古くても、壊れても、この愛車と暮らしたい。1993年式デイムラー・ダブルシックス

多くの人々にとって「最新のクルマは最良」であることは間違いないだろう。仮に、高温多湿な真夏の日本で大渋滞に巻き込まれたとする。そんな過酷な環境下であっても、車内はエアコンが効き、スイッチひとつで寒いくらいに冷やすこともたやすい。しかも、それほどシビアな状況であっても、オーバーヒートの兆候すら感じられないのだ!さらに、日々、燃費が向上し、モデルによってはリッター20km/l超えであったとしても誰も驚かなくなった。どのような環境下であっても、ほぼトラブルフリーかつ低燃費・・・。これを実現するのはたやすいことではない。メーカーや開発者、サプライヤーの方々などが、1台のクルマを造り上げる過程において、たゆまぬ努力をしてきたからこそ実現できたことを忘れてはいけないように思う。

その一方で、敢えてクラシックなモノに惹かれる人々がいることもまた事実だ。例えば、オーディオやカメラなどがその典型だろう。いずれも、デジタル処理技術の性能が相対的に向上したことで、誰もが手軽に高音質や高画質の世界を味わうことができるようになった。それと同時に、それぞれのデバイスが持ち合わせていた「味」や「独特のセオリー」のようなものが失われてしまったように思う。レコードであれば、再生する前に専用のクリーナーで盤面を掃除し、プレーヤーに置いた後にそっと針を当てる。フィルム式のカメラであれば、フィルムを入れて、都度、絞りやシャッタースピードなどを調整していく・・・。電源を入れ、あとは「再生またはシャッターボタンを押すだけ」という、便利かつ手軽な最新のデジタルデバイスが当たり前・・・という人々にとっては、至極面倒な行程に思えるかもしれない。

今回のオーナーも、そんな「敢えてクラシックなものに惹かれた1人」といえる。現代のクルマではもはや表現できないであろう、優雅な曲線を持つ愛車について、話を伺ってみることにした。

「このクルマは、1993年式デイムラー・ダブルシックスです。現在、所有して7年半くらいになります。ダブルシックスとしては最終モデルにあたるのですが、それでも、24年も前のクルマです。今、オドメーターは57000kmを超えたあたり。手に入れてからこれまで9000kmくらいしか走っていないので、年数の割に走行距離は少ない方かもしれませんね」。

ある程度の年齢を重ねたクルマ好きであれば、いまだに「ジャガーやデイムラー・ダブルシックスといえばこのデザイン」を連想してしまうのではないだろうか?「シリーズIII」と呼ばれるジャガー・XJ6がデビューしたのは1979年のことだ。姉妹車にあたる今回のデイムラー・ダブルシックス(以下、ダブルシックス)も、この時期に「シリーズIII」となった。1986年、ジャガーは一足先にXJ40型へとモデルチェンジを果たしたが、ダブルシックスは1993年まで生産が続けられた。「シリーズIII」となるジャガー・XJ6のエンジンの排気量が3441ccまたは4237cc 直列6気筒DOHCだったのに対して、ダブルシックスは5344cc V型12気筒SOHCを搭載していた。このエンジンは、かつてジャガー ・E Typeに搭載されていたものの進化版であり、そのルーツは1971年にまで遡る。つまり、1993年式ではあるが、基本的な部分は1970年代に造り上げられたクルマといっていいだろう。

そんな「ダブルシックスの最終モデル」を手に入れるきっかけは何だったのだろうか。

「実は『シリーズIII』にあたるモデルはこれが3台目です。初めて興味を持ったのは、20代半ばの頃、出勤途中のときでした。偶然、走り去るジャガーを見掛けたんです。そのときの光景が忘れられず、いつか手に入れようと心に決めていました。しかし、決して安いクルマではありませんし、仮に買えたとしても、若造が乗っても似合いません。こうして夢が叶ったときには45歳になっていました。1台目は1986年式ジャガー・XJ-6を手に入れたんです。紺色の美しいクルマでした。その後、そのクルマには6年くらい乗りましたが、どうしても12気筒エンジン=ダブルシックスへの憧れが募りまして・・・。そこで妻を説得したところ許可をもらうことができまして、気が変わらないうちに1989年式デイムラー・ダブルシックスに乗り替えました」。

ついに念願のダブルシックスのオーナーになったのだが、6気筒エンジンを搭載するジャガー・XJ-6から、12気筒のダブルシックスに乗り替えたときのことは憶えているのだろうか?

「もちろん憶えていますよ。当時はまだインターネットが普及していなかった時代なので、雑誌に目を通して、常に売り物をチェックしていました。こうしてようやく手に入れることができたダブルシックス・・・。12気筒エンジンならではの、ジェントルかつスムーズな走りに満足していましたが、故障が相次いだんですね。結局、修理を繰り返しつつ7、8年乗りましたが、最後は泣く泣く手放してしまいました」。

こうして、現在の愛車と巡り会うことになるわけだが、すぐに乗り替えることができたのだろうか。

「いえいえ、最初のダブルシックスを手放してから現在の愛車を手に入れるまで、2年くらい悶々とした日々を過ごしました。私には2人の息子がいるんですが、あるとき次男が『こんなダブルシックスが売りに出てるよ!』と、インターネットで見つけた情報を私に教えてくれたんです。それが今の愛車なんですが、ワンオーナーでガレージ保管、最終モデルという個体でした。すぐさま売り主に連絡を取り、仕事の都合で行けない次男に代わり、片道500km近い距離にも関わらず、長男がクルマで現地まで連れて行ってくれたんです。実車を見てみると、その佇まいに惚れ込んでしまいました。次男が『僕が買ってあげるよ』とまで言ってくれたんですが、それも何だか申し訳ない気がして、即決せずにこの日は帰宅しました」。

このダブルシックス、オーナーが探し求めていた理想的な条件の個体にも映るが、即決できなかった理由は何だったのだろうか?

「私にも家族がいますから、自分の独断でクルマを買うわけにはいきません。ここは、何とかして妻を説得する必要があります。帰宅後、2人の息子と作戦会議をして妻を説得しましたが、結果として許可をもらうことができず、一旦は諦め掛けました。しかし、翌日になってもこのダブルシックスが欲しいという気持ちは変わりませんでした。そこで妻に頼み込んで、どうにか購入の許可を得ました」。

ようやく手に入れることができた2台目のダブルシックス、そこまで惚れ込む理由は何だろうか?

「何と言ってもこのデザインです。特に、正面と真横から観たときのデザインが好きですね。『キング フィッシャー ブルー』という名のボディカラーも気に入っています。現在、私は73歳になるんですが、ブランクの2年間を差し引いても、20数年間ほぼ同じ形のクルマが手元にあるわけです。それでも見ていて飽きることがありません。仕事が忙しくて乗る時間がなくても、惚れ込んだクルマが自分の手元にある・・・という喜びは何物にも代えがたいですね」。

クルマとしてはクラシックの領域に入りつつあるが、トラブルはないのだろうか?そして、部品の確保も気になるところだ。

「古いクルマなので、トラブルはそれなりに起こります。特に、電気系統が弱いようですね。古いジャガーやデイムラー専門の主治医にクルマのメンテナンスを依頼しているのですが、自分で直せるところは修理するようにしています。それと部品については、多少は欠品もありますが、インターネットを駆使することで世界中から探せるようになりましたし、今のところは何とかなりますね」。

最後に、このダブルシックスとは今後どのように接していきたいと思っているのだろうか。

「若いときに偶然出会って、縁あって手に入れることができて、70歳を過ぎても乗り続けていられることが幸せです。今後も、可能な限り乗り続けたいと思います。あとは、いつか乗れなくなってしまったとき、2人の息子のどちらかが引き継いでくれることを願っています」。

父子3人で作戦会議をしてまで手に入れたダブルシックスだ。いつか、父がこのクルマを降りることになったとき、2人の息子のどちらかが次のオーナーとして名乗りを上げてくれるのではないかと思う。このクラシカルなダブルシックスは、今や父の若い頃の憧れの存在・・・というだけではない。親子を結ぶ大切な「絆」なのだから。

(編集: vehiclenaviMAGAZINE編集部 / 撮影: 古宮こうき)

[ガズー編集部]

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