21歳で手に入れた愛車は70歳になったいまも現役!1972年式マツダ コスモスポーツ(L10B型)
いま、憧れのクルマがあるとしよう。まず、手に入れること自体が一筋縄ではいかないケースが多い。「憧れ」だけに、そう簡単に手に入るものではないからだ。
そこで仕事を頑張ったり、コツコツとお金を貯めて憧れのクルマを手に入れたとする。しかし、それはゴールではなく、ようやくスタートラインに立てたことを意味する。
今度は「所有しつづけること」というさらに高いハードルが待ち構えているからだ。環境が変わって手放さざるを得なくなったり、金銭面で維持が困難になったり、他に欲しいクルマと出会ってしまったり・・・。
たいていの人はここで売却するか、挫折してしまう。その裏にはさまざまな事情がある。誰も責めることはできない。
愛車とつきあううえでもっとも困難なのは「何十年ものあいだ1台のクルマと長くつきあう」ことではないかと思う。クルマへの愛着、想い入れ、オーナーとその周りの境遇、周囲の理解、クルマ自体が事故や致命的な故障なく存在できること・・・挙げればキリがない。どれかひとつでも欠けた時点で愛車は自分の元を離れていく。
大切にしてくれるであろう次のオーナーを求めて。
だから、手放した時点で基本的には2度と戻ってこないと考えた方がいい。
今回、取材させていただいたオーナーは「何十年ものあいだ1台のクルマと長くつきあってきた方」そのものだ。何しろ21歳で手に入れ、70歳になった現在も所有しているという。まさに「人生をともに歩んできた愛車」といっていい存在だからだ。
「いつかは一生モノの愛車に出会いたい」
「いまの愛車は一生モノ!」
という方にこそ読んでいただきたい珠玉のエピソードをお届する。あくまでも憧れを現実にした瞬間がゴールではなく、スタートだということを踏まえて・・・。
「このクルマは1972年式マツダ コスモスポーツ(L10B型/以下、コスモスポーツ)です。現在の走行距離は約21.5万キロ。いま、私は70歳です。21歳のときに新車で手に入れて以来、49年目となりましたが、今日までずっと乗りつづけています」
世界初となる2ローターロータリーエンジン搭載車「コスモスポーツ」が公の場に姿を現したのは1963年10月に開催された全日本自動車ショー(後の東京モーターショー)であった。そして翌年、1964年に開催された東京モーターショーにおいて正式に発表された。
当時のスポーツカーとしては異例ともいえる月間30台前後を販売し、国際レースでの活躍とともにその名声を確固たるものとした。
オーナーの個体は1968年にマイナーチェンジされた後期型であり、モデルレンジとしては最終型(1972年式)にあたる。ボディサイズは全長×全幅×全高:4140x1595x1165mm。総排気量491cc×2の「L10B型ロータリーエンジン」は最高出力128馬力を誇る。
まさしくオーナーの人生をともに歩んできたコスモスポーツ。当時のなれそめも気になるところだ。
「高校の友人が卒業後に家に遊びにきてくれて。そのときロータリーエンジンに関する本を持ってきたんですね。当時、友人はファミリアロータリークーペに乗っていて、その魅力を教えてくれたんです。これが最初のきっかけですね。友人はその後、スカイラインGT-Rなどを乗り継ぎ、現在はイギリス車(MG)に乗っています。
当時、私が住んでいたアパートにはお風呂がなく、銭湯通いをしていました。その道中にハコスカGT-Rとコスモスポーツが置いてある家を見つけたんです。銭湯通いの道中にこの2台を眺める日々を送っているうちに魅了されてしまい、貯金を始め、ディーラーに行って整備中のコスモスポーツを観せてもらったこともありました。
当時、コスモスポーツがどんなクルマなのか知りたくて、オーナーさんたちからエピソードを伺いました。ほとんどの方から『それはもうロータリーエンジンならではの2次加速時の爽快感が最高です!』と答えがかえってきました。これでますます欲しくなりましたね」
オーナーは当時20代、それも前半だ。現代とは比べものにならないほど若い世代の方がクルマを所有するのは大変だったと推察するのだが・・・?
「コスモスポーツを手に入れたのは21歳のとき。手に入れたのが1973年で、その前年にコスモスポーツの生産が終了していたんですね。そこで、ディーラーに頼んで在庫車を探してもらい、どこからか新車を見つけてくれてようやく手に入れることができました。そのため、正確には『1972年生産、1973年登録車』なんです。その年に結婚しましたし、キャッシュで買うのは無理な話。ローンを組んで購入しました。確か、毎月3万5千円くらい払っていたと記憶しています」
オーナーが手に入れようと決断した時点で、すでにコスモスポーツは生産終了。いわゆるデッドストック車両をどこからか引っ張ってきて・・・というほどコトは簡単ではなかったという。
「いわゆる『在庫車』をすんなり手に入れられたかというと、そうではなかったんです。私も若かったし、知り合いを通じてディーラーの方に“部品があるんだし、どうにかして1台造ってよ”なんて無茶なこともいいました(笑)。そのうちどこからともなく現れたんです。現在の愛車となるこのコスモスポーツが。詳しい経緯は分かりませんが、どこかのディーラーの社長さんのクルマとか、本来は表に出すはずではなかった個体を“引っ張って”きたのかもしれません」
高額なクルマゆえに何とかローンを組み、さらに生産終了後に見つけたデッドストック車両という、さまざまなハードルを乗り越えてオーナーのところへ嫁いできたコスモスポーツ。当初から一生モノとして考えていたのだろうか?
「いえいえ。そのときは“まず20年乗れたらいいな”と思っていました。結果として50年近く乗れた理由として、1つは他にクルマが買えなかったから。2つめに自営業を営んでいて、他に仕事用のクルマを使うことができたから・・・ではないかと考えています」
50年近くコスモスポーツと暮らしてきたオーナー。その愛車遍歴はというと・・・?
「仕事用のクルマを除けば、プライベートで手に入れたのはコスモスポーツだけですね。一時期、ルーチェロータリーセダンをお借りしていた時期があるんですが、燃費が悪すぎて・・・(苦笑)」
およそ50年間、結果としてコスモスポーツひとすじだとはいえ、他のクルマへの浮気心が芽生えることはなかったのだろうか?
「そりゃ、いつでも欲しいですよ(笑)。シトロエンに乗りたくてC6を観に行ったりしましたね。でも、仮に100万円・・・50万円でもいいです。もう1台クルマを手に入れたとしましょう。所有している以上、何だかんだとお金が掛かってきますよね。その分のお金をコスモスポーツにまわせなくなるわけです。常日ごろからそんなことを思いながらここまできてしまいましたね」
オーナーは謙遜しているが、これほど長い時間、浮気せずにコスモスポーツひとすじ。なかなかできることではない。それだけに、愛車とのたくさんの思い出もあると推察するが・・・?
「いちばんの思い出は私が設立当初から所属しているコスモスポーツオーナーズクラブで、ドイツにいるクラブ員が主体となって企画した、海外(ドイツ)ミーティングに参加したことですね。そこで私のコスモスポーツを現地で走らせたんです。2009年のことです。助手席に娘を乗せてアウトバーンを200km/hオーバーで走らせたことですね。現地の新聞が取材して記事にもなりましたし」
その反面、(当然ながら)相応の経験もしてきているようだ。
「エンジンのオーバーホールはこれまで4回行ってきました(1回目:65,000km/1981年、2回目:112,000km/1992年、3回目:139,000km/1999年、4回目:186,000km/2010年)。出先で故障したり、夜中にレッカーで運んだこともありますよ。そのときは大変な思いをしたと感じても、後になってみると、楽しかった良き思い出に変わっています。
ただ、子どもたちの養育費が掛かり、手放そうかなと思ったことはありました。このときは子どもたちが『売らない方がいいよ』といってくれたので踏みとどまることができたんです」
多くの旧車オーナーを悩ませている部品の入手・確保についても気になるところだ。
「コスモスポーツオーナーズクラブに所属しているメンバー同士のやり取りで部品を工面してもらったり、クラブ内のパーツプロジェクトのメンバーが作ってくれるのを待つこともあります。あとはYahoo!オークションとか。とはいえ、お金がないときは大人しくしていますね(笑)」
オーナーズクラブ内でパーツ再生産プロジェクトがあるのは本当にすごいことだと思う。メンバー同士の結束力や信頼関係、そして何より情熱がなければできることではない。本来、自動車メーカーがやることを、有志で集まった個人ユーザーが行うのだ。それなりの資金、そしてネットワークも必要だ。そう簡単にできることでないのは、旧車オーナーとオーナー経験者であれば容易に想像ができると思う。
「コスモスポーツオーナーズクラブが設立されてから今年で45年。家族や友だちともまた異なる、コスモスポーツというクルマを愛してやまないメンバーたちとの出会いは良い経験となりましたね。壊れた箇所の部品がなければ譲ったり、譲られたり。困ったときはお互いさまですから。何十年も一緒にやっていると他のメンバーの性格も分かるし(笑)、世代を問わず甘えられる関係ではありますね」
いわゆる旧車オーナーを取材させていただくと、異口同音に皆さんがおっしゃるのは「同じクルマを持つ仲間の大切さ」だ。SNSなどを通じた日ごろの交流、情報交換、ツーリング。維持するうえでのモチベーションを保つこと・・・。どれほど潤沢な資金があっても構築できない、プライスレスな何かがあるように思う。
ふと気づいたのだが、コスモスポーツのボディーカラーというと白のイメージが強い。オーナーの個体は美しいワインレッドメタリックだ。これは純正色なのだろうか?
「オリジナルは白でしたが、20年ほど前に全塗装する際『ルージュダンフェール』という名のボディーカラーに塗り直しました。実は、当時のシトロエンに設定されていたボディーカラーだったんです。この色を選んだのは妻です。日本語に置き換えると『地獄の赤』のような意味合いになるそうです」
当時の人々を魅了したコスモスポーツ、それは50年後の日本でも変わらない。そのことはオーナーが他の誰よりも理解しているはずだ。最後、愚問を承知であえて聞いてみよう。今後もこのコスモスポーツを乗りつづけるつもりなのだろうか?そして、いずれはお子さんへ託したいという想いは?
「年齢のこともありますが、いまはただ、乗っていられるあいだは乗りつづけたいですよね。5人の子どもがいますが、いまのところ誰かに託す前提では乗っていないんです。『お父さんがコスモスポーツに乗っているなんてすごいね』といわれることはあるようですが、いまのところ自分で乗りたいと名乗る子はいないです。子どもたちが小さいときにそれぞれコスモスポーツに乗せてきたんですけどね(笑)」
これほど長い時間をともに過ごしてきたコスモスポーツ、ゆくゆくはお子さんに託したいと願っているのかと思いきや、意外にもそうではないようだ。とはいえ5人のお子さんたちが、父親が長年愛したコスモスポーツの行く末を話し合ってくれることを(余計なお世話だが)密かに期待しつつ、願っている次第だ。
何しろ、父親が子どもたちの養育費捻出のために手放そうと思っていたものを止めたことがあるだけに、可能性はゼロではないと信じたい。
今回の取材を通じて気づいたことがある。数万点の部品の集合体であるがゆえ、経年劣化に悩まされたり、悪天候での走行も余儀なくされたこともあるだろう。しかし「オーナーが深い愛情を込めて大切に扱えば、クルマは必ず応えてくれる」という事実だ。1台のクルマを約50年間所有してきたオーナーがそのことを証明してくれている。
コスモスポーツの総生産台数は1176台といわれている。現時点でどれくらいの個体数が現存しているのかは分からないが、オーナーのように、コスモスポーツを溺愛する人々は確実に存在する。ロータリーエンジンを搭載したスポーツカーという、世界に類を見ない貴重なクルマが、1台でも多く後世に引き継がれていくことを切に願うばかりだ。
(編集:vehiclenaviMAGAZINE編集部 / 撮影: 古宮こうき)
[GAZOO編集部]
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