レース生まれレース育ちのサードがこだわる『本物』パーツへの熱意・・・カスタマイズパーツ誕生秘話
1972年に加藤 眞氏よって設立されたレーシングチーム『シグマオートモーティブ』は、純国産レーシングカー『SIGMA MC73』を開発し、日本のチームとして初めて『ル・マン24時間耐久レース』に参戦。その経験や人脈を活かして海外製パーツを日本に広げ、市販車をカスタマイズ・チューニングするという新しい文化を切り開く先駆者となった。
そして、そんなシグマオートモーティブの市販車向けパーツブランドとして生まれ、スーパーGTをはじめとするレースで戦うレーシングチームとしても活動し続けているのが『SARD(サード)』だ。
「レースこそがすべて!」猛烈な勢いで邁進した黎明期
1973年、シグマオートモーティブが日本のレーシングチームとして初めてル・マン24時間レースに参戦した。記念すべき初レースは、富士グラチャンでシリーズチャンピオンを獲った鮒子田 寛氏、人気レーシングドライバーの生沢 徹氏、そしてフランス人のパトリック・ダルボ氏がドライバーとしてステアリングを握った。
予選は14番手を獲得するも、本戦では約10時間走ったところで無念のクラッチトラブルによってリタイヤを喫してしまう。
リベンジ戦となった翌1974年は新造された『SIGMA MC74』で参戦。ドライバーには寺田陽次郎氏、高橋晴邦氏、岡本安広氏が迎え入れられ、規定周回数に届かなかったため公式記録では完走扱いにならなかったものの、24時間のレースを走り切ることに成功した。
1975年に参戦した『SIGMA MC75』はそれまでのマツダ・12Aエンジンからトヨタの2T-G型ターボエンジンにスイッチしての挑戦となったが、今度は油圧の低下によってリタイヤ。残念ながらここで予算が尽きてしまい、ひと度はル・マンを離れることとなったものの、これが激動とも言えるシグマオートモーティブ、そしてサードの歴史の幕開けとなった。
「ル・マンに3年続けて挑戦したあとは『ル・マン参戦チーム』という肩書きを活かしてドイツのサプライヤーをはじめとする海外のメーカーを訪れ、それらの部品を日本で販売するための契約を結んでいったと聞いています。当時の日本はまだ市販車を改造するという文化すらなかった時代でしたが、加藤代表たちはそういった需要が増えていくでのは?という可能性を感じていたようです」
そう教えてくれたのは、現在、サード取締役社長およびTGR TEAM SARDチーム代表を務める近藤尚史氏。
1974年にはクルマ好きなら聞いたことがあるであろう『KKK』(現:ボルグワーナー社)製ターボチャージャーの輸入代理店契約を締結。1980年には駆動系に強いZF社とのサービスショップ契約。1982年は『KOLBEN SCHMIDT』社の自動車エンジン用のピストンの輸入を開始。そして1984年には『バンケル』社とスーパーチャージャーの特許使用契約を締結するなど、いずれも当時の西ドイツ、大手企業との連携を深めていった。
このときの海外行脚が、現在のアフターパーツ業界、そして『サード』というブランドの基礎となっているというわけだ。
レースで蓄えたノウハウと最先端技術が生み出す『本物』パーツ
そうした高性能パーツの販売を核としたビジネスも順調に波に乗り始めた1985年に、アフターパーツブランドとして『サード(SIGMA Advanced Research & Development)』が設立される。同時にチームサードとしてレース活動も再開し、以降、国内のレースシーンではグループCをはじめ、グループA、そしてSUPER GTなど、各トップカテゴリーで活躍を続けている。
エアクリーナーやマフラーなどの吸排気系パーツや、クラッチやデフなどの駆動系、サスペンションキットやエアロパーツ、そして電子系パーツなど、リリースされるカスタマイズパーツは、どれもレーシングフィールドで鍛え上げられた性能や耐久性などを有した『本物』であり、プロショップやユーザーからの支持を得たのである。
自動車用ターボチャージャーの先進国であった、当時の西ドイツのKKK社と提携。やがてやってくるであろう国内のターボエンジンムーブメントを予見していた。
「シグマ時代に最初のヒット商品となった市販車向けパーツはSA22C用のキャブターボキットかな。現在もインターネットのオークションなどで見かけることがあるくらい大人気商品でした。また、グループCカーなどは当時すでに1000psくらいの出力があって、それに対応するインジェクターや燃料ポンプも使っていたんですよね。そういったアイテムをパワー競争が加熱するチューニングカーに使える製品として販売したというわけです」
レクサスIS350/250、トヨタマークⅩ用に開発された『SARD S6 manual transmission コンプリートキット』。AT車設定のみのモデルを6速MTにコンバートできるとあって注目を集めた。
このように、サードのアフターパーツとレース活動は切っても切り離すことができない関係にあり、特にレースで強い繋がりのあるトヨタ車向けの製品は、他社と一線を画すアイテムも存在する。
例えば2013年にレクサスIS350/250、トヨタマークⅩのユーザー向けに発売された『SARD S6 manual transmission コンプリートキット』は、高剛性のシャーシや動力性能などは万全のクルマなのにAT車しかラインアップがなく『これをマニュアルミッションで乗れたら…』という市場からの声を受けて商品化されたもので、多くのユーザーを歓喜させた。
「僕は1999年に営業職として入社したんですが、レースにも関わりたかったので入社8年目にお願いをしてレースメカニックとして現場に3年間行っていました。その当時の経験があるので、その後に行うGT300や市販パーツ開発にも知識やノウハウを活かすごとができたし、レース部門と融合しながら設計開発をおこなうことができていると思います。レースのホスピタリティなども含めて、改めて会社ではいろいろな経験をさせてもらいましたね」と近藤氏。
取材当日はSUPER GTのスポーツランドSUGO戦に向けて準備の真っ最中。「2016年にGT500でチーム&ドライバーズチャンピオンを獲得したんですが、そのとき僕はGT300チームの方にいたので、チーム代表として再度チャンピオンを獲りたいなぁ」と目標を語る。
コンプリートカー、そしてコンストラクターへの想い
さまざまなパーツを取り揃えるサードが、レースカーのノウハウも最大限活かした究極の形としてこだわっているのが『コンプリートカー』の提案だ。
「ル・マンへの挑戦を始めた頃から、じぶんたちで作り上げたマシンを走らせる『コンストラクター』になるのが加藤代表の目標だったんです。1995年にはMC8Rを作って参戦しましたし、実はクルマを作るという意味ではコンプリートカーにも昔から取り組んでいるんですよ」と近藤氏。
JZZ30ソアラやJZA80スープラをコンプリートカーとして販売。さらにそれ以前にも初代ソアラでエンジンや内装までカスタムした1台を作り上げていた。
GR86をベースにした『SARD GT86 GT1』は、原点回帰としてカローラレビン/スプリンタートレノ(AE86型)のような、パワーに頼らずとも、サスペンションの性能やボディ剛性の向上によって、楽しく走れる運動性能を実現。
GRスープラがベースとなる『SARD SUPRA 90』は、扱いやすい特性に調律された500ps/70kgmというハイパワーと、レーシングカーと見紛うほどのワイド&ローが特徴のエアロパッケージで、レーシーでありながらもラグジュアリーに仕立てられている。
パーツ単体ではなく、さまざまな技術やノウハウを駆使して作り上げる『理想の1台』は、まさにサードの真骨頂というわけだ。
究極の完成度を誇るコンセプトカー、コンプリートカーをリリース。機能美を体現しているスタイリングに加え、総合的な走りのスープアップを実現させるのがサード流のカスタマイズだ。
最後に、今後のサードについて伺ってみると「サードの歴史を振り返ってみるとやっぱりレースが主体なんですが、さらにいえば代表の加藤はクルマ1台をまるごと作れる『コンストラクター』になりたかったんですよね。MC8でいちど形になってはいますが、いつかは自分たちが作ったクルマで表彰台の一番高いところに上がるのが夢ですね」と近藤さん。
どんなクルマを思い描いているのかについても問いかけてみると、ハイブリッドやEVといったイマドキのキーワードではなく、こんな言葉が…
「やっぱりエンジンがいいなぁ。この時代にあえて12気筒エンジンを積んで、そんなマシンで勝てたら最高でしょう!」と悪戯っ子のような笑顔を見せてくれた。
「それと、これまでのサードは玄人向けのマニアックなパーツがほとんどで、レースで応援してくれるファンの方から『自分たちのミニバンなどでも装着できるアイテムはありませんか?』っていう声もたくさんいただいていたんです。だから今後は少しずつですが入門パーツやグッズなんかも展開していけたらいいなと思っていますよ」
『社内でいちばんクルマ好き』だというAE86乗りの社長兼チーム監督が率いるサードは、これからもクルマ好きを楽しませてくれるブランドとして走り続けていくに違いない。
取材協力:サード
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