【東京モーターショーにコンセプトカーとして発表されたあのクルマたち】システムだけでない、パッケージの大きな進化が初代プリウスを生んだ

1993年ごろから始まった21世紀の車の研究が、G21プロジェクトというエコ・プロジェクトとして進み始めた。様々な21世紀型パワーユニットを検討するなかで、94年末に浮上したのがハイブリッドシステムだった。ハイブリッドに照準を定めた理由は、目標とする燃費にあった。従来エンジンの30%増しであれば、他社がすぐに追いつける可能性もあり、あるいは試験段階では達成している可能性もある。50%増しなら、そうは追いついてこないだろうと。ところがその後には、50%増しでも不足で100%増しが目標と再設定された。

そしてプリウスのコンセプトカーが登場したのが、1995年の東京モーターショー。ここで語られていたのは、「これからのセダン」という割と抽象的なもので、ハイブリッドの表記はなく「ガソリンエンジンをモーターでアシストする」と表現された。あえて具体的な内容はぼかされていたのだ。ところが、開発現場ではすでにハイブリッドシステムを実用化する方向は承認されていたという。

しかしプリウス・コンセプトカーのデザインについては、パッケージがかなり先進的なので、奇異な感じに見られかねない。そのため出来るだけ親しみやすいものにしたのだという。

実際にはバッテリーも搭載するなど、ユニットは増加しているにもかかわらず、全長はわずか4.2m程度。大きなパッケージの革新が必要となった。最大のポイントが1.5mに近い全高にあった。コンセプトと量産の大きな違いは、面や造形の作り込みにある。量産モデルの開発にあたっては「世界初を買った満足感が将来にわたって続くように」といった思いが込められている。

[ガズー編集部]