【日産フェアレディZ NISMO】70年代を生き抜いたスポーツカー(森口将之)

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日本車でありながら、日本だけでなくアメリカでも人気のクルマがいくつかあります。とりわけスポーツカーは、欧米のそれとは違ったデザインやメカニズムの魅力を持つことに加えて、信頼性や実用性が高いことから、現在は日産の「GT-R」やトヨタの「スープラ」などが注目されています。

ではこの流れを作ったのはどのスポーツカーか。「ズィーカー」つまり日産の「フェアレディZ」という回答がそれなりに返ってきそうな気がしています。

そもそも1969年にデビューしたフェアレディZのメインマーケットは、日本ではなくアメリカでした。現地では第2次世界大戦後、ヨーロッパから戻ってきた軍人がスポーツカーを持ち込んだことがきっかけとなり、スポーツカーを楽しむという文化が育まれました。主役はMGやトライアンフなどのイギリス製オープン2シーターでした。

日産のスポーツカーも、“Z”が付く前の「フェアレディ」は似たようなスタイルでした。しかしその後、安全性能や環境性能のハードルが高くなることを想定して、余裕のあるエンジンを積んだクーペボディーへの転換が必要だと考えたといいます。

この決断が当たり、多くのイギリス製スポーツカーが消滅していくなか、初代フェアレディZ(S30型)は10年間で55万台という、スポーツカーとしては空前の記録を樹立したのです。プロジェクトを主導したのは、アメリカ日産の初代社長を務めた“ミスターK”こと片山 豊氏。功績がたたえられて1998年に現地の自動車殿堂入りを果たしています。

僕はこのアメリカでの大ヒットが、日本にも恩恵をもたらしたと思っています。1960年代に誕生し、1970年代を生き抜いた国産スポーツカーだったからです。当時は日本でも排出ガス規制が厳しくなったうえにオイルショックが勃発(ぼっぱつ)し、多くのスポーツカーが生産中止に追い込まれました。

フェアレディZも、初代のわが国での販売台数は8万台ほどでしたが、同じ時期、同じ日産の「スカイライン」は、およそ5年間で67万台を販売していました。アメリカで予想以上のヒットに結びつけたおかげで、生まれ故郷のスポーツカーの灯も消さずに済んだと見ていいでしょう。そう考えるとミスターKも、日本でもっと評価されていい人物ではないかと思えてきます。

(文:モータージャーナリスト・森口将之)

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