【長谷見昌弘】とにかく運転することが好き。今なお“現役”で楽しむレースと愛車ライフ・・・愛車文化と名ドライバー
スポーツカーの魅力に取りつかれ、その道を究めるべく切磋琢磨するうちに、愛車文化の発展にも大きな影響を与える存在となっていったプロドライバーたち。
ハコスカGT-R、シルエットフォーミュラのトミカスカイライン、そして第2世代GT-Rたち…現在でも名車として多くのクルマ好きに愛されるこれらのレーシングカーを駆ってサーキットを走り、多くの観客を沸かせてきた長谷見昌弘氏にお話を伺った。
中学校の自動車部でドラテク磨き!? 驚きのルーツとは
日産を代表するレジェンドドライバーである長谷見昌弘氏が生まれ育った東京都青梅市は、江戸時代から『青梅縞(おうめじま)』や『青梅夜具地(おうめやぐじ)』と呼ばれる織物の産地であり、長谷見氏の実家も織物を扱う家業を営んでいたという。そのため、自家用の乗用車がまだ一般的ではなかった頃から仕事用のダットサントラックやオートバイが身近にある環境で育ったという。
小学校高学年でペダルに足が届くようになった頃にはクルマの運転操作をマスターし、なんと中学校では自動車部を作りグラウンドに白線を引いたコースで腕を磨いていたというから驚きである。
また、オートバイ好きだった6才上の兄たちが『青梅ファントムクラブ』というチームを立ち上げて競技に参加するようになると、長谷見氏もその競技場に連れて行ってもらうように。
「はじめて連れていってもらったのは小学校のころで横田基地のモトクロス大会だったかな。今でいうスーパークロスみたいにジャンプ台があったりするようなコースだったけど、その時にはすでに『あれなら自分にもできるな』って思ったのを覚えてるよ(笑)。それ以外にもジョンソン基地とか多摩テックとか、あの頃は走る場所がたくさんあったんだ。ちなみに多摩テックの初代所長には、ロードレース世界選手権 (WGP)で優勝したお祝いってことで高橋国光さんが就任したんだよね」
当時は14歳から原付一種免許を取得することができたため、誕生日に免許を取得すると当時発売されて間もなかったホンダ・スーパーカブを乗り回し、15歳でモトクロスレーサーとして競技デビューを果たしたという。
「田舎だったというのもあるけど、おおらかで良い時代だったし、まわりの環境にも恵まれていたよね。中学生のときには先生よりクルマの運転が上手だったよ」と笑う。
新車をドンガラにするところからはじまる競技車作りで得たノウハウ
2024年で創業40周年を迎えた『NISMO』のワークスドライバーとして長く活躍してきた長谷見氏の4輪ドライバー歴は、日産自動車のテストを受けて大森ワークスに所属した1964年、19歳の時からスタートする。
当時は日産自動車とプリンス自動車はまだ別会社であり、デビュー戦でドライブしたのはブルーバード。ストレートでは6気筒でハイパワーなスカイライン、コーナリングでは4気筒でバランスに優れたブルーバードといったように激しいバトルを繰り返していた時代だ。
「当時は追浜ワークスと大森ワークスがあって、ボクが所属していたのは大森ワークスの方だった。追浜はモータースポーツ部門の管轄だったけど、大森は広報部の予算で運営していたから、我々に与えられるのはレースカーじゃなくてピッカピカの新車なワケ。だから、まずは内装をぜーんぶはずして丸裸にするところからマシンメイクがスタートして、エンジン、ミッション、サスペンションまでぜんぶ自分たちで作り上げていかなければいけなかったんだ。逆に、すべて自分たちのガレージで作業していたからノウハウも蓄積されたし、細かい仕様変更やメンテナンスも思う存分できたんだよね。レース中にトラブルの時も原因が想像できると『ピットに戻れるか、走り続けられるか』とか、そういった判断もできるからアドバンテージになったかな」
こうして、乗るだけではなくマシンメイクもできるドライバー&チームとしての経験値を積み重ねていったというわけだ。
1976年にはF1世界選手権・イン・ジャパンに出場。マカオグランプリ、デイトナ24時間レース、ダカール・ラリーなど国内外を問わずさまざまなフィールドにチャレンジしてきた。
1981年にハセミモータースポーツを設立すると、フォーミュラ2や富士グランチャンピオンレースなどに参戦。
全日本ツーリングカー選手権にはスカイラインRSターボやスカイラインGTS-R、そしてBNR32型スカイラインGT-Rなどで挑み、全日本GT選手権(のちにSUPER GTへ)にも第2世代GT-Rやシルビア、フェアレディZなどマシンを進化させつつ、2000年にドライバーを退いてからも2010年までチームを率いて参戦を続けた。
「レーシングガレージに預けて管理してもらうのではなく、自分たちで整備メンテナンスができる環境だったので、とにかくトラブルが少なかったのは強みだったと思いますよ。グループAのBNR32なんかはライバルに速さでは勝てなくてもシリーズチャンピオンを2回獲れたのは、そういう部分が大きかったと思います」
トミカと並んでリーボックのカラーリングも長谷見氏の代名詞と言える。全日本ツーリングカー選手権では1989年、1991年、1992年のシリーズチャンピオンに輝いている。
そのいっぽうで、レース活動のノウハウを活かしてエアロパーツをはじめ、サスペンション、ホイール、マフラーなどのオリジナルパーツも発売をスタート。
「ボクはアンダーステアなクルマが嫌いだから、ストリートカー向けのパーツもできるだけアンダー傾向をなくして曲がりやすいクルマになるように意識して作ったんだ。主にはエアロパーツなんだけど、たとえばフロントリップスポイラーなんかは峠道などの低速域でもダウンフォースをかせげるように真ん中を立ち上がらせずにできるだけまっすぐな形状にしているんだよね」と、自身のノウハウを惜しみなく投入したこだわりのアイテムとなっているのだ。
シンプルなデザインであることから、第二世代GT-Rユーザーなどからは入手困難になってしまった純正部品の補修部品代わりに使いたいというニーズも少なくないという。
フロントリップをはじめ直線基調でシンプルなデザインのエアロパーツ。オリジナルホイール「サザンクロス」も当時のクルマ好きを沸かせたアイテム。
レジェンドが今なお走り続ける理由は「運転が好きだから」
運転免許を取得して、最初に乗っていたのは日産のオースチンで、はじめて自分で買った愛車はフィアット・850クーペだったという長谷見氏。
ワークスドライバーとして契約してからは、日産から貸し出してもらえる新型車を車検ごとのペースで乗り替えてきたそうで「昔から大きいクルマが好きだったので、セドリックやグロリア、シーマなどに乗ってきました。プレジデントにも乗りましたよ。いまはハイブリッドのフーガに乗っているんだけど、これから乗り替えようと思うと、ちょうどいい車格のクルマがないんだよね」とのこと。
現在の愛車は日産フーガ。また、程度極上のAZ-1も所有しているそうで「このガルウイングはほかにないからね」とお気に入りの様子。オートバイも20台ほど所有しているという
選ぶのは決まってオートマ車だったといういっぽうで、オートクルーズ機能などは使うことがないそうで「クルマを運転すること自体が好きだし、やっぱり自分でコントロールするのが楽しいんだよね。オートマといっても減速するときにはシフトダウンしたりとか、そういった操作は常にしていますよ。レースのときもそうだけどボクは運転する時に無駄な力を入れないタイプだからぜんぜん疲れないし、汗もかかない。だからレース中にドリンクとかも必要ないし、自宅から鈴鹿サーキットなんかへ向かう時もトイレ以外はノンストップだよ。パリダカ(ダカール・ラリー)に出場した時なんかは、残り数日になったときに『もっと走りたいな。あと1週間くらいあったらいいのに』って思ったくらいだからね(笑)」と語ってくれた。
KTM500 EXC-Fでラリー競技に参戦したり、2000ccのハーレーでツーリングを楽しんだりしているという長谷見氏。「クルマだとなかなかそうはいかないけど、オートバイは自宅で自分でメンテナンスができるのがいいよね」とニッコリ。
ちなみに、これまでのクルマ人生でいちばん好きだったクルマは?と伺ってみたところ「ハコスカのGT-Rが4ドアから2ドアのハードトップになったときには『ほんとにバランスの優れたいいクルマだな』って思ったし、いまでも最高だと思っているよ。フレーム剛性がよかったんだよね。当時ウチの親父もGT-Rじゃないハコスカに乗っていたけど、それもバランスが良くていいクルマだったね。あとは、ボクはアンダーステアな4WDやFFは嫌なんだけど、最近いいなって思ったのがノートなどのe-POWERシリーズ。FFだけどバッテリーがフロアの下側にあるから重心が低くてバランスがすごくニュートラルなのと、上り坂をグイグイ登っていくモーターの加速も気持ちいいんだ。地方でレンタカーを借りるときなんかは指名して乗っているよ」と教えてくれた。
「最近は2輪のラリーにハマっているんだよね。いちばん長いものだと5日間で四国を1周するというイベントがあって、1日500kmくらいをキャンプしながら走破するんだ。途中にタイムアタック区間の『スペシャルステージ』がいくつもあるんだけど、そこを全開で走るのが楽しいんだよね。あとは、パリダカも機会があればぜひまた走ってみたいな。乗ったクルマをミスなくリタイアせずにゴールまで運ぶということには今でも自信があるよ」
昔から走ることが大好きだったレジェンドドライバーは、今なお現役バリバリで満喫中だという愛車ライフを、とても楽しそうに語ってくれたのだった。
(写真:金子信敏/ハセミモータースポーツ)
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