オーナーの人生は、スカイラインとともに。2000年式日産スカイライン25GT-V(ER34型)



「運命論」という言葉があるが、額面どおりに解釈すると「運命とはあらかじめ決められたもの」ということになる。つまり、これは何人たりとも変えることができない定めのようなものだ。その運命を自身の糧とするか、抗うかは人それぞれ。今回取材したオーナーはあきらかに前者だろう。

取材を終えてみて、オーナーの人生は「スカイライン」抜きに語ることはできない、と断言できる。この記事を読み終えたとき、それが大げさでもなんでもないと共感していただけるはずだ。

「このクルマは、2000年式日産スカイライン25GT-V(ER34型/以下、スカイライン)です。社会人になってすぐに手に入れてから25年。現在の走行距離は約26万キロです」

1998年5月、スカイラインは10代目となる「R34型」へとフルモデルチェンジした。「走りの楽しさを徹底追求した高性能感満ち溢れる『本物のスポーツセダン&クーペ』」を開発コンセプトに掲げ、走行性能やスタイリング、居住性など、あらゆる面において「スカイラインらしさ」の具現化を目指したモデルだ。
当時、強烈なインパクトを与えたティザー広告「BMWか、メルセデスか、新しいスカイラインか。」のCMを覚えている人も多いだろう。

オーナーの個体は1999年2月に発売された特別仕様車「25GT-V」だ。225/45ZR 17タイヤ、17インチアルミロードホイール、4輪アルミキャリパー対向ピストンブレーキ、電動SUPER HICAS、リアビスカスLSDなど、ターボ車と同等のコーナリング性能・ブレーキ性能を有した装備を追加したモデルだ。トランスミッションは、5速MTとデュアルマチックM-ATxの2タイプが用意された。また、内装に関してもターボ車と同じブルーイッシュグレーダブルブリスター仕様を採用しており、まさに通好みな特別仕様車といえる。

ボディサイズは、全長×全幅×全高:4705×1720×1375mm。駆動方式はFR。オーナーの所有する個体には「RB25DE型」と呼ばれる、排気量2498cc、直列6気筒DOHCエンジンが搭載され、最高出力は200馬力を誇る。

さて、冒頭で「オーナーの人生は『スカイライン』抜きに語ることはできない」といい切っているが、まずはそのルーツをたどってみよう。

「私の父は根っからの“スカイライン党”なんです。私が生まれる前から、そして少年時代になってからもスカイラインに乗っていたんですね。最初に手に入れたスカイラインは5代目の『ジャパン』と聞いています。それから5世代わたって、R33型までスカイラインを乗り継ぎました」

父親が歴代のスカイラインを乗り継ぎ、オーナーも小さい頃から慣れ親しんできた。その影響を受けて……であることは事実だが、話はこれだけでは終わらない。

「伯父がプリンス自動車のエンジニアで、スカイラインの生みの親ともいえる桜井眞一郎氏が率いる『桜井組』の一員として試作実験を担当していたそうです。私が幼少期の頃から『スカイラインとは?』に関する哲学めいたものを教えられてきました。そのなかでも印象に残っているのが、桜井氏が当時『スカイラインはパイオニアであるべきだ。他でやったことは絶対に真似しない』と常々おっしゃっていたというエピソードですね。そんな経緯もあって、大人になってから若き日の桜井氏が訪れ、スカイラインの命名の地ともなった「芳ヶ平ヒュッテ(群馬県吾妻郡)」にも足を運びました」

歴代スカイラインを乗り継いだ父、そしてスカイラインの生みの親とともに仕事をした伯父の存在が、オーナーのスカイライン人生の原体験となったことは確かだ。こうして幼い頃からスカイラインの英才教育を受けてきたオーナー。わずか4歳にして自分の進路を決めてしまったというから驚くしかない。

「保育園に通っていた頃には街中で見掛けるクルマの名前をほとんど当てることができました。私は覚えていないのですが、同級生のお母さん曰く、年長のときには『将来、日産の社長になる!』といったそうです(笑)。その後、中学校3年生のときの進路相談では『将来、日産スカイラインに携わる仕事がしたい』と担任の先生に伝えました。成人してからは日産ディーラーのメカニックとして入社。46歳になった現在も現役のメカニックです。今回、改めて自分の生い立ちを振り返ってみましたが、ちゃんとスカイラインに携わる仕事ができていますよね(笑)」

わずか4歳のときに自身の将来の進路を定め、想いを実現している。その意志の強さは半端ではない。この間にさまざまな紆余曲折があったと推察するが、40年以上、まったくブレることなく今日に至っているというから驚きだ。すでにお気づきだと思うが、「オーナーの人生は『スカイライン』抜きに語ることはできない」という表現は、大げさでもなんでもなく、この時点で事実であることを理解してもらえるはずだ。

さらに、話はこれだけ……でも終わらない(笑)。

「私が少年時代、毎週土曜日の午後といえば、両親と私、そして2歳下の弟と4人でスカイラインに乗り、あてのないドライブに出かけるのが慣例でした。その流れで帰宅せずに宿に泊まったこともありました。ドライブしながら家族でいろんなことを話すんです。家族の団らんの場は自宅ではなく、スカイラインの車中だったわけですね。この頃から、ディーラーから送られてくるDMを見ては来場記念品をチェック、父と一緒に日産プリンスディーラーに行って交換してもらったり、カタログを集めたりもしました。今となっては貴重なものもたくさんありますし、大切に保管してあります」

やがてオーナーも高校生となり、運転免許を取得する年齢が近づいてきていた。

「当時、父はR32型のスカイライン(4ドア)に乗っていたんです。ガソリンスタンドのアルバイトで得たお金で分厚い整備要領書を入手して、父のクルマのメンテナンスをやったり、運転席に座ったり、洗車をしたりと、まさにスカイライン漬けの日々でしたね。週末の家族ドライブも、いつしか父と私の2人で行く機会が増えて、父に“大黒PAに行きたい!”と頼んで連れて行ってもらったり。

高校を卒業して運転免許を取得してからは、スカイラインにエアロパーツを(勝手に)取り付けたり、トラストのマフラー(テールエンドは130パイ!)、ニスモ製のショックアブソーバー&ダウンサスを装着したり。タイミングベルトの交換も自宅の車庫で行ってしまいました。こうして、いつの間にか父の愛車は私の"実験車"になっていました(苦笑)」

幼い頃から純粋培養され、10代で早くも超高純度なスカイラインフリークとなったオーナー。そして幼少期に宣言したとおり「スカイラインに携わる仕事」に就くこととなる。

「採用試験のときにスカイライン愛をしっかりと伝えた結果、就職先は日産プリンスディーラーのメカニックに決まりました。1999年のことです。社会人となったことで、ようやく自分の愛車が持てるようになったんです。

奇しくも、この年の10月に長年にわたってスカイラインを生産してきた日産村山工場(旧プリンス自動車工業村山工場)を閉鎖するとメーカーから発表があったんですね。私としては、プリンス時代からスカイラインを生産してきた工場で造られたクルマに乗りたい。こうして思い切って手に入れたのが現在の愛車です。村山工場が閉鎖される最後の時期に生産されたクルマなので、いまでも特別な想い入れがあります」

それから間もなく、2001年3月に日産村山工場での車両の生産が終了した。生産される工場が変わるだけで、見た目はなにひとつ変わるものではない。しかし、オーナーにとっては「村山工場のラインで生産されたスカイラインであること」に極めて重要な意味、そして価値があるのだ。奇しくも、オーナーの愛車であるR34型スカイラインの発表日はオーナーの入社試験当日だったそうだ。

「採用試験の面接後、ディーラーに保管されていたR34型のスカイラインを見せていただいたんですね。現車を見た瞬間、直線基調と曲線基調の歴代スカイラインのデザインを融合させた『これまでのスカイラインの集大成のデザインだ!』と感じましたね。

無事に採用され、日産プリンスディーラーのメカニックとなったその年に村山工場の閉鎖が決まったんです。でも、このタイミングを逃したら2度と村山工場製のスカイラインを買えなくなってしまう……。一大決心をして現在の愛車を手に入れたんですが、新社会人にとって総額で350万円近いクルマはとても高価でした。そこで、ボーナス払い込みの60回ローンを組むことになるんですが、毎月の支払いが約5万円、ボーナス月は15万円だったので、それなりの出費でした。5年間のローンを無事に完済したときは正直ホッとしましたね」

オーナーが5年・60回ローンの返済中に、R34型スカイラインからV6エンジンを搭載するV35型へとフルモデルチェンジを果たした。「スカイライン」という車名こそ変わらないが、クルマの在り方が大きく変わった時期でもある。頼れるメカニックとして、公私ともにスカイライン漬けとなったオーナー。愛車の仕様についても教えていただいた。

「新車注文時にフロントバンパーとサイドマッドガード、リアスポイラーを装着しました。サイドステップはボディに穴を開ける必要があったため敢えて装着していません。社外品はRAYS製のアルミホイール"VOLK RACING GTS"、フジツボ製のマフラーと、桜井眞一郎さんのこだわりが詰まったエキマニ、そしてKYB製のショックアブソーバー。エンジンのコンピューター情報を数値で表示するTECHTOM製のマルチディスプレイモニター、Defi製のインテークマニホールドプレッシャーメーター、CDチェンジャーくらいです。交換部品を含め、愛車に装着している部品はすべて新品です。これは25年間、妥協せずにこだわってきたことでもあります」

まさにプロの見識というべきか、長く乗ることを想定してモディファイを加えているだけに一切の無駄がない。そして、極力配線を見せないフィニッシュワークも実にていねいな仕上がりだ。オーナーの愛情と熱量が惜しみなく注ぎ込まれたスカイライン。愛車を眺めつつ、オーナーにとってのスカイラインの魅力について改めて伺ってみた。

「『丸目4灯のテールランプ』ですね。私が小さい頃、父がスカイラインに乗って出勤していくときに後ろ姿を見送るわけです。父がブレーキを踏むと、テールランプが赤く点灯するんです。その光景が目に焼き付いていますね。

スカイラインがR34型からV35型へとモデルチェンジしたとき、この丸目4灯を廃止してしまったんですね。その後、マイナーチェンジのタイミングで復活することになるんですが、スカイラインを乗り継いでこられたお客様と仕事を通じて接していると『丸目4灯のテールランプ』を待ち望んでいたことを知ったんです。マイナーチェンジ前のV35型を所有していた方のなかには、後期型のテールをわざわざ発注して交換される方がいらっしゃったほどです。スカイラインの魅力のひとつであり、アイデンティティといえば『丸目4灯のテールランプ』であるという考えは私だけじゃなかったんだなと思いましたね」

V35型スカイラインセダンがデビューしたのは2001年6月のことだ。これよりさかのぼること2年。1999年に日産リバイバルプランが発表され、日産が大きく変わろうとしていた時期でもある。その渦中において、V35型スカイラインも何らかの影響を受けていたのかもしれない(マイナーチェンジのタイミングで丸目4灯のテールランプを取り入れたのは、メーカーの良心といえるだろう)。

オーナーの愛車を拝見しながら撮影と取材を進めていく。この日のために忙しい合間を縫って洗車していただいたそうだが、いくら粗探しをしても、その「粗」が見つけられない。おそらくメンテナンスに関しても入念なチェックが行われているに違いない。このクルマを初めて観た人が「25年前に手に入れ、これまで約26万キロ走ったクルマ」だと知ったらかなり驚くだろう。お世辞でもなんでもなく、それほど素晴らしいコンディションを保っている。クルマに詳しくない人であれば「3年落ち」といわれても信じてしまいそうなコンディションなのだ!

せっかくの機会だ。現役のメカニックが目の前にいるので伺ってみよう。スカイラインはもとより、クルマを長く乗る秘訣はあるのだろうか。

「“余計なことはしない”に限ります。ボディに穴開け加工が必要な部品は取り付けない。余分な穴を開けることによって錆を誘発しますから。あと、エンジンオイルは半年ないし5000kmで交換することをおすすめします。それ以外ですと、近距離の移動ではなるべく使わないこと、あとは"急がつく動作(急ハンドル・急ブレーキ・急加速)"をしないことですね。これは余談ですが、実は私の個体は左右のホイールベースは1〜2mm程度の誤差しかないそうです。ショップを問わず、アライメントテスターに掛けるたびに驚かれます。自己満足ではありますが、ワンオーナーカーであり、純正部品のひとつひとつの組み付け精度にこだわった証であり、成果かもしれません」

プロとしてのアドバイスは、今日から実践できるいずれも極めて基本的なことばかりだ。オーナーの愛車はまさにこの基本にそって忠実に仕上げられていることを意味する(素晴らしいコンディションであることはいうまでもない)。最後に今回も伺ってみよう。このスカイラインと今後どのように接していきたいとお考えなのだろうか。

「今後も、いかにこの状態を維持するかに注力したいですよね。私には7歳と4歳の息子がいるんですが、2人とも『トト(パパ)のスカイラインに乗りたい』っていってくれるんです。特に長男からは『将来僕が乗るから大事にしてね』といわれています。上の子が運転免許を取得するまでまだ10年以上も先ですが、そのときに世の中のクルマ事情がどうなっているか分からないけれど、それまでは現在のコンディションを可能な限り維持をして乗りつづけたいですね」

あらかたの撮影と取材を終えたところで、少し離れたところから改めてオーナーのスカイラインを眺めてみる。立ち姿が凛々しい。そして、隙がない。

生産されてからほとんどの時間を日の当たらない、暗い倉庫のなかで眠り続けた個体は確かに新車同様だ。ほとんど使われてこなかったのだから当然だろう。見た目の程度は「極上」かもしれないが、機械としての息吹のようなものが感じられないことも事実だ。

翻ってオーナーのスカイラインはどうだろうか。そこには「ヤレ」や「経年劣化」のような表現があてはまらない、完璧に整備された個体特有の躍動感に満ちあふれている。決して過保護ではなく、ごく当たり前のように、ていねいかつ大切に乗れば25年・26万キロを経過したクルマでもこれだけのコンディションを維持できるのだと改めて知った。

オーナーとしては、過剰整備ではなく「必要なことを、必要なときに」を繰り返してきたはずだ。そして、今後もそれは変わらないと思われる。つまり、オーナーのお子さんが運転免許を取得し、このスカイラインをドライブすることも決して夢物語ではないということだ。

いまはただ、父子で交互にこのスカイラインを駆り、ともにドライブできる日が訪れることを心から願うばかりだ。

(取材・文: 松村透<株式会社キズナノート> / 編集: vehiclenaviMAGAZINE編集部 / 撮影: 古宮こうき / 取材協力: Garage, Café and BAR monocoque)

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