【東京モーターショーにコンセプトカーとして発表されたあのクルマたち】39年ぶりに登場したFRスポーツ、ホンダ・S2000のきっかけとなったコンセプトカー「SSM」

1995年の第41回東京モーターショーで、ホンダがスポーツカーの理想を掲げて提案したのがSSM(スポーツ・スタディ・モデル)。同年はトヨタMRJ、マツダMX-01などいくつかのスポーツカーも提案されていた。ホンダでは1990年にNSXを発表するなど、トップエンドのスポーツカーを登場させていたが、よりコンパクトなモデルも望まれていた。

とはいえ時代はミニバンに注目が集まり始めており、1994年には初代オデッセイを発表し、極めて高い人気を得た。VTECによるスポーツエンジンの進行とは別に、こうしたミニバンブームを予感させる時代でもあった。その中でSSMが突然現れたことは、多くのスポーツカーファンを沸かせた。そしてその斜め前にはピニンファリーナがホンダに捧げる2シータースポーツとしてアルジェント・ヴィーヴォを発表。実はこの両車は、どちらもインスパイアの縦置き直列5気筒エンジンをフロントミッドに搭載し、NSXのサスペンションを持っていたという。

ホンダにとってFRレイアウトは、1960年代のオープンスポーツカー (S500、S600、S800) 以来だったのだが、実際にはこのコンセプトカーの開発は発売を前提してのものではなく文字通りのスタディだった。しかしながらこの東京モーターショーでの評判を機に、量産モデルの開発がスタートした。

そして4年の歳月を経た1999年に、本田技研工業創立50周年の記念モデルとして ”S2000” の名前で市販されるに至った。搭載されるエンジンは自然吸気のF20型2ℓ直列4気筒VTECとなり、許容回転数は9000rpm。この回転に耐えうるトランスミッションを開発できるメーカーがないとして、縦置きトランスミッションもホンダが独自開発を行なったという。

[ガズー編集部]