空冷ポルシェ911を手放し、ホンダ・S2000と暮らす2児の父のクルマとの付き合い方とは?
1995年の第31回東京モーターショーのホンダブースに「SSM」という名のコンセプトカーが出展された。
SSM。その名は「Sports Study Model」の頭文字に由来する。「VTECエンジン+FR」という、当時のスポーツカーファンなら1度は夢想したに違いないモデルが現実味を帯びてきたと、発売を心待ちにした人も多いのではないだろうか。
その期待は、SSMの発表から3年後の1998年に、ホンダ設立50周年記念モデル「S2000」として現実のものとなる。それは同時に、S800以来途絶えていた、FRのホンダ車の復活でもあった。しかも、S2000に搭載される2.0L 直4DOHC VTECエンジンの最高出力は、8,300回転で250馬力をたたき出し、レッドゾーンは9,000回転という超高回転ユニットだ。トランスミッションは6速MTのみ。AT車の設定がないという潔さも、ホンダというメーカー、そしてS2000というクルマの性格を物語っているのかもしれない。
1999年に販売が開始されたホンダ・S2000はさまざまな仕様変更が行われ、2005年のマイナーチェンジでエンジンが2.2Lに置き換わった。2.0L時代に比べると、エンジンの最高出力やレッドゾーン、圧縮比などが落とされた代わりにトルクフルな仕様となった。そして2009年、10年に渡る進化を続けてきたS2000の歴史に幕が降ろされ、ホンダのFR車は再び姿を消すこととなった。
オーナー氏が所有するS2000は1999年式だという。シリアル番号によると最初期にあたるモデルだ。当然ながら搭載されるのは2.0Lエンジンとなる。
S2000を手に入れる以前、オーナー氏は10年に渡りポルシェ911を所有していた。通称「ナローポルシェ」と呼ばれる1970年式ポルシェ911だ。エンジンは、オリジナルの2.2Lから2.8Lに拡大されたものへ換装されており、エキゾーストマニホールドも、スーパーカーのマフラー製作を得意とするショップのワンオフ品を取り付けていたという。エアコンが装着されていないだけでなく、内装が取り払われ、ロールケージまで装着されていたナローポルシェの仕立てはスパルタンそのもの。それだけに、軽量なボディと相まってかなり刺激的なマシンだったようだ。
オーナー氏にとって、このナローポルシェは運命的な出会いで手に入れた個体だったのだが、いつの頃からか「生涯あと何台のクルマに乗れるだろう?」と考えるようになった。とはいえオーナー氏は40代半ばなので、これから先も愛車遍歴を重ねていくことは充分に可能だろう。経済的に許されるのであればナローポルシェを手元に残しておきたかったそうだが、手放すことを決意。次期愛車には、BMW・M3(E46)やスバル・インプレッサ、ホンダ・S2000などが候補に挙がったが、ここでまたもや運命の出会いが訪れた。ナローポルシェを所有する仲間から、程度の良いS2000を誰かに譲りたいが興味はあるか?とのオファーが舞い込んだのだ。
購入時には、新品同様のカヤバ製車高調キットが組み込まれていたというS2000。購入後のモディファイは、ATS製カーボンクラッチやフロントとリアにワイドトレッドスペーサーを装着。さらにポルシェ乗りの友人から破格値でレカロ製フルバケットシートを譲り受け、運転席に取り付けた。
1男1女の父親でもあるオーナー氏。だが、ナローポルシェは1人で走るためのマシンだった。しかしS2000に乗り換えてからは、2人のお子さんや奥さんを助手席に乗せてドライブに行くことも増えたという。日産・フェアレディZ(S130)からスタートしたオーナー氏の愛車遍歴は、トヨタ・カローラFXやセリカ(ともに初代)、マツダ・RX-7(FC3S)、トヨタ・レビン/トレノ(AE86)など、いわゆる「走り屋」に愛されたクルマが多い。事実オーナー氏も、関東近郊の峠道や首都高などのステージを走っていて、S2000に乗り換えてもそれは変わらない。
オーナー氏にとって初のオープンカーでもあるS2000は、家族にとっても新鮮に映ったようだ。屋根を開けて走ると否応なしに視線が集まる。そんな体験に最初は恥ずかしがりつつも、今ではオープンカーならではの爽快感を楽しんでいるという。お子さんを「鹿に会えるかもしれないから行ってみよう!」と、夜の峠道を目指してドライブに誘うこともある。事実、本当に鹿と遭遇してお子さんも喜んでいたそうだ。こんな体験も、快適装備が一切取り払われたナローポルシェではできなかっただろう。
もちろん1人でS2000に乗り、その走りを堪能することもある。オーナー氏が若いときは、夜な夜な走り屋が集まる峠道にギャラリーとして訪れていた。やがてオーナー氏自身も、クルマを速く走らせたい、上手く操ってみたいという衝動が抑えられなくなっていった。自らもスポーツカーを手に入れ、峠道に繰り出していくまでそれほど時間は掛からなかった。そして現在でもS2000とともに峠道に繰り出す。時代の移り変わりといえばそれまでだが、最近は走りを楽しむステージが確実に狭まっているかもしれないと感じているようだ。
当時、峠道などに集う者たちは皆ライバル。仲間以外は敵なのだ。それほどの緊張感があり、決して友好的ではなかった。ピリピリした関係から次第に自然と言葉を交わすようになり、「じゃあ、一緒に走ろうぜ」の一言で仲間意識が芽生え、友情や信頼関係が育まれていく。オーナー氏も、その過程において公私ともに師を仰ぐ人物と出会った。以前の愛車だったナローポルシェも、師と仰ぐ人物から譲り受けたものだ。それだけに、手放すか悩んだときにも相談に乗ってもらったという。
年齢を重ね、お互いの愛車や生活環境が変わっても、当時走りのステージで知り合った仲間たちとの友情に変わりはない。オーナー氏にとっても、当時の走り屋仲間とは家族同然の付き合いとなっているようだ。リアバンパーにさりげなく貼られているステッカーも、仲間たちとの変わらぬ友情の証のようなものだ。そんな付き合いが長きに渡り続いているのも、オーナー氏の人徳の成せる業だろう。
その一方で、クルマという趣味と家族との時間を絶妙なバランスで両立させているように思える。S2000の走りを1人で堪能するのは「家族が寝静まっているあいだ」と決めている。家族と過ごす時間を大切にする代わりに、趣味であるクルマを楽しむことを許してくれる奥さんと交わした約束を守っているのだ。余談だが、オーナー氏のナローポルシェとS2000のナンバーは、奥さんの名前をモチーフにしているほどの愛妻家でもある。
今日も家族の誰かと、S2000の屋根を開け放ち、気持ちの良いドライブを楽しんでいるに違いない。そして何よりオーナー氏に、そして家族に愛されているS2000は、幸せな環境に嫁いだことは間違いない。
(編集: vehiclenaviMAGAZINE編集部 / 撮影: 古宮こうき)
[ガズー編集部]
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