に向けて営業活動も行っていました。卒業生ライダーのサポートは、3年間ほど実施しましたが、これは本当に良い経験になったと思います。機会を与えてくれた卒業生ライダーに感謝しています。
――電子制御式燃料噴射装置ですか。キャブレータ止まりの私からすればかなり高度なことをなさっていますね。学生さんに教える上での注意や工夫はどのようなことをなされていますか?
教員として、日ごろから気をつけていることは、プロとして、しっかり授業準備をすること。ゆっくり話すこと。黒板を書いたら、学生がノートをとる時間を確保すること。わかりやすくシンプルに楽しく教えることなどを心がけています。
――世間では学校の教員は学生さんが帰ると仕事が終わりと思われている方もいると思いますが、実際は次の日の準備とかもあり、かなり大変ですね
朝は7時前に出勤、帰りは時には日をまたぐことも。土日はイベントで休日出勤。意外とブラックです(笑)
ですが……やりがいは200パーセントで毎日が充実していますね。アコードユーロRに乗り換えた頃からは、帰宅時に睡魔と闘うことがなく楽しく通勤できていますし(笑)。
――最後に、Kさんのクルマの原点はやはりモータースポーツですかね?
原点ですか?いまよく考えてみたら、ペダルカーですね(笑)。子どもの頃に、家の前の私道にコースを書いてもらい、ダルマセリカのペダルカーを漕ぎ、毎日のように走り回っていたらしいですね。
もちろん、サーキット走行やジムカーナなどで、限界の挙動で走って習得した運転技術が普段の安全運転につながっていると思うんですよ。街中を走っていても危ない時もあるじゃないですか。そんな時、危険を回避できたりとか、今まで無事故でいられたのも、モータースポーツで得た運転技術があったからだと思います。
息子も免許を取って1年経ったので、一緒にジムカーナを始めようかなと思っています。その時は、このアコードユーロRでダブルエントリーですね。ゼッケンを2枚貼って、30年ぶりに復帰したいですね。
今度は息子さんも加わって、これからもアコードユーロRとの思い出がたくさん増えていきそうですね。
(文:よしのけんいち)
[GAZOO編集部]
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