サハラ砂漠の奥地で実感するランドクルーザー70への信頼
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トヨタ・ランドクルーザー“70”AX
私がサハラ砂漠を初めてクルマで走ったのは1996年10月、28歳のときです。国土の4分の3がサハラ砂漠のモーリタニア・イスラム共和国で、NPOの医療支援活動スタッフとして、点在する村々へ日本人医師とともに巡回医療に同行したり、車両整備指導や防砂事業、養鶏事業などに従事したり。サハラ砂漠で年に1カ月暮らすという活動を3年間続けていました。
そのときの作業車として乗っていたのが「ランドクルーザー“70”」です。首都のヌアクショットを出てまずは舗装路で郊外へと向かいますが、やがて未舗装の砂利道となり、シンゲッティという村に入るときは柔らかい砂。その場でスタックしてカルチャーショックを受けました。
そこで初めてタイヤの空気圧を下げ、前後デフロックをオンにしてアクセルを踏むと、ランクル“70”は何事もなかったかのように走りだしたのです。柔らかいタイヤが衝撃の少ない砂の路面を踏みしめ、ゆったりとロールしながら走るさまは、まるで大海原を船で航行しているかのような感覚でした。ランドクルーザーという名前のとおり陸をクルーズするのをサハラ砂漠で体感してから、すっかりランクルのとりこになりました。
首都ではいろんなクルマが走っているのですが、未舗装路の村に入ると「ランドローバー・ディフェンダー」「日産パトロール(日本名:サファリ)」、そしてランクルほか4WD車だけとなり、さらに砂漠の奥のオアシスにある小さな村に着くと、そこはランクル“70”とラクダのみが人や物資を運ぶ交通手段となっていました。
またジャパンブランドの工業製品としては、ソニーのラジオも現地の方が情報を得るための大切なギアでした。砂漠の民にとって、生活を支え、命を守ってくれる道具がランクル“70”やソニーのラジオであり、皆さんはこれらの製品を通じて日本という国を知っているのです。
そのため、現地で支援活動をしているときは、名前を覚えてもらえるまで日本人スタッフ全員が「TOYOTA!」「SONY!」と親しみを持って呼ばれ、ジャパンブランドの信頼性の高さのおかげで私たち日本人も信頼してもらえて、支援活動を円滑に進めることができました。
私自身、ランクル“70”でいくつもの砂丘を越えて走っていくうちに、スムーズに走らせられるようになるとともに、このクルマがサハラ砂漠の奥地で絶大なる信頼を得ていることを、身をもって体感しました。そんな次第で、マイカーとして購入してから28年たったランクル“70”に、私も信頼と愛着を持って乗り続けています。
(文:寺田昌弘)
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寺田昌弘さんが解説するランドクルーザー70の注目ポイント
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