Dakar Classicにみる栄光のマシン:part1[外国車編]

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ダカールラリーと併催で新たなラリーとして開催されたDakar Classic。VWイルティスやロスマンズカラーのポルシェ、レンジローバー、三菱・パジェロ、日産・テラノ、トヨタ・ランドクルーザーと往年のパリ・ダカールラリー(通称:パリダカ)の雰囲気が伝わってくる写真を連日観ていてノスタルジーに駆られ、わくわくしていました。どのようなラリーなのだろうかと調べてみましたので、今回参戦車両とともに紹介します。

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ポルシェ911 SC (左)とVWイルティス(右)

ダカールラリーと同軸で走るアベレージラリー

ラリーには、WRC(世界ラリー選手権)やダカールラリーのように、SS(競技区間)とリエゾン(移動区間)に分かれ、いくつかのSSを走りそのトータルタイムで競うタイプと、競技区間で設定されたターゲットタイムにいかに正確なタイムでゴールするかを競うアベレージラリーがあります。Dakar Classicはアベレージラリーで、12ステージあり、毎ステージごとにいくつかのZRs(Regularity Zones/タイム計測区間)があります。ダカールラリーと同じビバークを使いながら、1日あたり500km以内を走行します。ステージでは難しいルートブックを読むことなく、TRIPYという簡易ナビシステムを使い(ダカールラリーではアシスタントカーやメディアカーに搭載される機器)、その表示に従って走ります。ZRsのアベレージスピードもTRIPYに記録されます。

参加者はその車両を運転できる免許証、国際免許証で参戦でき、特にFIA競技ライセンスは必要ないのでとても出やすく、往年のパリダカの雰囲気を味わうにはぴったりのラリーです。エントリーフィーは4輪が1万€(約125万円)、トラックが1.5万€(約187万円)(1€=125円換算)で、欧州からサウジアラビアの往復船輸送代、ビバークでの食事、ラリー中の燃料、保険、医療サポートやTRIPY、IRITRACK(自車位置を衛星を介して発信する装置)のレンタル代が含まれます。あとはサウジアラビアまでの飛行機代、ラリー前後の宿泊、生活費とラリー中アシスタンスを依頼する場合、別途費用がかかります。

1999年までに生産されたマシンが参戦可能

参戦できる車両は、4輪から8輪車。4輪の乗員は2名、トラックは2~3名。1999年までにダカールラリーやほかのラリーやクロスカントリーラリーに参戦していた車種と同じであることが条件で、一部主催者が認めた車両も参戦可能です。年代別に分かれⅠは1986年1月1日以前に生産された車、Ⅱは1986年1月1日から1996年12月31日、Ⅲは1997年1月1日から1999年12月31日。タイプは、Ⅰは2輪駆動車、Ⅱは4輪駆動車、Ⅲはトラックです。そしてふたつのグループに分かれH1はスタンダード、H2はスタンダードより20~40%速いアベレージスピードのベテラン(年代別Ⅲはベテランのみ参戦可)グループとなっています。ロールケージやホモロゲーション取得のシート、ハーネス、消火器などが必要です。

参戦車から当時のパリダカを紐解く

◆第2回大会で優勝したVWイルティス

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VWイルティス

パリ・ダカールラリーがまだオアシス・ラリーと呼ばれていた1980年の第2回大会。1月1日にフランス・パリをスタートし、アルジェリア、マリ、ニジェール、ブルキナファソを走りセネガルの首都ダカールにゴールする23日間、7,850kmのラリーからオート部門が新設され、ワンツーフィニッシュを飾ったのがVWイルティスです。ドイツ軍の軍用車として採用され、設計はアウディが担当しました。アウディのクワトロ技術はこのイルティスから始まっています。

 

◆ポルシェがパリダカにやってきた

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ポルシェ911 SC

ポルシェは80年代のWRC、WECへの参戦を考え、グループB車両(連続12ヶ月間で200台以上生産された市販車)の開発のなか、ポルシェは911をベースに4WD化したマシンをパリダカに持ち込みました。ポルシェのレース活動のスポンサーであったロスマンズが、パリダカをプロモーションの場として、1984年に911(タイプ953)として3台が初参戦し、ルネ・メッジ選手が優勝、F1で活躍し、ル・マン24時間で6度の優勝をしているジャッキー・イクス選手が6位、ロランド・クスマル選手が26位と3台全車完走。1985年は959として3台参戦するも全車リタイア。1986年にも参戦し、ルネ・メッジ選手、ジャッキー・イクス選手で見事ワンツーフィニッシュを達成し、ポルシェの4WDの速さと強さを世界に証明してみせました。今回走っていたのは当時のマシンをオマージュしたポルシェ911 SCです。

 

◆第1回大会を四輪で最初にゴールしたのはローバー

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ランドローバー・レンジローバー3.9

オアシス・ラリーの名で開催された1979年の第1回大会は1978年12月26日にパリのトロカデロ広場をスタートし、1979年1月14日にセネガルの首都ダカールまで、8,500km(うちSS:3169km)の冒険行でした。バイクが90台、四輪が80台、トラックが12台の182台が参戦しましたが、当時はクラス分けがなく、優勝はヤマハXT500に乗るシリル・ヌブー選手でしたが、四輪のトップは4位のレンジローバーでした。1970年に誕生したレンジローバーは、ラグジュアリーなクロスカントリーワゴンの草分け的存在で、トルクフルなV8エンジンとフルタイム4WDで過酷なアフリカ大陸を走破し、第3回大会でも優勝しています。

 

◆ゲレンデヴァーゲン=オフロードビークルの本領発揮

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メルセデスG320

日本では高級SUVとして人気の高いGクラス。もともとゲレンデヴァーゲン(Geländewagen)と呼ばれ、ドイツ語でオフロードビークル(Off-road vehicle)の意なので、先行するレンジローバーに対等するためにも世界一過酷なラリーに参戦することは必然でした。1979年に誕生し、第3回大会(1981年)からワークス参戦をし、第5回大会(1983年)にジャッキー・イクス選手が280GEで優勝を果たします。ここでレンジローバーに一矢報いました。今回走っているのはG320です。

 

◆VWをベースとしたバギー

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BUGGY SUNHILL 1982/1983

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BUGGY SUNHILL 1979

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VW BAJA

VWビートルは、その愛らしいスタイルを残したまま、バギーに改造する通称「Baja Bug(バハバグ)」がアメリカ西海岸で1960年代から流行り始めました。フラットダートを疾走したり、砂丘を駆け上がったりと、比較的リーズナブルにオフロードを楽しめるマシンとしてアメリカ、オーストラリアで人気がありました。さらに軽量化するためにボディを製作して、基本は水平対向4気筒エンジンですが、中にはV8エンジンに乗せ換えて、さらにハイパワーモデルにするビルダーもいました。

 

◆フランス人にとって壊れにくいクルマ、プジョー504

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プジョー504ピックアップ

パリダカに第1回から参戦しているプジョーのクルマといったら504。ピニンファリーナのデザインが印象的な504は、壊れにくいクルマとしてフランスで知られ、事実フランスで使われなくなった504が、セネガルでタクシーとして多く走っているのをよく見かけました。今回は珍しいピックアップの504が参戦していましたが、第7回大会(1985年)では10台がエントリーしていました。当時は残念ながら全車リタイアしていましたが、後にパリダカをワークスとして席捲したプジョーの礎は自分たちだと誇らしげに走っているように見えました。

次回は当時のワークスカーの走りが観たい

初開催されたDakar Classicは、参加者からSNSを通じて観る方々まで評判がいいです。であれば、次回はラダ・ニーバやプジョー、シトロエンのワークスマシンなど、往年のマシンが走る姿が観てみたいです。当時のパリダカは「走る実験室」の要素がありましたが、Dakar Classicは「走る博物館」のようにこれから盛り上がることを期待しています。

文:寺田昌弘

 

ダカールラリー参戦をはじめアフリカ、北米、南米、欧州、アジア、オーストラリアと5大陸、50カ国以上をクルマで走り、クルマのある生活を現場で観てきたコラムニスト。愛車は2台のランドクルーザーに初代ミライを加え、FCEVに乗りながらモビリティーの未来を模索している。自身が日々、モビリティーを体感しながら思ったことを綴るコラム。


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