【吉田寿博】ユーザーに寄り添う「スバルの名医」であり続けるために・・・愛車文化と名ドライバー
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1964年9月9日に宮城県白石市で生まれた吉田寿博(よしだ としひろ)氏。ニュル24時間レースやスーパー耐久シリーズなどで幾度も表彰台の頂点に立つ、スバルを代表するドライバーの一人だ。
スバル車のチューニングパーツメーカーとして高い知名度を誇り、ニュル24時間レースやスーパー耐久レースなどでも輝かしい実績を積み重ねてきた『PROVA(プローバ)』。その代表を務める吉田寿博氏は、スーパーカーブームの真っ只中で思春期を過ごし、『サーキットの狼』などに登場する速くてカッコいいクルマたちに憧れを抱く少年だったという。
そんな吉田氏に、スーパー耐久やニュルブルク24時間レースなどへの参戦を重ね、“スバルマイスター”として語り継がれるようになった経緯や、PROVAで製品開発をする際に大切にしていることなどを伺った。
2014年にVAB型のWRX STIでニュル24時間レースに参戦した時の様子。佐々木孝太選手、マルセル・ラッセー選手、カルロ・ヴァン・ダム選手と共にドライバーを務めた
クルマ好きとしての原点は『仲間とワイワイ楽しく過ごす時間』
「父親がマツダ・キャロルに乗っていて、2人の兄も含めた5人家族でよくドライブに連れて行ってもらっていました。そんな中で、おそらく地元の林道だったと思うんですが、ラリーを観戦しに行った記憶があるんですよ。両親ともクルマに関連する仕事をしていたわけではなかったので、きっと父親はラリーに興味があったんでしょうね。小学生になるかならないかという年齢だったけど、その時の様子はすごく鮮明に覚えています」
2人の兄や周りの影響もあって早くからオートバイに興味を持ち始め、16 才になるとすぐにオートバイの免許を取得。モンキーやZ400FXなどを購入し、蔵王の峠道などで走りの楽しさを覚えていったという。
18才になる頃には速さや運転技術を意識するようになっていたそうで、はじめて購入した愛車はゼロヨン向けにエンジンチューンまで施されたマツダ・RX-3。この車両でジムカーナ競技の地方戦に挑戦したことが、モータースポーツ人生の扉を開くキッカケになったという。
「オートバイの頃から自分でメンテナンスやカスタマイズをするのが好きだったし、ジムカーナを始めてからは会場で参加車両を観察してマシンメイクの参考にするようになりました。とにかくクルマが好きで、何をするのも楽しかったんですよね。高校を卒業する頃にはクルマの世界にドップリ漬かっていたので、レースなどにも参戦していた地元のスワローレーシングという自動車整備工場の佐藤清治代表に声をかけてもらって正社員として働くようになり、そこで車検整備や鈑金塗装などの技術を学びながら、レース用車両も自分で作ってメンテナンスするようになりました」
2019年からは株式会社プローバの代表取締役社長を務める。神奈川県横浜市都筑区にある社屋の1Fはピットスペース、2Fはパーツなどが展示されたショールームとなっている。ちなみにプローバという名前は、「証明するとか開発するといった意味を持つ『PROVING』が語源です」とのこと
「学生でRX-3に乗っていた頃はとにかくガソリン代で常にお金がない状態だったので競技でもなかなか結果が残せない状況でしたが、就職してからはプロにエンジンを組んでもらって、外装は自ら仕上げたB310型サニーで全日本ジムカーナ選手権に参戦して、東北地区チャンピオンを取ることができました。そして、その優勝を機に、佐藤代表から『次はレースだな』と言われたんです」
こうしてスポーツランドSUGOや仙台ハイランドで開催されていたKP61型スターレットのワンメイクレースに参戦することとなった吉田氏。
「デビュー戦の予選でトップタイムを叩き出してポールポジションを取ることができたんですが、そのまま優勝とはいかず、周回レースの難しさと楽しさを知りましたね。それまでやっていたジムカーナとは違って、一発の速さだけじゃなくて、どうやってレース全体をまとめていい結果を残すのか、ということを考えるようになりました。
今になって振り返ってみると、仲間と一緒にドライブに行ったり夜通しクルマ作りをしたり、レースの勝ち負けによってみんなで一喜一憂したりと、あの頃がいちばん楽しかったなと思うんです。そうやって『クルマで遊ぶ楽しさ』は、いつまでも忘れたくないと思いますし、皆さんにもその魅力を伝えていければいいなといつも思っています」
はじめての海外レース参戦、そしてプローバとの出会い
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初の海外レースとなったマカオグランプリでステアリングを握った『MORITANI CIVIC(EF3)』のミニカー
スターレットワンメイクレースでもシリーズチャンピオンを獲得すると、続いてAE86などの1600ccの車両がしのぎを削るN1600クラスに軽さを武器としたAT型シビックで参戦。その後EG6型シビックへとマシンをスイッチして参戦したシビックワンメイクレースでもチャンピオンを獲得したことで、次の転機が訪れたという。
「自動車レース雑誌『レーシングオン』が企画した『Aへのいざない』に参加させてもらうことになったんです。この企画は日本各地のシリーズチャンピオンを集めて、富士スピードウェイで開催されるインターTEC(国際ツーリングカー耐久レース)で戦って、最も成績の良かったドライバーがマカオグランプリに連れて行ってもらえる、というものでした。そして、この企画をマネージメントしていたのが『プローバ』の山本真一氏だったんです」
結果的にこの企画でマカオグランプリへの参戦権を勝ち取った吉田氏は、EF3型シビックではじめての海外レースを体験。
「当時、ミハエル・シューマッハ選手をはじめエドムンド・アーバイン選手やミカ・ハッキネン選手など錚々たるメンバーがトップカテゴリで走っていたんですが、とにかく速くて衝撃を受けました。『海外ってすごい!』ってね。彼らが走っている様子をじっくり観察してみると、想像もしなかったライン取りでコーナーを駆け抜けていくんですよ。そして、それを自分でも実践してみると、格上のマシンを抜くことができたんです。そのときのレースは残念ながらリタイヤとなってしまいましたが、その後のレース人生において、とても思い出に残る経験ができましたね」と振り返る。
そしてこのレース参戦をキッカケにプローバへの転職を決意し、26歳のときに地元の宮城県から上京することになったという。
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スバルのワークスドライバーだった清水和夫氏を中心としたメンバーが1980年に設立した株式会社プローバ。ラリー競技に参戦しながらスバル車向けカスタマイズパーツの企画販売をはじめ、シビックチャレンジカップ、FJ1600、全日本ツーリングカー選手権、N1耐久シリーズなどのレース参戦、さらにはレース関連企画の運営なども行う会社となっていた
「私が入社した当時のプローバは東京の池尻に会社があったんですが、僕は営業職として入社したので商品の在庫を確認してみると、ラリー用のアンダーガードやサスペンション、ダンドラキャブなど、ちょっと時代遅れになってしまっているような状況でした。そこで、発売されて間もなかったBC/BF型レガシィに向けたパーツに力を入れて開発したところ、いち早く手がけたコンピューターチューンなどはすごく体感できることもあって大ヒットしましたね」
1989年から発売された初代レガシィに向けた『スーパースポーツECU』などのカスタマイズパーツが大ヒット。その後もスバルからはインプレッサなどホットモデルの登場が続き、レースでの活躍と共に売り上げを伸ばしていったという
耐久レースで鍛える信頼性重視のパーツ開発
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スーパー耐久シリーズで活躍したインプレッサWRX STI。スーパー耐久シリーズは新型車や市販車向けパーツの開発の場として、多くのメーカーやショップが鎬を削っている
こうして自身も評価ドライバーを務めながら開発した商品を販売するいっぽう、レース活動ではN1耐久シリーズ、後のスーパー耐久シリーズに参戦。2002年にはプローバ創設者の一人である清水和夫氏と共にスバル・インプレッサWRXでクラスチャンピオンを獲得する。
「GC8型の頃からインプレッサでレースに参戦して、そこで得たデータや意見をスバルにも共有していたんですが、2002年に丸目のGDBで優勝したこともあってか意見が反映されて、涙目モデルでは軽量化や等長エキゾーストマニホールドなど戦闘力アップに繋がったんです。『メーカーが本気でアップデートするとこんなにクルマが変わるのか!?』と感動しましたね」
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スーパー耐久シリーズでは1996年(当時はスーパーN1耐久)、2002年、2005年、2013年にクラスチャンピオンを獲得している。
2005年からドイツで開催される『ニュルブルクリンク24時間レース』に、辰己英治氏をチーム監督として迎えプライベーターチームとして参戦。2008年はスバルのワークスチームとして、2009年からはSTI(Subaru Tecnica International)として活動を続け、2011年と2012年にはクラス優勝を勝ち取るまでに至った。
「2011年は、私の出身地である宮城県を含む東北地方が大震災で大きな被害を受けたため『とにかくいい成績を出すことで少しでも笑顔を取り戻せたら』と、チームのみなさんにもそういった思いを伝えて挑みました。だから、優勝することができた時はすごく嬉しかったし、これまでのレース人生において最も思い出に残っている1戦ですね」
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2011年にニュル24時間レースでSP3Tクラス優勝(総合21位)を勝ち取ったSUBARU WRX STI 4ドア(GVB型)。
そんな吉田氏が、レースに参戦するにあたって重要視しているのは『とにかくリタイヤしないこと』だという。
「カスタマイズパーツを作って販売するにあたって、レースは最も重要なテストの場であり、そのノウハウや実績があってこそ信頼していただけているのだと考えています。だからこそ、レースの途中でトラブルや故障によってリタイヤしてしまうというのは一番良くないことですし、結果もデータも残らないわけです。だから、そうならないようにパーツの設計やマシンメンテナンスなど準備段階から細心の注意をしながら行うんです」
公道を走行するユーザー車が装着するパーツだからこそ、なにかトラブルがあれば事故につながってしまう危険性も高い。だからこそ、レースに参戦することで得たノウハウや経験を活かし、信頼性の高い製品を開発することが最重要だと考えているというわけだ。こういった姿勢も、プローバ製品がスバル車ユーザーに親しまれる理由のひとつなのだろう。
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「たとえば『ピロスタビリンク』は、もっと低価格で作るという選択肢も考えられましたが、価格よりも耐久性や信頼性を重視して製品化しています」と吉田氏
ユーザーの声を聞き、頼られる「お医者さん」を目指して
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2005年からプライベートチームとしてニュル24時間耐久レースにインプレッサWRX STI(GDB)で参戦。クラス2位を獲得した。
「プローバでは20年以上に渡って全国各地のカー用品店でフェアや販売会をおこなっています。僕はそこに来てくれるみなさんと直接お話をして、カスタマイズの提案をしたり、製品に関してのご意見を伺ったりと、生の声を聞き続けてきました。地域や気候などによるニーズの違いや悩み事なども知ることができて、とても興味深いんですよ」と吉田氏。プローバの製品作りにおいては、レースからのフィードバックだけではなく『ユーザーの声』もおおいに活かされているというわけだ。
「総じてスバル車のオーナーさんは『クルマを運転していて楽しいこと』を大事にする方、そして『自分好みにしたい』という方が多いと感じます。わかりやすく見た目を変えたいという方もいれば、見た目は純正のまま性能をアップさせたいという方もいて、その方向性はさまざまですけどね。そういった細かいニーズにも応えていけるような製品作りを続けていきたいと思っています」と、今後の方向性についても語ってくれた。
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「レースではガンガン走りますが、普段は“しっとり”した乗り味のクルマが好きなので、3リッターNAエンジンのBL型レガシィなどを選んで乗っていましたね。いろいろなスバル車を乗り継いできましたが、個人的にいちばん気に入っているのはレガシィアウトバックかな」と自身の愛車について語ってくれた。
「これからはハイブリッドカーや電気自動車なども増えていくと思うんですが、それらについてもしっかりとノーマルの性能や特徴を把握した上で、良いところ活かしながら性能や見た目を変化させることができる“プローバらしい”製品を作っていきたいと思っています。
いっぽうで、レガシィやインプレッサなどは長く乗り続けてトラブルを抱えている車両も増えてきました。そういったオーナーさんの駆け込み寺になれるように、いつまでも笑顔で乗っていただけるように、新旧を問わず何かあったら頼ってもらえる『スバルの名医』のような存在でありたいと思います」
「自分が現役でいられるうちに、プローバとして“コンプリートカー”も作りたいと思っているんですよ。最新モデルもいいけれど、思い出深いGC8やGVBなどをベースにするのもいいかなぁ」
プローバ、そしてスバル車と共に人生の半分以上を歩んできた吉田氏だが、まだまだやりやいことは尽きないようだ。
(取材協力:株式会社プローバ 写真:プローバ、三木宏章)
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