世界の度肝を抜いたスカイラインGT-Rの心臓 RB26DETT・・・記憶に残る名エンジン
時代を超えて人々に憧憬を与え続ける名車には、「名機」と呼ばれるエンジンの存在が欠かせない。そんな名エンジンを当時の記憶とともに振り返るコラム。
1989年8月に登場したR32型スカイラインGT-R。16年ぶりに復活したGT-Rに搭載されたのが、GT-Rのために専用設計された2.6L直列6気筒ツインターボのRB26DETTだった。
第2世代と呼ばれるR32型、R33型、R34型に搭載されたRB26DETTは、他を寄せ付けない圧倒的な速さを誇り、今なお多くの人の記憶に残る、まさに“名機”と呼べるエンジンだ。
レースに勝つために開発された直6ツインターボエンジン
レースに勝つ。日産はシンプルかつ絶対的な目標を掲げ、80年代末にとんでもないクルマを作り上げた。それがR32型スカイラインGT-Rだ。当時の日産は「1990年代までに技術で世界一を目指す」ことを目指した“901運動”を実施し、人々を驚かせるようなクルマと技術を数多く世に送り出したのはご承知の通り。
代表的な車種と技術を上げると、
- 電子制御4輪操舵技術であるHICASを初搭載したR31型スカイライン(1985年)
- センターデフにビスカスカップリングを組み合わせたフルタイム4WDシステム“アテーサ(ATTESA)”を初搭載したU12型ブルーバード(1987年)
- 世界に通用するプレミアムセダンとして登場したY31型シーマ(1988年)
- 国産車初の280psを達成したZ32型フェアレディZ(1989年)
- 5ナンバーサイズながらパッケージングの妙による広い室内と心地よい走りを両立したP10型プリメーラ(1990年)
などがある。技術とは異なるが、レトロデザインが受けて爆発的にヒットしたBe-1(1987年)をはじめとするパイクカーが登場したのもこの時期だ。
R32型スカイラインGT-Rは901運動の集大成とも言えるモデルで、電子制御トルクスプリット四輪駆動システムのATTESA E-TSやSuper HICASなどの最新技術を搭載。そして要となったのが専用開発されたRB26DETTエンジンだったのは言うまでもない。
R32型以前のモデルが、GT-Rを名乗らなかった理由
ところで、スカイラインは1973年にケンメリのGT-R(KPGC110型)の生産がわずか3ヵ月で終了してからR32型 GT-Rが登場するまで、なぜGT-Rを作らなかったのだろう。ここには日産ならではの強いこだわりがある。
たとえばR30型に設定されたRSターボはハイスペックなスカイラインの代表だが、搭載エンジンが4気筒だったためにGT-Rの名が与えられなかったと言われている。R31型にはホモロゲーションモデルとして800台だけ生産されたGTS-Rが存在した。このモデルもGT-Rにならなかったのは、GT-Rと名乗るには力不足だったからだと言われている。
こう考えると16年ぶりに復活したR32型GT-Rに日産がどれほどの自信をもっていたかがわかるだろう。
最高のポテンシャルを発揮するために、税制すら無視した排気量を選択
そんなR32 GT-Rに搭載されたRB26DETTエンジンには、排気量にまつわる有名な話がある。消費税が導入される1989年3月まで、普通乗用車(3ナンバー車)は贅沢品とみなされていて、排気量が3L 未満のクルマで8万1500円も税金が徴収されていた。
日本車で2Lターボが多かったのは、排気量を小さくして3ナンバー登録を避けつつパワーを得るための、いわゆるダウンサイジングの発想からだった。消費税導入とともに自動車税は500mlずつに区分されるようになった。
2.5L、3Lといった排気量のクルマが多いのは、税区分によるところが大きい。
RB26DETTが中途半端な排気量と言われるのは、排気量が2568ccと2.5Lをわずかに超えるために2.5L超〜3L以下の区分になるからだが、それでもあえてこの排気量になったのは、冒頭に書いた「レースに勝つ」ことを最優先したからに他ならない。
当時の全日本ツーリングカー選手権(グループA)のレギュレーション、そしてライバルメーカーの性能、さらにターボチャージャー搭載によるハンディキャップや4WD化による重量増などさまざまな要件を加味しながら熟考した結果、2.6Lという排気量になったというわけだ。
思うに、もしこれがGT-R以外のクルマだったら、この排気量は「ユーザーのことを考えていない」とバッシングを浴びていたはずだ。しかし16年ぶりに復活したGT-Rという名前、レースに勝つために必要だった選択、そして何よりレースで驚異的な結果を出したことにより、RB26DETTは2.6Lという排気量を含め、神格化していくことになった。
グループAで破竹の29連勝。10万人近いファンがサーキットに集まる
RB26DETTを搭載したR32型スカイラインGT-Rが全日本ツーリングカー選手権(グループA)にデビューしたのは1990年3月17〜18日。場所は山口県にある西日本サーキットだった。グループAでは前年まで日産がフォード シエラと熾烈な争いを繰り広げていた。日産はこの戦いに完全決着をつけるためにR32型スカイラインGT-Rを送り込んだ。
開幕戦は鈴木利男選手/星野一義選手のカルソニックスカイラインがポールポジションを獲得、長谷見昌弘選手/A.オロフソン選手のリーボックスカイラインが2位に入る。決勝はカルソニックスカイラインがポール・トゥ・ウィンを飾った。
当時のリザルトを見ると、カルソニックスカイラインは107周、2位のリーボックスカイラインが106周、そして3位のDUNLOP・シミズ・シエラが105周となっている。つまり、カルソニックスカイラインはすべてのマシンを周回遅れにしているのだ。
R32型スカイラインGT-Rは全日本ツーリングカー選手権において1990〜1993年の4年間で実に29連勝というとんでもない記録を樹立。GT-Rの参加台数が増えた1991年からは、ファンはサーキットに“どのマシンが勝つか”ではなく、“どのGT-Rが勝つか”を観に行っていたといっても過言ではないだろう。
実際、日産と熾烈な戦いを繰り広げていたフォード シエラは1991年に全日本ツーリングカー選手権から姿を消してしまった。
GT-Rの独壇場。こうなってしまうとファンは「どうせまたGT-Rが勝つのだろう」と思い、レースがつまらなくなってしまいそうだが、逆に多くのファンの心を掴み、GT-Rの勇姿を一目見ようと多くの人がサーキットに足を運ぶ。これがGT-Rのすごいところだ。筆者も富士スピードウェイに足を運び、GT-Rの走りに興奮したのをよく覚えている。
中でも強烈だったのが星野一義選手の走りだ。他のマシンとは次元が違う速度でコーナーに突っ込み、縁石に乗り上げた車体が跳ねてマシンの腹を見せながらコーナーを駆け抜けていく。その走りを手に汗握りながら観ていた。
また、土屋圭市選手が憧れの高橋国光選手とともに大バトルを制して初めて表彰台に上り、人目をはばからず号泣した1992年の菅生など、GT-Rは数々のドラマを見せてくれた。
その年のチャンピオンが決まる、全日本ツーリングカー選手権の最終戦『インターTEC』(富士スピードウェイ)には、1991年には8万2200人、1992年には8万7800人、最後のグループAとなった1993年には9万4600人もの人が集まった。このことからもRB26DETTを搭載したスカイラインGT-Rがいかに強烈な存在だったかがわかるはずだ。
モデルチェンジで熟成し、第2世代GT-Rの完成形となったR34型
R32型スカイラインGT-Rは当然ストリートでも圧倒的な支持を得た。デビュー時の新車価格は445万円。現在の新車の価格を考えると、驚くほどのバーゲンプライスと言えるだろう。それでも当時の若者にとっては高嶺の花だったが、60回以上の長期ローンを組んで手に入れる人もいた。
RB26DETTが初搭載されたR32型スカイラインGT-Rはまだ荒削りなところもあった。だが、マイナーチェンジを含むモデルチェンジによって熟成されていく。R33型はニュルブルクリンクでR32型のラップタイムを21秒も上回った。
R33型で不評だった大型化したボディはR34型でコンパクトになり、デザインもシャープなものに。高いボディ剛性と空力性能、熟成された機構により、“第2世代GT-Rの完成形”と評される。馬力規制の関係でRB26DETTのカタログスペックは最高出力こそ280psのままだが、最大トルクは40.0 kgf・mに進化した。
スカイラインGT-Rをはじめとするハイパワーマシンにとって不運だったのは、平成12年排出ガス規制だった。技術的には乗り越えることも不可能ではなかったと思うが、そこに膨大なコストをかけることができず、2002年8月をもって、絶大な人気を誇った国産ハイパワーマシンは軒並み姿を消すことになった。
その後、2007年に日産 GT-Rが登場したのはご承知の通り。現行型GT-Rは匠が1機ずつ手作業で組み立てるV型6気筒ツインターボであるVR38DETTが搭載されている。デビュー時のスペックは353kW(480ps)/588N・m(60.0kgf・m)だったが、現在は419kW(570ps)/637N・m(65.0kgf・m)にまで進化した。
だが、数々の偉業を成し遂げたRB26DETTの魅力は、現在でも薄れていない。中古車市場で新車時価格を軽く超える高値で取引され続けているのが、何よりの証だ。
(文/高橋 満<BRIDGE MAN>)
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