【織戸 学】レーサーに憧れ、夢を叶えた今でも胸に刻む『走り屋』魂・・・愛車文化と名ドライバー
スポーツカーの魅力に取りつかれ、その道を究めるべく切磋琢磨するうちに、愛車文化の発展にも大きな影響を与える存在となっていったプロドライバーたち。スーパーGTをはじめとするレースはもちろん、ドリフト、ラリーなどさまざまなカテゴリで観客を沸かせてきた織戸学選手。その競技人生のスタートは、ジムカーナからだった!?
星野一義選手に憧れて家出した少年時代
世代や好みのジャンルによって結果は異なるだろうが、40代以下のスポーツカー好きに「クルマ好きになるキッカケになったドライバーは?」はと聞けば、多くのひとからこの名前が挙がってくるのではないだろうか?『織戸 学』と。
「小さい頃、ちょうどテレビで『グランプリの鷹』とか『サーキットの狼』なんかがやっていて、日曜にはあたりまえのようにレースが放送されていたから、自然とクルマやレーサーに興味を持つようになって、小学校の作文には『レーサーになりたい』と書いたね。特に影響を受けたのが小学校の頃に読んだ星野一義選手の伝記。そこにはレーサーになるために静岡の実家から家出したとか、そういう伝説や生き様みたいなことが書いてあって、それをマネして自分も中学校の時に家出したんだ」
また、テレビドラマの『3年B組金八先生』で見ていたマッチこと近藤真彦氏がレース活動を開始したことにも、大きな衝撃を受けたという。
はじめて観に行ったレースは兄に連れていってもらった筑波サーキットの『レース・ド・ニッポン』で、そのときに道を覚えて、後日、千葉県の実家から筑波サーキットまで自転車で訪れたという。「クルマ関連ではじめて買ったものが、そのときに購入したインパルのステッカーだったね」
オートバイからジムカーナ、そしてドリフトの世界へ
もっとも身近に遊べる乗り物だった自転車は「まさにじぶんの原点」と語る織戸氏。友人とルールを決めて千葉県一周をしたりドリフトできる距離を競ったりするいっぽう、タイヤ交換などの作業も自分でおこなうようになっていったという。
さらに、兄が買った50ccのモトクロスバイクを農家だった実家の敷地内で乗り回すようになり、中学校の頃には125ccのオートバイで乗り物を操る感覚を磨く日々を送った。
高校を卒業して自動車整備専門学校に通ういっぽうで、そのころにはレーサーになるには資金力が必要だという現実も見えはじめていたそうで、免許を取得してからもハマっていたのはどちらかというと2輪のほう。『バリバリ伝説』や『あいつとララバイ』を読みながら、高校生の頃に購入したスズキのRG250ガンマや、乗り替えたNSR250で筑波サーキットのライセンスなども取得して走り込んだ。
免許をとってしばらくは姉のファミリアに乗っていて、はじめて買った愛車は3リッターターボで2by2だったので安く購入できたというZ31。ルーフキャリアを積んで車高、タイヤホイール、マフラーをいじったデート仕様に仕上げていた。
そんな織戸氏が、再び4輪に目覚めたキッカケは、ドリキンこと土屋圭市選手が峠で走るビデオを見たこと。そのときの衝撃を「人生で5本の指に入るくらい」と表現してくれた。
さっそくZ31を売却したお金でAE86に乗り替えると、KP61の友達に誘われて体験したことを機にジムカーナの道へ。ジムカーナショップで勤務しながら運転技術やセッティングを学び、千葉県シリーズのジムカーナ大会では常にトップ争いを演じるほどになったという。
Z31を売却してAE86を購入。ジムカーナで技術を磨き、ドリフトの道へ。いっしょに大会に出場していた仲間たちとお揃いで日産180SX(RPS13)に乗り替えた。
その技術を活かして雑誌主催のドリフト大会『カーボーイドリコン』でも見事に優勝を遂げ、『全国王座統一戦』では優勝の副賞として“100万円の中古車”を手に入れる権利をゲット。この副賞で得たAE86をN1レース車両として仕上げると同時に、幼い頃の「レーサーになりたい」という気持ちを思い出し、夢に向かって進む決意をしたという。
レーサーとしてさまざまなことを学んだ坂東商会時代
1991年1月、当時のドリコン大会で審査員として出会った坂東正明氏ひきいる坂東商会の門をたたき、営業職として入社。普段の仕事をこなしつつ、初年度から富士フレッシュマンのNA-1600クラスにAE86で参戦、3年目には鈴鹿のフレッシュマントロフィーレースN2-1600クラスにAE92レビンをN2仕様にして参戦するなど、戦績を積み重ねていった。
そして1996年、全日本GT選手権 第4戦富士にJUNオートの『JUNトラストスカイライン』でスポット参戦。同じ年の第5戦SUGOにはつちやエンジニアリングのMR2でGT300にも参戦。1997年からはRS-Rシルビアで全日本GT選手権GT300クラスにフル参戦し、デビューウィン&シリーズチャンピオンという偉業を成し遂げたのだ。
横浜ゴムの開発ドライバーにも抜擢されるなど、トップドライバーとしての地位を確固たるものにしていった。
RS☆Rスーパーシルビアなど国内レースでの活躍に加え、NASCARやマカオギアレースなど海外でのレースも経験。
いっぽうで、プライベートでは愛車としてS13、RPS13、S14、S15とシルビア&180SXを乗り継ぎ、自らのアイディアを形にしたマフラーやエアロパーツを発売。
「坂東商会はいろいろなメーカーのパーツを扱う商社だったから、商品の原価や仕入れ値、利益などもぜんぶ見せてもらうことができたし、アパレルからパーツまで作り方も学ばせてもらったよ。それに、プロショップから受けた注文をメーカーに発注して販売するまで、いまみたいにメールやウェブじゃなくてぜんぶ電話だったから、いろいろな人と電話して人脈を作ることもできたんだよね。その人脈とドライバーとしての知名度を使ってオリジナルブランドの商品を作らせてもらったりと、その頃に学ばせてもらったことは今でもすごく役立っているよ」と織戸氏。
自分で乗ってイジってパーツをプロデュースできるオールマイティな能力は、まさにこの坂東商会時代に培われたものなのだ。
同時に、この頃に乗っていたシルビア&180SXは「自身の中でもっとも思い出深い愛車だった」とも語ってくれた。
ドライバーとして奮戦するいっぽうで、1992年にはRS-Rから『ORIDO SPECIAL』のブランド名で砲弾マフラーなどを販売。当時のポスターパネルは今でもショップに飾られている。
いつまでも「走り屋」であり続ける理由
「整備士の学校に通っている頃から『修行したあと30歳で独立して自分の工場で作ったマシンでレースに出る』と計画していた」と語る織戸氏。
30歳で坂東商会を退社して独立すると、スーパーGTをはじめとするレースフィールドで活躍を続けるかたわら、2001年からドリフト競技『D1グランプリ』に当初は審査員として、そして2005年からは選手として参戦。クラッシュやトラブルのときですら観客を沸かせるパッションあふれる走りで、多くのファンを魅了した。
特に、V8エンジンを搭載した86は自らマシン製作から手がけるなど、マルチな才能を発揮して話題を呼んだ。
スポット参戦ではなくはじめてGT500マシンでシリーズを通して戦ったエンドレスアドバンスープラ。いっぽうで『RIDOX』ブランドからスープラ用のオリジナルエアロを発売。現在でも愛用するスープラオーナーは多い。
「エアロパーツは『毎日がGT選手権』をテーマに街乗りできるカッコいいスポーツカーをイメージして作ったし、シルビア用の斜めに立ち上げた砲弾マフラーや見た目のインパクトを重視したエキマニなんかはバイクから発想を得て作ったんだよね。D1マシンでもクイックチェンジデフとか、最先端のパーツをいち早く取り入れていましたよ」と織戸氏。
ドライバーとしてだけでなく、常にスポーツカーとのカーライフを楽しんできた“クルマ好き”としての感覚や発想が、多くのファンを虜にしてきたと言えるだろう。
「実際、レーサーとしての織戸学よりも、メディアに出ていた“モン吉”とかドリフト選手の“オリダー”とかを見て好きになってくれたという人が多いんだよね」と笑う。
撮影用レンタルスタジオなどとしても活用されている『130R YOKOHAMA』。最新デモカーとしてシビックタイプR(FL5)の製品開発がスタートしていて、すでに海外からの問い合わせも数多く届いているという。
現在は神奈川県横浜市の第三京浜『都筑』インターチェンジを降りてすぐの場所に『130R YOKOHAMA』を設立。1Fはエアロパーツ購入車両への取り付け作業などをおこなうガレージスペース兼ショールームとなっていて、2Fではレーシングシミュレーターによるドライビングレッスンなども実施。サーキットでのドライビングレッスンも企画するなど、オーナーと直接触れ合う機会も多いという。
そんな織戸選手に、今後についてお話を伺ってみると「最近はエアロパーツに力を入れていて、日本はもちろん海外にももっと展開していきたいと思っているんだよね。それとは別に、老後の楽しみとしてレース用のTSサニーを買ったんだ。ちょっと調子が悪い部分もあるけど、そういうところをチョコチョコ修理していくのも含めて楽しそうでしょ」と、少年のような目で話してくれた。
「今でも自分は『レーサー』じゃなくて『走り屋』だと思っているよ」
その熱い“織戸魂”は多くのクルマ好きたちを魅了し、これからもそのカーライフを彩り続けてくれることだろう。
(取材協力:有限会社エム・オリドプロジェクト、MAX ORIDO合同会社)
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