[S耐のスーパーな人]Vol.1 福山英朗さん 後輩愛があふれ出る人気者「レース界のお父さん」

2021年シーズンのスーパー耐久シリーズは、GRスープラが増えたことでST-Zクラスが充実したり、ST-Qクラスに水素エンジン搭載車が登場したり話題豊富! GAZOOでも昨年に続きS耐でクルマを楽しんでいる方々をどんどんご紹介していきたいと思います。

そこで、今年は「S耐のスーパーな人」と題し、S耐の現場で輝く、他の方からも一目置かれる”スーパーな人”を紹介形式でつなぐ企画を実施します!

その初回を飾るのは、昨年はS耐TVに密着した際にもお話を伺いましたが、「レース界のお父さん」としてS耐には欠かせない存在、福山英朗さんからスタートしたいと思います!

さて、福山さんと言えば、NASCARの最高峰シリーズに年間参戦した初の日本人としても有名ですが、ル・マン24時間でクラス優勝を飾ったり国内の十勝24時間でもST-2クラスで2連勝するなど、輝かしい実績を残した「耐久レースマイスター」という印象もあります。

そんな福山さんに、まずはレーシングドライバーになるまでのお話を伺いました。

「子供の頃は一家に一台クルマがあるような時代ではなく、クルマに対するあこがれはすごいあって、小学校の卒業文集にレーサーになりたいと書きました。親には反対されたんですけど中学卒業と同時に自動車整備士になって、本当に自動車一本で生きてきた人生ですね」

「ただ、1960年代後半なのでまだ日本に自動車レーサーというものが生まれているかどうかという時代ですし、正直レーサーになれるとは思っていませんでした」

「レースを始めたのは鈴鹿の入門のフォーミュラからですが、最初の5年くらいは働いて働いて働いて、ちょっと走る、また働いて働いて働いて、ちょっと走る、とその連続でした。ただ自己資金もそうそう続きませんから、いろんな人に助けていただきながら継続していくことができました。そこからプロになるまで10年かかりましたね」

そうした苦労を経てトップカテゴリーでシリーズチャンピオンを獲得するまでのトップドライバーになることができた福山さんに、プロになってからの印象に残るレースについても聞いてみました。

「僕の当たり年は2000年です。チームタイサンからオファーをいただいて、その年に全日本GT選手権のチャンピオンとル・マン24時間のクラス優勝を飾ることができました」

「僕は今のスーパーフォーミュラの前身、F3000というスプリントの速さ一発勝負というレースにも出場しました。ただそれよりも自分のDNAのリズムだとか、長時間にも及ぶレースならではのクルマに対するいたわり方だとか、僕の特質が耐久レース向きだったんでしょう、ハコ車、そして耐久レースで功績を残せたのかもしれないですね」

そして、S耐に関わるようになったことには、やはり福山さんの特質が合っていたからのようです。

「いまだに走りたい気持ちはありますが(笑)、年齢を重ねていく中で運営のお手伝いをやらないかとお声がけをいただいて、ドライバーの安全に関することをお手伝いさせていただくことになりました。その間に、ペナルティや接触事故の数を減ってきたことはお役に立てたのではないかと思います」

「それからS耐の放送が始まり、その担当してくれないかとお話をいただきました。モータースポーツに関わる後輩たちへの愛情みたいなものがにじみ出ればなという思いでやっていますが、うれしいことに周りの方から『レース界のお父さん』と言われるようになってきました。これも結果的に僕のDNAがこのお仕事に合っているおかげかもしれませんね」

御年65歳ながらまだ現役でサーキットの走行を楽しんでいる福山さんは、レース初心者に向けたA級ライセンス取得の実技講師も行っており、よく「レーサーになるためにはどうしたらいいですか」という質問を若手から受けるといいます。その時の受け答えが非常に印象的でしたのでご紹介しましょう。

「他のスポーツもそうかとは思いますが、モータースポーツは特にお金がかかるということで、まず第一は『自分の人生を投げ打てること』だと伝えます。世間一般の方と同じように結婚して、子供を設けて、マイホームを建てるなんて考えは捨てなければいけないよと。レースでそれが実現できる人もいるかもしれませんが、それは本当に一握りですからね」

「その次に、『人に好かれること』。自己資金でやっているうちはいいですが、いずれ人様に『うちのクルマに乗ってみるか?』と言われるためには、速さはもちろんですが、オーナーやスタッフなどに好かれることが大切なんです。この2つが大きな柱だよって答えています」

「そういった意味で、ドライバーを目指してここに集まってきている人たちは、相当に人生を犠牲にしてきているわけですよね。そういう人たちが報われてほしい、努力が少しでも伝わっていってほしい、といった思いが『レース愛』『後輩愛』というカタチで出てきているんだと思います。自分も10年苦しい思いをしたわけですからね」

最後にS耐の良さについてもうかがいました。

「世界的に通用するようなトップカテゴリーはどんどん究極を極めていって、呼吸もままならないようなレースになっています。それに対して、S耐にはクルマを操ることや、そのドライバーごとの限界を目指す楽しさ、クルマがかなり限られた改造範囲で行われていますから、クルマのウィークポイントを補うドライバーの技量や裏技などを活かすことができます。いい意味で『ゆるさ』がある分だけ楽しさもあるんです」

「またドライバー同士も仲が良く相手の邪魔をしてまで勝とうとは思っていないし、戦う相手にリスペクトしていいバトルを見せようとしている。そういった人間味のあるところが好きなんです」

輝かしい成績を残した方ですが、取材時にも非常に丁寧にお話していただけますし、ファンの方にも本当に気さくに受け答えされる福山さん。
そのやさしさとは裏腹に、レース業界や後輩ドライバーに対しては熱い想いがあふれかえっているそのお人柄が少しでもこの記事から伝わればうれしいです。

さて、その福山さんにご紹介いただいた「S耐のスーパーな人」は、テクノファーストの尾﨑智史さんです。

S耐に参戦するチームのオーナーは自らが走りたい人とか、ショップやディーラー、メーカーさんなどさまざまですが、尾﨑さんは自らが走るわけでもなく、儲けるわけでもなく(ほぼ資金持出しとのこと!)、純粋なレーシングガレージのオーナーとして長年参戦し続けています。
その熱い思いに迫っていきたいと思います。お楽しみに!

福山英朗(ふくやま ひでお)
生年月日:1955年8月13日(掲載時65歳)

<主な戦績>
■鈴鹿シルバーカップレースシリーズ
1978年 FL500クラスでレースデビュー
1979年 年間チャンピオン

■全日本F-3選手権シリーズ
1982~1988年参戦(年間ランキング最高位6位)

■全日本ツーリングカー選手権(Gr.A)
1988年~ 出場開始
1992年 年間チャンピオン(スカイラインGT-R(ハセミスポーツ))
1993年 年間5位(スカイラインGT-R(ハセミスポーツ))

■N-1スーパー耐久シリーズ
1996年 年間チャンピオン(スカイラインGT-R)

■ル・マン24時間レース
1988年に初出場。C-2クラス クラス2位完走(ADAフォード)
1995年 LMGT-1クラス5位完走(スカイラインGT-R(日産ワークス))
2000年 LMGT2クラス 優勝(ポルシェ996GT3-R)

■全日本GT選手権シリーズ
1996年 GT-500 年間6位(スカイラインGT-R(日産ワークス))
1997年 GT-300 年間チャンピオン(シルビアS-13)
2000年 GT-300 年間チャンピオン(ポルシェ996GT3-R)
2001年 GT-300 年間6位(ポルシェ996GT3-R)
2002年 GT-300 年間4位(ポルシェ996GT3-R)

■インターナショナル鈴鹿1000km
1998~2001年 GTクラス 4年連続優勝

■NASCAR
2002~2003年 最高峰、カップシリーズに日本人として参戦

■スーパー耐久シリーズ
2006~2007年 十勝24時間レース ST-2クラス 2年連続優勝(ランサー・エボリューション)

■ジャパン・ル・マン・シリーズ
2007年 年間2位(ポルシェ997GT3-R)

(文・写真: GAZOO編集部)

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