幼少期に出会い、社会人になって手に入れた念願の日産・スカイラインGT-R Vスペック(BCNR33型)

誰にでも、人生を変える出会いがあると思う。タイミングは人それぞれだろうが、ある日、突然に訪れることだってあるだろう。いずれにせよ、早いに越したことはない。幼少期の方が鮮明に記憶に残るだろうし、その後の人生を決定づける出会いとなりうる可能性が高いように思う。

ニスモバンパーが目を惹く、この日産・スカイラインGT-R(BCNR33型/以下、GT-R(R33型))のオーナーは21歳という若さだ。自動車関連業に従事するオーナーにとって、このGT-R(R33型)との出会いは幼少期にまで遡るという。まさに、幼少期の原体験の記憶を忘れることなく、そのまま大人になったケースだ。それだけに、このクルマに対する思い入れが半端ではない。

通称「R33型」のGT-Rがデビューしたのは、1995年に開催された東京オートサロンだった。当時は、ニューモデルの発表といえば東京モーターショーが当たり前だった時代。Deep Purpleの“Speed King”がCM曲に採用され、「マイナス21秒ロマン。」をキャッチコピーに、かげろうの中を猛然と加速しながら走り去っていくGT-R(R33型)の映像を記憶している方も多いのではないだろうか。

そんなGT-R(R33型)が、現役マシンとしてストリートやサーキットでのレースシーンで活躍していた時代に、オーナーはこの世に誕生した。超がつくほどクルマ好きだという父親が身近にいたことから、オーナーも自然とこの世界に興味を持つようになっていったと語る。「父は本当にクルマが大好きで、私が記憶している限りでも、トヨタ・ハチロク(AE86)や、マツダ・RX-7(FC3S)、日産・スカイラインGT-R(R32型)に乗っていました。現在はホンダ・NSX(NA1型)で毎週サーキットに通っています。父はもはや、クルマを維持するために仕事を頑張っているようなものです(笑)」。

父親がクルマ好きだと、その反動で息子はまったく興味がない・・・という話もしばしば耳にするが、オーナーは違った。週刊ヤングマガジン誌で連載、その後アニメ化され、テレビでも放映された「頭文字(イニシャル)D」も、物心ついたときから見ていたという。「私にとって、頭文字Dの存在が大きかったように思います。もちろん、父も一緒に見ていました」。こうして、次世代を担うクルマ好きがすくすくと育っていったのだ。ちなみに、オーナーには弟がいる。言わずもがな、弟もクルマ好きだ。親子、そして兄弟で同じ趣味を共有し、楽しみを分かち合ってきたことが羨ましく思えてくる。

オーナーが幼少期にその存在を知ったGT-R(R33型)は、大人になり、運転免許を取得したからといって、すぐに買えるようなクルマではないことは、誰の目にも明らかだった。「人生初の愛車となったのは日産・180SX(RPS13型)です。当時通っていた学校にもこれで通学していました。その後、就職してからホンダ・ シビック タイプR(EK9型)に乗り替えたんです。でもそのうち、憧れだったGT-Rを何とか手に入れたいと思うようになりました。当初はGT-R(R32型)を考えていたのですが、問い合わせた先々で売約済みだと言われてしまいまして・・・。そんなとき、職場の同期がGT-R(R33型)を購入したと聞き、さっそく隣に乗せてもらったんです。その個体はかなりチューニングしてあったのですが、一発で魅せられてしまいました」。

ご存知の通り、GT-R(R32型)は生産終了から20年以上も経過している。そのため、純正部品の欠品が目立つなど、維持するのが難しい時期に差し掛かっているといえるだろう。その点、GT-R(R33型)は、部品の確保も先代モデルと比較すれば容易だ。さらに、オーナーにとって幼少期からリアルタイムで見てきたGT-RはR33型だという経緯もある。よし、これで心は決まった!このときからGT-R(R33型)探しがスタートする。それからわずか1カ月後、あるショップがストックリストに公開する前の「未公開物件のGT-R(R33型)」をブログに掲載しているという情報をキャッチした。その個体は1996年式のVスペック、走行距離3.9万km、2オーナー物。すぐさまショップへ連絡を取り、状態と仕様を確認した上で即決してしまったのだという。それが現在の愛車だ。

外観はNISMO製のエアロパーツでほぼ統一され、ボンネットはHKS関西製、GT-R(R33型)後期型のプロジェクターキセノンライトが組み込まれている。ホイールはBBS製LMだ。吸・排気系はHKS製でまとめられ、タービンはGT2530に置き換えられている。その他、冷却系はBLITZ製3層式インタークーラー、TRUST製オイルクーラー、KOYO製銅3層ラジエーター等に交換されている。足まわりはクァンタム製車高調にフェラーリF50用ブレーキキット、F355用ローターが組み込まれている。コンピューターはA’PEX製パワーFCコンピューターおよびコマンダー。内装では、レカロ製シートが左右に奢られ(運転席はフルバケットシートだ)現在では絶版となっているMine's製フルスケールメーターが装着されている・・・等々。もはや、ここには列挙しきれないほど手が加えられているのだ。ノーマル然とした雰囲気を残しつつ、さりげなく戦闘力を誇示した佇まいが気に入っているという。

クルマとオーナーの年齢は同世代だ。人間ならまだまだ若いが、これがクルマとなると、20年選手はベテランの領域だ。手に入れてからトラブルや故障は大丈夫だったのだろうか。「程度が良かったとはいえ、経年劣化に伴うトラブルはありましたよ。あるときタービンブローしたため、オーバーホールを実施しました。その他、購入時に装着されていたマフラーが排気漏れを起こしたため、他の部品に交換したんです。その他、負荷の掛かる部分のリフレッシュを行っている段階ですね」。

オーナーは、クルマのメンテナンスに関するプロフェッショナルだ。経年劣化やトラブルにも自分で対処できる領域が、一般ユーザーよりも格段に広い。さらに、プロフェッショナルの知見を生かし、未然にトラブルや故障を防ぐべく、常に予防整備を心掛けているようだ。若きオーナーは、幼少期からリアルタイムで見てきたGT-R(R33型)に対する世間の先入観や、いつの間にかできあがってしまった固定観念を打ち砕きたいという思いと、クルマの楽しさを教えてくれた父親を超えたいという野心を秘めている。そのために、走るステージを父親と同じサーキットに移行しつつある。

「GT-R(R33型)は、ボディが大きく、しかも重いというイメージが強いようです。このデザインも好みが分かれることを知っています。しかし、私にとって幼少期から同じ時代を経てきた世代のクルマですし、特別な思い入れがあります。それだけに、オーナーになれたからこそ知ることができたGT-R(R33型)というクルマの魅力を伝えていきたいんです。と同時に、NSXでサーキットを走る父親のラップタイムをこのGT-Rとともに上回りたいですね」。

息子は父親を超えなければ一人前とはいえない。それが仕事であれ、サーキットのラップタイムであれ、はたまた身長であってもいい。その一歩一歩の積み重ねが息子のさらなる成長と自信に繋がっていくはずだ。そして、父親も負けてたまるかと奮起する。親子で切磋琢磨すれば、父親も張り合いがあるだろうし、息子もさらに上を目指そうと努力する。オーナーの場合、背後には弟の存在もあるからなおさら気が抜けない。そんな光景を、オーナーの母親はどう見ているのだろうか?

「母親ですか?父も私たち兄弟もクルマの話ばかりなので、いつも呆れかえっていますよ(笑)」とのことだ。親子、そして兄弟がクルマという共通のキーワードを介して、より高みを目指していることは、実に羨ましく、同時に微笑ましい限りだ。そう遠くない未来に、若きオーナーとGT-R(R33型)が、サーキットで父親が駆るNSXをオーバーテイクする日が訪れるに違いない。そして、若きオーナーも、やがて父親となり、クルマへの熱き思いを次の世代へと受け継いでいく役割を担うことになるのだろう。

(編集: vehiclenaviMAGAZINE編集部 / 撮影: 古宮こうき)

[ガズー編集部]