三菱ランサーの歴代ラリーカーがMEGA WEBに! 3台のレジェンドマシンを紹介

東京・お台場にあるMEGA WEB「ヒストリーガレージ」内で、トヨタのモータースポーツ活動の歴史を紹介する「モータースポーツヘリテージ」。ここで5月20日(日)の期間中、特別展示として三菱自動車のラリー活動を代表する3台のランサーが展示されています。他メーカーのマシンを特別展示するのは日産、スバルに続いて3回目。今回は、この「三菱ラリー車 特別展示」に展示された、三菱のレジェンドラリーカーたちをご紹介します。

1974年サファリ・ラリー優勝車『ランサー1600GSR』

三菱ランサーは、1973年に初代モデルが誕生しました。同年9月にラリーベース車となる「ランサー1600GSR」が登場し、ラリーへのチャレンジがスタート。同年にオーストラリアで開催された国際ラリー「第8回サザンクロスラリー」で、1~4位までを独占する驚異的なデビューを飾ります。

展示車両は、1974年にアフリカ・ケニアで開催された「サファリ・ラリー」でWRC(世界ラリー選手権)デビューを飾ったもの。当時のサファリ・ラリーは、現在のWRCの約4倍にもなる6000kmもの総走行距離を5日間で走るという過酷なものでした。

クルマ・ドライバーともに高い信頼性と安定感がなければ完走もままならず、「カーブレイカー・ラリー」と呼ばれていたほど。そんな中で、地元出身のドライバー、ジョギンダ・シン選手は、ランサー1600GSRを駆り、信頼性に定評あったポルシェ911など競合を抑えてWRCデビューウィンを飾りました。

シートもフルバケットシートではない時代。後部座席も残されており、スペアタイヤが固定されている
シートもフルバケットシートではない時代。後部座席も残されており、スペアタイヤが固定されている

三菱自動車のラリー活動で忘れてはならない篠塚建次郎選手も、この初代ランサーで国際ラリーデビューを果たし、1976年のサファリ・ラリーでは総合6位で完走。この年の勝者は、チームメイトのジョギンダ・シン選手でした。初代ランサーは、1977年に三菱がモータースポーツ活動を一時休止まで、通算7回の総合優勝を飾り、三菱のラリー活動の礎となりました。当時の様子が三菱自動車公式Youtubeチャンネルで公開されています。

1982年1000湖ラリー出場車『ランサーEX2000ターボ』

オイルショックなどによりモータースポーツ活動を一時休止した三菱は1981年、ヨーロッパ向けに発売された2代目ランサーのスポーツモデル「ランサーEX 2000ターボ」をベースにしたラリーカーで、WRC復帰を果たします。280馬力を発揮する名機「4G63型エンジン」と軽量コンパクトな車体で、2輪駆動ながら、当時の最新鋭ラリーマシン「アウディ・クワトロ」と激しいバトルを演じました。

展示車両は、1982年に北欧フィンランドで開催された「1000湖ラリー」の出場車。森と湖に囲まれたこのラリーは、現在のWRCにおいても超高速イベントのひとつで、地元ドライバーが強さを発揮するラリーとして有名です。このマシンをドライブしていたのも、地元出身のペンティ・アイリッカラ選手。わずかな操作ミスが即アクシデントに繋がるラリーの中で、地元出身の利を生かして「ランサーEX2000ターボ」史上、最高成績の3位を飾りました。三菱は、翌年の1000湖ラリーを終えると再びWRCの活動休止し、 4WDマシンの開発に着手。

助手席ドアから伸びているのは、ナビゲーターが「ペースノート」を見るための照明。ペースノートは、ラリーステージの詳細が書かれているノートで、ドライバーにコースの先を伝える“命綱”だ
助手席ドアから伸びているのは、ナビゲーターが「ペースノート」を見るための照明。ペースノートは、ラリーステージの詳細が書かれているノートで、ドライバーにコースの先を伝える“命綱”だ

1995年ラリー・オーストラリア優勝車『ランサーエボリューションIII』

1987年には、市販車をベースにし「グループA規定」をトップカテゴリーした新レギュレーションによるWRCがスタートし、三菱は1988年に「ギャランVR-4」で復帰を果たします。1991年、1992年の「コートジボワール・ラリー」では、篠塚建次郎選手が日本人で唯一となる2年連続のWRC総合優勝を飾りました。

当時のライバルであるフォード、トヨタ、そしてスバルが新車を投入するのに合わせ、1993年に「ランサーエボリューション」を投入。ギャランよりも「1kmあたり1秒早い」というパフォーマンスを持ち、デビュー戦から上位争いを演じました。

リアウィンドウに貼られている「COUTION(CAUTION) LEFT HAND DRIVE」は、左ハンドルを禁止しているオーストラリアの公道を移動走行する区間で一般ドライバーに通知するもの
リアウィンドウに貼られている「COUTION(CAUTION) LEFT HAND DRIVE」は、左ハンドルを禁止しているオーストラリアの公道を移動走行する区間で一般ドライバーに通知するもの

そして1995年に大型リアウィング、フロントバンパーが特徴の「ランサーエボリューションⅢ」を投入。WRCには、同年の第4戦「ツール・ド・コルス(フランス)」でデビュー。当時のドライバーは、スウェーデン出身のケネス・エリクソン選手と、現在「TOYOTA GAZOO Racing World Rally Team」の代表を務める、フィンランド出身のトミ・マキネン選手です。“ランエボⅢ”は、WRCと平行してワークス参戦していたAPRC(アジア・パシフィックラリー選手権)で、破竹の4連勝を飾り年間チャンピオンも飾っています。

反射防止でダッシュボードはスエード素材に。メーターもタコメーターとブーストメーターのみとシンプルに
反射防止でダッシュボードはスエード素材に。メーターもタコメーターとブーストメーターのみとシンプルに

展示車両は、投入3戦目となる「ラリー・オーストラリア」で、ケネス・エリクソン選手がドライブしたマシン。APRC/WRC両方のポイントが獲得できる「ラリー・オーストラリア」は、APRCタイトルがかかっていた彼にとって、負けられないイベントでした。2日目にインプレッサのコリン・マクレーと同タイムでのトップに立つと最終日までその座を守り、ランサーエボリューションIIIにWRC初優勝をもたらします。

翌年からトミ・マキネン選手がエースドライバーとなり、ランサーエボリューションⅢで自身初のドライバーズチャンピオンを飾り、1999年まで三菱黄金期を築いていきました。

同スペースには、トミ・マキネンが1998年から2001年までタッグを組んだナビゲーター、リスト・マニセンマキ選手の1999年シーズンのスーツを展示されていた
同スペースには、トミ・マキネンが1998年から2001年までタッグを組んだナビゲーター、リスト・マニセンマキ選手の1999年シーズンのスーツを展示されていた

2016年に「ランサーエボリューション ファイナルエディション」の生産を終了して以来、三菱にはラリーカーのベースになるようなオフロード/オンロードの両方を思いっきり走れるクルマはラインナップされていません。“ランエボ”は三菱を代表するモデルでもあっただけに、いつかまた復活して、日本のスポーツカー文化を盛り上げていってほしいものですね。MEGA WEBモータースポーツヘリテージ『三菱ラリー車 特別展示』は、5月20日(日)まで開催しています。

(取材・文・写真 クリハラジュン 編集:木谷宗義+ノオト)

[ガズー編集部]