始まりは1994年のル・マン24時間レース参戦のCMだった、ホンダ・ NSX(NA1)

“Our dreams come true.”

このドラマティックなキャッチコピーは、発売当初のホンダ・NSX(初代/NA1型、以下、NSX)のカタログの表紙に記されたものだ。表紙のデザインは至ってシンプルだった。このキャッチコピーとホンダのロゴ、そして「NSX」の文字だけ。敢えて多くを語らないところが、ホンダの自信と、このクルマに込められた誇りを感じさせる。

先日、ついに2代目となるNSXが発売され、日本でも納車が始まった。かつて初代NSXが登場したとき、市場へ与えたインパクトと反響はすさまじいものがあった。あのフェラーリですら、NSXが登場したことで当時現役モデルだった348シリーズのモデルチェンジを早め、F355を世に送り出したと、まことしやかに囁かれたほどだ。当時、世界初となるオールアルミ製ボディーを骨格に持ったNSX。ついに日本にも、世界に誇れる性能とフォルムを持つクルマが誕生したと誰もが思ったに違いない。

その後、よりスパルタンなNSX-Rが登場したとき、ホンダの「H」のエンブレムが赤くペイントされていた。たったそれだけのことだと思うかもしれないが、当時のスポーツカーファンは歓喜したものだ。Hのマークの周囲が真紅に彩られただけなのに、創り手が製品に秘めた「情熱」を、ユーザーは敏感に感じ取った。この赤バッチは、まさに当時のホンダスピリットを具現化した象徴といえるだろう。事実、このエンブレムを自分の愛車に取り付けたホンダユーザーは少なくないはずだ。

「フォーミュラーレッド」という名のボディカラーを与えられたNSXを所有するオーナーがこのクルマの存在を知ったのは、それから数年後の1994年のことだ。テレビでル・マン24時間レース(以下、ル・マン)が放映されていたとき、あるCMに釘付けになった。「ホンダVTECエンジン、ル・マンへ。」。NSXレーシングのタコメーターの針が踊り、真紅のNSXがル・マン サルテサーキットを駆け抜けていく・・・。当時のホンダを知るファンが熱狂しそうなCMだ。そしてオーナーも、このCMで魅せられた1人だ。

「それまでは何となく見ていたル・マンでしたが、このCMですべてが変わりました。その後は夢中になってホンダを応援しましたよ。初参戦にも関わらず、NSXは完走。当時は高校生でしたが、オレもNSXが欲しいと本気で思ってしまったんです」。しかし、NSXは日本が誇るスーパースポーツカー。性能だけでなく、価格もスーパーだった。まさに雲の上のような存在・・・。

「その後も、いつか新車のNSXを買おうと貯金していましたが、さすがにこれはあまりにハードルが高すぎましたね。それならば中古車を・・・と思って調べてみたところ、まったく手が届かない価格帯だと知ったんです。そこで、当時乗っていたNS400Rというバイクに匹敵する加速感が味わえるクルマ・・・ということで悩んだ末に、日産・スカイラインGT-R(R32型)を手に入れました。その後、車検時に見積もりを算出してみたところ、膨大な費用が掛かることが分かったんです。悩んだ末に、スバル・インプレッサWRX-STi.VerⅥ(GC8型)に乗り替えることしました」。

オーナーはパワーがあり、なおかつ4WD車を好んでいた印象を受ける。では、どのような経緯でNSXにたどり着いたのだろうか?「実は、高校生のときにクラスメートだった友人がNSXを所有していて、現在の中古車相場では考えられないような破格値で譲ってくれるというんです。身近な友人が乗っていた個体だけに、扱われ方もメンテナンス内容も分かっている。これは大きな安心材料でした。当時は独身でしたから、タイミングは今しかないと奮起してインプレッサを手放し、NSXを譲ってもらうことにしたんです」。

個人売買なので、自力で名義変更を行い、真紅のNSXはついにオーナーの名義となった。奇しくも、友人が乗っていたNSXのボディカラーはフォーミュラーレッド。本来であればルーフはブラックだが、この個体はボディーと同色にペイントされており、ル・マンを駆け抜けたNSXにより近い佇まいだったのだ。もしかしたら、この個体はオーナーのところへ嫁ぐ運命だったのかもしれないとすら思えてくる。

2002年にオーナーの愛車となったNSXは、所有して今年で15年目になる。当時は7.6万kmだったオドメーターは、現在16万kmを刻む。この個体の歴代オーナーの誰よりも長く、深い付き合いとなったわけだ。「私が手に入れたあと、あのル・マンに出場していたマシンのイメージするフォルムを求めて、ルートKS製のワイドボディキットおよびエアロパーツを組み込みました。ボディワークはプロに依頼しましたが、構造変更の手続きは自分で行いました」。確かに、ノーマルのNSXとは明らかに違うフォルムを形成している。特にリアフェンダーは、この個体独特の艶っぽい曲線を描いていることに気づくかもしれない。

現在、3人のお子さんの父親でもあるオーナーは、少しでも維持費を抑えるため、またクルマのコンディションを正確に把握しておきたいという理由から、法的にクリアできる部分はできるだけ自分でメンテナンスするように心掛けているという。「故障してしまったカーナビの交換や、劣化していたダッシュボードも自分で交換しました。インターネットオークションで手に入れた、カスタムオーダープランでしか選べない色合いのダッシュボードでしたが、取り付けてみるとしっくりきたので、個人的にもお気に入りです」。

オーナーがモディファイする上で心掛けているのは「サーキットまで自走して、自分の思い描いたイメージでコースを走り、トラブルなく安心して帰れること。ツーリングにも行ける快適さが備わっていること、そして合法であることなんです」と語る。NSXを楽しんでいるのは、主に平日休み。週末に休めるときは、お子さんたちと過ごす時間に充てているという、良き父親としての一面を覗かせる。クルマの趣味を理解してくれている家族のためにも、きちんとした大人の趣味として楽しんでいる姿が印象的だ。

このNSXで筑波や富士スピードウェイなどのサーキットを走るオーナーは、モディファイもそれに準じた仕様となっているようだ。「ホイールはRAYS製TE37、タイヤは、FEDERAL製595RS-RR、フロントが215/45ZR17、リアが255/40ZR17です。足まわりは、TEIN製の車高調Type RA、スタビライザーはフロントがNSX-R用、リアにNSX-タイプS用をチョイスしました。ブレーキキャリパーのオーバーホール時期にNSX後期用キャリパーに変更、その後、ABSも後期用に変更しました」。

このNSXとは15年近い付き合いになるが、サーキットで走っていて一体感を得られるようになってきたのはここ3〜4年だと語る。「少しずつ挙動が掴めるようになってきたのと同時に、フルバケットシートを組み込み、ステアリングを小径なものに変更するなど、ダイレクトに五感へ伝わる部品を交換した効果もあるようです。懸案事項である冷却系などをリフレッシュしたら、このNSXで鈴鹿サーキットを走ってみたいです。まさに聖地巡礼ですね(笑)」。

ついに先代モデルとなった初代NSXだが、新型の存在はやはり気になるのだろうか。「もちろん気になりますよ。あくまでも報道されている情報からの推測ですが、同じNSXという名を冠していても、まったく別のクルマという印象を持っています。開発者の熱い思いが感じられるのも、初代NSXが色褪せない魅力のひとつだと思っています」。

初代NSXには、性能だけでは語り尽くせないロマンがある。何しろ「おやじ」こと本田 宗一郎氏が創ったスーパーカブを超える存在感を持った自動車を完成させるという、とてつもなく高いハードルが掲げられたクルマだったのだ!NSXの開発におけるプロジェクトリーダーであったホンダの上原 繁氏は、熱狂的なオーナーたちにとって、日産・フェアレディZの父として知られるミスターKこと故・片山 豊氏のような存在として敬愛されているのだろう。上原氏という存在が、初代NSXに与えた影響は計り知れないはずだ。加えて、初代NSXは日本車だったが、新型は逆輸入車という扱いである。車名こそ同じだが、生い立ちからして違うのだ。

「15年近く乗っても、飽きるどころか新たな発見があります。そんなことの繰り返しで、このクルマを手放してでも欲しいクルマというものが見つからないんです。パーツがなくなって走ることができなくなるまで、このNSXは所有していたいですね」。

ル・マン24時間レースを駆け抜けたレーシングカーをオマージュして仕立てられた、フォーミュラーレッドのNSX。ホンダスピリットを感じさせる真紅のボディカラーは、同時にオーナーの並々ならぬ情熱を体現した姿そのものなのかもしれない。

(編集: vehiclenaviMAGAZINE編集部 / 撮影: 古宮こうき)

[ガズー編集部]