豊田社長「新型スープラでの参戦は私の悲願」総合41位完走…ニュル24時間
TOYOTA GAZOO Racing(TGR)は、6月22日から23日にかけてドイツで開催された「第47回ニュルブルクリンク24時間耐久レース」に参戦、スタートとフィニッシュ含めた4スティントをモリゾウ選手(豊田章男社長)が担当した90号車トヨタ「GRスープラ」は総合41位(暫定44位、クラス3位)、56号車レクサス「LC」は総合54位(暫定59位、クラス1位)で完走を果たした。
158台がグリッドに並んだ本戦は、22日15時30分にスタート。56号車LCは蒲生尚弥選手、90号車GRスープラはモリゾウ選手がスタートドライバーを務めた。トップグループからのスタートとなった56号車LCは快調に走行を重ね、総合30番手以内のポジションをキープ。同グループの最後尾スタートとなったモリゾウ選手の90号車GRスープラも順調なスタートを切り、じわじわと順位を上げていった。
しかし、高い気温はドライバーの集中力を奪うと同時にクルマを容赦なく痛めつけ、コースのあちこちでクラッシュが続出。クラッシュがさらなるクラッシュを呼び、レースはサバイバル戦の様相となっていった。
スタートから約8時間が経過したころ、56号車LCのトランスミッションからオイルが漏れるトラブルが発生。大事をとってトランスミッションを交換する作業を選択した結果、2時間超のピットインを強いられた。同じころ、快調に走行していた90号車GRスープラも当時トップを走行していた車両と接触。幸いにもそのまま走行を続けられたが、不安を抱えながらの走行となった。
夜が明けた23日。実はこの日は、TGRにとって決して忘れることのできない日だった。モリゾウ選手の運転の師匠であり、TGRの原点となった「GAZOO Racing」をともに立ち上げたトヨタ自動車のマスタードライバー、故・成瀬弘氏がニュルブルクリンク近郊で急逝した日が、9年前の6月23日だった。今年のニュル24時間耐久レース、そして23日は豊田社長にとって、そしてチームにとっても特別な日であり、新型スープラで走ることは豊田社長の悲願でもあった。
「もっといいクルマづくり」を追い求め、「GAZOO Racing」を立ち上げた豊田副社長(当時)がニュルブルクリンクでの走行トレーニングを始めたのが2001年。その翌年、スープラは生産終了となる。
その後しばらくトヨタからスポーツカーが発売されることはなく、多くのカーメーカーが発売前のプロトタイプを走らせるニュルブルクリンクにて、トヨタ自動車のテストドライバーたちは、既に生産を終えた“中古の”スープラで走らざるを得ない日々が続いた。「他社は数年後に世に出すクルマを鍛えている場で、自分たちには中古のスープラしかない」。このことが本当に悔しく、いつの日かスープラを復活させ、ニュルブルクリンクの厳しい道で鍛えて世に出したいと豊田社長は想い続けてきたという。
そんな想いを乗せた90号車GRスープラは、夜が明けてからもまるで接触がなかったように快調に走行を続ける。LCもトランスミッション交換後は順調に走行を重ね、15時30分、GRスープラは総合41位(クラス3位)、56号車LCは総合54位(クラス1位)でチェッカーを迎えた。
◆豊田章男 チーム総代表のレース後のコメント
まず最初に皆さん、ありがとうございました。今日は、成瀬さんの命日でありました。
私が午前中、10時から乗るということを聞きまして、実は予定では9時でした。それが10時になったという意味を自分なりに考えますと、ちょうど6月23日の現地時間10時くらいに事故が起きて、亡くなった時間だったんですね。それで私が成瀬さんの事故の時間にハンドルを握ることになるんだということで、非常に緊張をいたしました。このスープラのカムバック、そして、ニュル13年目の挑戦。いろんな思いが、その3回目のスティントで頭に入って、運転どころではなかったというのが正直な感想でありました。
ただ、今日、皆さんが話してくれたことを成瀬さんは聞いてます。成瀬さんが亡くなった時、葬儀に行きました。そこでやりたいと思うやつだけでいい、ついてきてくれということで続いてきたGR活動です。これが多くの方に応援され、もっといいクルマづくり、クルマづくりの人材育成のど真ん中に、この活動が入ってきたというふうに思います。
本当にここまで支えてくれた皆さんに感謝申し上げると共に、私は、この話になると涙ぐむんですね。なぜかとクルマの中で考えてみました。多分、悔しさです。
13年前、トヨタも名乗れず、このニュルで、成瀬さんとほぼ2人でプライベーターよりもプライベーターらしい、本当に手づくりのチームでここに来ました。その時の誰からも応援されない悔しさ、何をやってもまともに見てくれない悔しさ、何をやっても、ハスに構えて見られてしまう悔しさ。そして生産中止になったスープラで練習をしてる悔しさ。全ての悔しさが、私自身その成瀬さんが亡くなった6月23日に社長に就任した時からの、ずっと私のブレない軸でもあります。
ですから、私がもっといいクルマをつくろうよということだけしか、社長になって言わないのは全てその悔しさであります。そして今日も、悔し涙を流した。その悔しさは絶対に自分を強くするし、この活動の目的である「良い仲間」をつくるし、そしてもっといいクルマをつくると思います。そんな思いを持って、冒頭「ありがとうございました」と皆さんに申し上げました。
本来はこのレース、(ずっとスープラの開発を担当してきた)矢吹が出るレースだったと思います。それをスタート、フィニッシュ含めた4スティントを担当させていただきましたが、こういう日でなければ、「矢吹お前乗れよ」と言ってたと思います。私自身も、この日、スープラ、ニュルというもので成瀬さんから、「いやいやお前乗れ、俺と一緒に乗ろう」と言ってくれたんだと思います。
今日の話は間違いなく、成瀬さんは聞いてくれているし、この天気も、成瀬さんだったんだと思います。ドライバーとしては足を引っ張りましたが、他のプロたちがカバーしてくれました。ありがとうございました。
(レスポンス 纐纈敏也@DAYS)
158台がグリッドに並んだ本戦は、22日15時30分にスタート。56号車LCは蒲生尚弥選手、90号車GRスープラはモリゾウ選手がスタートドライバーを務めた。トップグループからのスタートとなった56号車LCは快調に走行を重ね、総合30番手以内のポジションをキープ。同グループの最後尾スタートとなったモリゾウ選手の90号車GRスープラも順調なスタートを切り、じわじわと順位を上げていった。
しかし、高い気温はドライバーの集中力を奪うと同時にクルマを容赦なく痛めつけ、コースのあちこちでクラッシュが続出。クラッシュがさらなるクラッシュを呼び、レースはサバイバル戦の様相となっていった。
スタートから約8時間が経過したころ、56号車LCのトランスミッションからオイルが漏れるトラブルが発生。大事をとってトランスミッションを交換する作業を選択した結果、2時間超のピットインを強いられた。同じころ、快調に走行していた90号車GRスープラも当時トップを走行していた車両と接触。幸いにもそのまま走行を続けられたが、不安を抱えながらの走行となった。
夜が明けた23日。実はこの日は、TGRにとって決して忘れることのできない日だった。モリゾウ選手の運転の師匠であり、TGRの原点となった「GAZOO Racing」をともに立ち上げたトヨタ自動車のマスタードライバー、故・成瀬弘氏がニュルブルクリンク近郊で急逝した日が、9年前の6月23日だった。今年のニュル24時間耐久レース、そして23日は豊田社長にとって、そしてチームにとっても特別な日であり、新型スープラで走ることは豊田社長の悲願でもあった。
「もっといいクルマづくり」を追い求め、「GAZOO Racing」を立ち上げた豊田副社長(当時)がニュルブルクリンクでの走行トレーニングを始めたのが2001年。その翌年、スープラは生産終了となる。
その後しばらくトヨタからスポーツカーが発売されることはなく、多くのカーメーカーが発売前のプロトタイプを走らせるニュルブルクリンクにて、トヨタ自動車のテストドライバーたちは、既に生産を終えた“中古の”スープラで走らざるを得ない日々が続いた。「他社は数年後に世に出すクルマを鍛えている場で、自分たちには中古のスープラしかない」。このことが本当に悔しく、いつの日かスープラを復活させ、ニュルブルクリンクの厳しい道で鍛えて世に出したいと豊田社長は想い続けてきたという。
そんな想いを乗せた90号車GRスープラは、夜が明けてからもまるで接触がなかったように快調に走行を続ける。LCもトランスミッション交換後は順調に走行を重ね、15時30分、GRスープラは総合41位(クラス3位)、56号車LCは総合54位(クラス1位)でチェッカーを迎えた。
◆豊田章男 チーム総代表のレース後のコメント
まず最初に皆さん、ありがとうございました。今日は、成瀬さんの命日でありました。
私が午前中、10時から乗るということを聞きまして、実は予定では9時でした。それが10時になったという意味を自分なりに考えますと、ちょうど6月23日の現地時間10時くらいに事故が起きて、亡くなった時間だったんですね。それで私が成瀬さんの事故の時間にハンドルを握ることになるんだということで、非常に緊張をいたしました。このスープラのカムバック、そして、ニュル13年目の挑戦。いろんな思いが、その3回目のスティントで頭に入って、運転どころではなかったというのが正直な感想でありました。
ただ、今日、皆さんが話してくれたことを成瀬さんは聞いてます。成瀬さんが亡くなった時、葬儀に行きました。そこでやりたいと思うやつだけでいい、ついてきてくれということで続いてきたGR活動です。これが多くの方に応援され、もっといいクルマづくり、クルマづくりの人材育成のど真ん中に、この活動が入ってきたというふうに思います。
本当にここまで支えてくれた皆さんに感謝申し上げると共に、私は、この話になると涙ぐむんですね。なぜかとクルマの中で考えてみました。多分、悔しさです。
13年前、トヨタも名乗れず、このニュルで、成瀬さんとほぼ2人でプライベーターよりもプライベーターらしい、本当に手づくりのチームでここに来ました。その時の誰からも応援されない悔しさ、何をやってもまともに見てくれない悔しさ、何をやっても、ハスに構えて見られてしまう悔しさ。そして生産中止になったスープラで練習をしてる悔しさ。全ての悔しさが、私自身その成瀬さんが亡くなった6月23日に社長に就任した時からの、ずっと私のブレない軸でもあります。
ですから、私がもっといいクルマをつくろうよということだけしか、社長になって言わないのは全てその悔しさであります。そして今日も、悔し涙を流した。その悔しさは絶対に自分を強くするし、この活動の目的である「良い仲間」をつくるし、そしてもっといいクルマをつくると思います。そんな思いを持って、冒頭「ありがとうございました」と皆さんに申し上げました。
本来はこのレース、(ずっとスープラの開発を担当してきた)矢吹が出るレースだったと思います。それをスタート、フィニッシュ含めた4スティントを担当させていただきましたが、こういう日でなければ、「矢吹お前乗れよ」と言ってたと思います。私自身も、この日、スープラ、ニュルというもので成瀬さんから、「いやいやお前乗れ、俺と一緒に乗ろう」と言ってくれたんだと思います。
今日の話は間違いなく、成瀬さんは聞いてくれているし、この天気も、成瀬さんだったんだと思います。ドライバーとしては足を引っ張りましたが、他のプロたちがカバーしてくれました。ありがとうございました。
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