【土屋圭市】「クルマって楽しい!」を体現し伝え続けるドリフトの始祖・・・愛車文化と名ドライバー
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1956年1月30日に長野県小県郡東部町(現:東御市)で生まれた土屋圭市(つちや けいいち)氏。はじめて買った愛車は日産・スカイライン2000GT(GC10)で、その後もAE86をはじめ、スカイラインGT-R、NSX-R、MR2、フェアレディZ、シルビアなどさまざまな愛車を所有してきた
「小学生の頃、テレビでやっていたレース番組を親父と一緒に見ていて、ハコスカvsサバンナの戦いを演じる国さん(高橋国光選手)の走りに憧れたのがすべてのはじまりだったね。国さんが乗っていたハコスカやケンメリのポスターを集めて部屋中に貼っていたよ。家のクルマも親父を説得してハコスカを買ってもらって、新潟に海水浴に連れて行ってもらったりしたのはいい思い出だな」
クルマに興味を持ったキッカケについてこう振り返ってくれたのは、SUPER GTやル・マン24時間など国内外のレースで活躍し、リヤを横滑りさせながらコーナーを駆け抜けるアグレッシブな走行スタイルから『ドリフトキング=ドリキン』の愛称で親しまれてきた土屋圭市氏だ。
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1987年に創刊されたビデオマガジン『ベストモータリング』や、そこから走り屋向けに派生した『ホットバージョン』などでメインキャスターを務めるなど“喋れるレーシングドライバー”としても活躍してきた
高橋国光選手に憧れてレースの世界へ
16歳でオートバイの免許を取得すると、ホンダのダックスを手に入れてドレスアップに勤しみ、徐々に“速さ”に関心を持つようになるとカワサキ マッハIIIで走りのウデを磨くようになっていったという土屋氏。
「18歳になってすぐ免許を取って、中学校の頃から親父の金型工場とかでアルバイトして貯めたお金でハコスカの2000GTを買ったんだ。とにかく国さんみたいに速くなりたいと思って走り込んでいたけど、ブツけてばかりで修理に預けている時間のほうが長いくらいで(苦笑)。そのまま続けていても先がないと思ったから、B110サニーを買ってレースに出ることにしたんだ」
こうして富士フレッシュマンレースにデビューするとB110サニーでTS1300クラスのシリーズチャンピオンを獲得、KP61スターレットのワンメイクレースも制覇し、1984年にはAE86スプリンタートレノでターボ車のスカイラインを押さえてシリーズ6戦全勝という快挙を成し遂げるなど快進撃を続けていく。
「あの頃は坂東商会と倉田自動車にサポートしてもらっていたんだけど『シリーズチャンピオンを獲ったら次のレースカーを買ってやる』って感じで、ニンジンを目の前にぶら下げられた馬みたいに必死で走っていたね(笑)。とにかく常に自分が勝つんだ!!って思ってレースに臨んでいたよ」
若手ドライバーの登竜門だった『富士フレッシュマンレース』に日産・B110サニーでデビューしてシリーズチャンピオンを獲得。KP61スターレットでもクラス制覇を果たしている
「特に雨の中でリヤを滑らせながら攻めまくる国さんの姿に憧れていたから、自分も『雨なら誰にも負けない!』って思って走っていたし、いつか国さんと同じ土俵に立ちたい、そのためには目の前のレースで勝ち続けてステップアップしていくしかないって頑張っていたんだよね。
そんなあるとき、大雨でメインレースは中止になったけれど下位カテゴリの自分たちはレースが開催されるという日があって。そのとき、こっちのピットに国さんと星野(一義)さんが歩いてきて、星野さんが『名前はなんていうんだ?』って聞いてくれたの。国さんは隣で笑っているだけだったけど『はじめて認識してもらえた』って感じて、あの時はすごく嬉しかったなぁ」
1985年から始まった『全日本ツーリングカー選手権』にステップアップを果たすと、1992年からは憧れであった高橋国光選手とチームメイトとしてコンビを組んでアドバンカラーの『STPタイサン・スカイライン』をドライブ。高橋選手が率いるチーム国光の一員として、ル・マン24時間耐久レースにも参戦を果たしている。
ほかにも全日本F3選手権、マカオグランプリ、N1耐久レース、全日本GT選手権、NASCARなど国内外のさまざまなカテゴリへと活躍の場を広げ、ドライバーの座を退いてからもチーム監督やARTAエグゼクティブ・アドバイザーなどを務めている。
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1984年の富士フレッシュマンレースではアドバンカラーのスプリンタートレノで開幕6連勝を飾り、勢いそのままにシリーズ優勝を果たした
速く走るために磨き上げた『ドリフト』
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高橋国光選手の走りに憧れて磨き上げた『ドリフト』。また「峠出身の走り屋は暗いところで走るのが当たり前」と、ナイトレースも得意としている
「他のドライバーより速いスピードでコーナーに飛び込むための手段として、コントロールできないアンダーステアではなく、オーバーステアで入ってリヤのスライドをコントロールしながら走るという方法を選んでいたんだよね。当時はテールスライドとかケツ滑りみたいな言葉しかなかったんだけど、カーボーイ誌の編集長だった池田さんが『ドリフト』って言葉を使うようになって『ドリフトキング=ドリキン』って呼び名をつけてくれたんだ」
こうして『ドリフト』の代名詞としても広く知られるようになった土屋氏は、2000年に『全日本プロドリフト選手権(現在はD1グランプリ)』を立ち上げ、国内はもちろんアメリカをはじめとする海外でも興行を成功させるなど『DRIFT』を世界的に知られるモータースポーツへと昇華させる立役者となっていった。
「1990年代後半になるとドリフトに憧れてクルマ好きになったという若者が増えてきて、それと同時に夕方のニュースで『ドリフト族』と報道されることも多くなってきたんだよね。せっかくドリフトを好きになって頑張っているコたちが、ドリフトで飯を食って行けるようにしてやりたい!って思ったんだ」
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アドバンカラーを纏うワークスドライバーとして活躍し、ヨコハマタイヤの開発にも長年にわたって携わってきた。写真は『STPタイサン・スカイライン』
今でも守り続けている「国さんの教え」とは?
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高橋国光氏とのツーショット
レースでの活躍とともに『ドリキンのドリフト』を見るためにサーキットを訪れるファンも増えていくなか、仕事としてトークショーなどの場に立つこともどんどん増えていったという土屋氏。
「ヨコハマタイヤが全国を回ってトークショーをやっている頃に『ドライバーって運転は上手いけどトークは全然ダメだな』って言われて、悔しかったから話術を学ぶために永六輔の講演会を2回くらい見に行ったね。そこで、まずは最初の5分で“つかみ”、そのあとにこうやって話をまとめて、最後は目標を話して終わる…みたいな話の組み立て方を意識するようになったんだ」
現役ドライバー時代からF1などのレポーターや解説を務め、現在もテレビ、ラジオ、インターネット動画などなど幅広く活躍する土屋氏のトーク術は、この頃から磨き上げられてきたものというわけだ。
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1992年からの5年間はチーム国光でドライバーとして活躍。ル・マン24時間レースではホンダ NSX-GT2で参戦しGT2クラス優勝を果たした
そして、こういった話術やトークスキルの向上に邁進してきた背景には、憧れの存在であり良き先輩ドライバーであった高橋国光氏の言葉が大きく影響しているという。
「国さんから『ドライバーがレースを続けられるのはスポンサーの存在があってこそ。そして、そんなスポンサーのために、お客さんに喜んでもらいファンを増やすことが大事なんだ』と教えてもらったんだよね。走りはもちろんこういった考え方も含めて、国さんに憧れて、国さんみたいになりたいっていう気持ちは常に持ち続けてきたよ」
そして2003年にレースを引退する際には、高橋国光氏から「全国にファンを作って、そして日本のGTレース、あるいはモータースポーツファンを、こんなに増やしてくれたのは圭ちゃんだったと言っても言い過ぎではないと思います」という言葉を送られるに至ったのだ。
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2020年にはYouTubeチャンネル『DRIFT KING TELEVISION』を立ち上げて、さまざまな動画も配信中
愛車AE86とともに走り続ける理由
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長年にわたって作り上げてきた愛車のAE86は『ストリート号』『スーパーマメ号』などの愛称でもおなじみの存在だ
プロドライバーとして活躍するいっぽうで、プライベートでもクルマ好きな『走り屋』として数々の愛車を所有し、カスタマイズを楽しみ続けてきた土屋氏。その愛車選びの基準について伺ってみると……。
「まずは見た目だね。いいなって思ったら乗ってみて、気に入ったら買ってみて、さらに自分好みになるようにイジるわけ。そのクルマの魅力が引き出せるようにって考えてチューニングやドレスアップをするから、クルマによってイジり方は違うけど、ノーマルのまま乗るっていう発想はそもそも無いね」
土屋氏がプロデュースするアフターパーツは機能部品からドレスアップパーツまで多岐に渡る。モデューロでは速さだけではなく質感や気持ちよさの向上を念頭に開発を行い、その集大成として『Modulo X』を生み出している。スポーツシートメーカーのブリッドからは土屋圭市スペシャルエディションモデルのフルバケットシートが販売されている
そんな土屋氏だけに、自らアフターパーツをプロデュースしたり、ホンダ純正アクセサリーブランド『Modulo(モデューロ)』の開発ドライバーを務めたりと、これまで数々のアフターパーツ開発に携わってきた。
「はじめて開発に携わったのはKP61スターレットのサスペンション『碓氷SPL』かな。それから『圭オフィス』っていうブランドではホイールやエアロパーツもプロデュースしたね。その頃からずっと変わらないのは『とにかく自分がいいと思えるものを妥協なく作る』ってスタンス。それと、お客さんに喜んでもらいたい、嘘はつきたくないっていうことかな」
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自身の愛車にも装着している『ドリドリメッシュ』も土屋氏のプロデュース作品。共通のデザインコンセプトを持つ新製品が、FL5型シビックタイプR用としてまもなく発売される予定だ
こうしてさまざまな愛車とカスタムを楽しんできた土屋氏だが、一番好きだった愛車は?と伺ってみると即答で返事が。
「今も乗っているこのAE86だね。AE86っていうクルマはさ、パズルみたいなものなんだ。メーカーやプロショップから星の数ほどアフターパーツが発売されていて、その組み合わせによってはすごく鈍臭いクルマがスーパーカーにも勝てるくらい速くなるんだもん。こんなにワクワクさせてくれるクルマはAE86だけでしょ。ちなみに乗り始めた頃から『レースはトレノ、ダートラやラリーはレビン』っていうイメージがあったらスプリンタートレノ派。実際に空力もトレノの方が良くて、富士スピードウェイのホームストレートでトップスピードが2km/hくらい違ったからね」
かつて『暴走族』と『走り屋』の違いを唱え、近年はクルマ遊びの世界を継続させていくためにも合法チューニングの重要性を伝えている土屋氏。自身の愛車であるAE86や、ZN6型の86(通称クロハチ)なども『サーキットも走れるチューニングカー』として磨き上げ続けている
そんな愛車である『AE86』、そして『走り屋』『ドリフト』のイメージから生まれた『頭文字D』では、アニメ版の監修やエンジンサウンド提供を行うなど全面協力。さらに東京が舞台となったハリウッド映画『ワイルド・スピードX3 TOKYO DRIFT』では監修だけでなく本人も映画に登場するなど、ドライバーとしての領域を超えて世界的にも有名な存在になっていった土屋氏。
海外イベントなどにゲストとして招かれる機会も多く、そういった場面では常に多くのファンがサインを求めて長蛇の列をなす。
2025年4月に、愛車の主治医でもあるAE86専門店『テックアート』、JDMカルチャーに詳しい『ポインタージャパン』とともに、ショールーム&イベントスペース『G.base』をオープン予定。気になる方はhttps://gbase-jdm.jp/をチェック
「最近は海外から日本に来てくれるファンもたくさんいて、そういった需要などにも応えられるように、埼玉県の八潮市に新しいショールーム『G.base(ジーベース)』を作っているんだ。そこでは自分の愛車やレースカーを展示したり、プロデュースしたアイテムやグッズを販売したり、イベントを開催したりと、JDMカーカルチャーを発信していきたいと思っているので、ぜひ遊びにきてほしいな」と土屋氏。
プロドライバーを引退する際には「走り屋に戻る」と語り、その言葉通り愛車をはじめとする多種多様なクルマで走ってイジってその魅力をさまざまな手法で発信し続けてきた。
『クルマって楽しい』を自ら体現し続け、そして巧みな話術で伝え続ける土屋圭市氏の勢いは、まだまだ止まる所を知らない。
G.base
https://gbase-jdm.jp/
(取材協力:ケイワンプランニング 写真:平野 陽/ケイワンプランニング/本田技研工業)
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