Dakar Classicにみる栄光のマシン:part2[日本車編]

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パリダカのバイク部門は、第1回大会からヤマハ、ホンダ、スズキなど日本メーカーが台頭し、冒険者たちの相棒として選ばれていました。四輪部門は、ランドローバー、メルセデス、ラダと対等にトヨタ・ランドクルーザー、ハイラックスが参戦していましたが、後に日産・パトロール(日本名:サファリ)、三菱・パジェロの人気が上がり、パジェロはワークスとしてプジョー、シトロエン、VWと総合優勝争いをしていましたが、ランドクルーザーやパトロールはプライベーターの最も信頼できるクルマとして選ばれ、いくつもの砂漠を越えてきました。今回はそんな日本車と、あまり知られていない日本メーカーも紹介します。

パリダカから世界へ名を馳せたパジェロ

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三菱モンテロ(日本名:パジェロ)V6

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三菱パジェロ エボリューション

1982年5月に販売された三菱・パジェロは、翌1983年の第5回大会の市販車無改造部門に2台で初参戦しました。三菱のフランスのインポーターが、パリダカでヤマハのワークスチームを運営していたので、ノウハウは充分。ドライバーはWRCを走ってきた三菱の名手アンドリュー・コーワン選手。後にWRCの三菱ラリーアートチームの監督となり、トミ・マキネン選手のWRC4連覇を支えた名将です。

私は1990年に20歳でオーストラリア大陸を縦断するラリーに参戦したときにお会いしましたが、見た目やさしく、SS中に追い抜かれたのですが、その気迫の走りに圧倒したことを覚えています。パリダカではパジェロは初参戦ながら総合11位、市販車無改造部門ではワンツーフィニッシュ。2年後の第7回大会では、四輪の参加台数が337台のなか、総合でワンツーフィニッシュ、市販車部門も優勝と、パジェロの名を世界に知らしめました。その後、WRCから行き場のなくなったグループBカー、ジャン・トッド監督(現FIA会長)率いるプジョースポールのプジョー205T16GR、405T16GR、そしてシトロエンのZXラリーとの優勝争いが展開されます。

また、篠塚健次郎選手、増岡浩選手と日本人ドライバーがパリダカで総合優勝し、日本でも盛り上がりました。1997年に日本人初総合優勝を篠塚選手が達成したとき、ラックローズでポディウムに上がる姿を、パリダカ初参戦の私は現場で観て感動しました。

冒険心を支える最高の相棒、ランドクルーザー

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ランドクルーザー80

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ランドクルーザープラド

第1回大会からプライベーターの冒険の相棒として選ばれていたのが、ランドクルーザーです。40系に始まり、60系は第7回大会(1985年)でフランストヨタのサポートを受け総合3位、4位となりました。70系は信頼性、耐久性そしてメンテナンスのしやすさからプライベーターにとって最も完走に近いクルマとして選ばれ、欧州で販売されていたランドクルーザーⅡも多く参戦しました。

ランドクルーザーを組み立てていたアラコは、社員からナビゲーターを選出し、80系で参戦し、これが現在のチームランドクルーザー・トヨタオートボデー(TLC)に続いています。トヨタフランスはランドクルーザープラド(90系)をチューニングして参戦するだけでなく、ランドクルーザーで参戦するプライベーターのサポートをしていました。

また、主催者はルート探索からドクターカーなどオフィシャルカーに70系を使い、競技車だけでなく、オフィシャルカーとして絶大なる信頼を得ています。私は70系で1997年、1998年、片山右京選手のナビゲーターとして2008年はランドクルーザー100で、2009年はランドクルーザープラド、2011年、2012年はTLCとしてランドクルーザー200で参戦しました。ランドクルーザーこそ最も信頼できる相棒だと思っています。

日産テラノはパリダカで鍛えられた

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日産テラノ

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日産パトロール(日本名:サファリ)

日産はフランス・ノルマンディーにあるディーラーのアンドレ・ドスードが、第5回大会(1983年)に日産パトロール(日本名:サファリ)で参戦してから、日産の轍がサハラ砂漠に刻まれました。ディーラーチームだから市販車無改造、改造クラスとあくまで市販車にこだわり、カスタマーサービスも充実していました。

そして、テラノで日本から参戦したのは武田譲二選手。日産の駆動実験課に勤務する社員で第10回大会(1988年)からテラノ(1986年8月発売)で参戦。まさしくパリダカを「走る実験室」として、日本でサスペンションをシュミレーションし、現場で走り、マシンへフィードバックすることを繰り返していました。また第13回大会(1991年)からトランスミッションをATで挑戦し、ATの耐久性の高さやラリーでの有効性を実証していました。毎年スタートポディウムで「毎年、有給休暇をすべてパリダカに捧げる日本のサラリーマン」と紹介され、日産車でエントリーしている海外選手にも愛された技術者。武田選手のパリダカでの体験が、日産車のオフロード性能向上にどれだけ貢献したか計り知れないです。

ほかにもさまざまな日本車が参戦

今回のDakar Classicには参戦していませんが、初期にはダイハツ・ロッキー、スバル・レオーネが、90年代にはいすゞ・ビッグホーン、ミュー、ヴィークロス、三菱・チャレンジャー、トヨタ・ハイラックスサーフ、そして初期から今もトヨタ・ハイラックスなど参戦しています。

さらに、日本人として初参戦したTeamACPは、トヨタ・スターレット(KP61)、カリーナ、カローラレビン(AE86)といったFR車でも挑戦しました。これら日本車はみな、その信頼性、耐久性の高さをパリダカで証明し、人気を博しました。

私が初参戦したのが1997年で、今もそのランドクルーザー70に乗っているので、Dakar Classicに参戦できますが、それより欧州でマシンを見つけ、メンテナンスをして参戦したほうが安く出られそうです。昔のパリダカの雰囲気を味わいながら、今のダカールを観ながら旅をする。ともに地平線の先に夢を見るヒューマンアドベンチャー。クルマで冒険したい方におすすめのイベントです。

文:寺田昌弘

 

ダカールラリー参戦をはじめアフリカ、北米、南米、欧州、アジア、オーストラリアと5大陸、50カ国以上をクルマで走り、クルマのある生活を現場で観てきたコラムニスト。愛車は2台のランドクルーザーに初代ミライを加え、FCEVに乗りながらモビリティーの未来を模索している。自身が日々、モビリティーを体感しながら思ったことを綴るコラム。


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