「4人目の家族」として27年間ともに歩んできた1995年式日産スカイラインGT-R改(BCNR33型)

クルマ好きであれば、スカイラインGT-Rの存在を知らぬ者はいないだろう。

レースにおいていくつもの輝かしい成績を残し、チューニングの世界でも特別な存在でありつづけている。

その一方で、最近では日本はもとより海外での需要も高まり、良質かつ貴重な個体が生まれ故郷であるこの国を離れる事例も増えつつある。

スカイラインGT-Rを取り巻く環境が少しずつ、確実に変化していることは間違いない。

今回は、そんな周囲の喧噪をよそに、1台のスカイラインGT-Rと新車から27年にわたって向き合ってきたオーナーとそのご家族のエピソードを紹介したい。

「このクルマは1995年式日産スカイラインGT-R改 標準グレード(BCNR33型/以下、R33GT-R)です。現在の走行距離は約20万キロ。いま、私は51歳です。24歳のときに新車で手に入れて以来、27年間、今日までずっと乗りつづけています」

衝撃的な復活を遂げたR32型スカイラインGT-Rの後継モデルとして、1995年1月に開催された第13回東京オートサロンでデビューしたのがR33型スカイラインGT-Rだ。

いまでこそメーカーのニューモデルがオートサロンでデビューを飾るのは珍しいことではない。しかし、いまから27年も前に、東京モーターショーではなくあえてこのイベントを選んだ点も先見の明があったといえるかもしれない。

ボディサイズは、全長×全幅×全高:4675x1780x1360mm。駆動方式は4WD。「RB26DETT型」と呼ばれる、排気量 2568cc、直列6気筒DOHCツインターボエンジンが搭載され、最高出力は280馬力を誇る。

「マイナス21秒ロマン。」のキャッチコピーを掲げ、ディープ・パープルの名曲“SPEED KING”をBGMにR33GT-Rが疾走するCMを覚えている人がいるかもしれない。

この「マイナス21秒ロマン。」は、先代モデルにあたるR32GT-Rが、ドイツ・ニュルブルクリンクオールドコースで1989年に記録した8分20秒のタイムを上回るだけでなく、8分を切ることを目標としたことに由来する(そして1994年9月20日、7分59秒をたたき出したのだ!)

ちなみに別バージョンCMでは「私たちの国には、GT-Rがあることを誇りたい。」と謳っている。冷静に考えると、数あるラインナップのいちモデルに対してここまでいい切った日産のプライドと自信の証ともいえる。この「胸熱」な2本のCMに、魂を大いに揺さぶられたGT-Rファンはもとよりクルマ好きも多いはずだ。

さて、そんなロマンを秘めたR33GT-Rをオーナーが手に入れるきっかけから伺ってみることにしよう。

「R33GT-Rの前はR32GT-Rを所有していました。GT-R以外のモデルはR33型にモデルチェンジしていましたし、そろそろかなと思っていたとき、1993年の東京モーターショーに参考出品モデルが展示されていたんです。このモデルを見たときは正直いってピンときませんでしたが、その後のスクープ記事などを読み進めていくうちにデザインがかなりリファインされることを知ったんですね。ちょうどR32GT-Rがトラブルを抱えていて、条件もよかったので思い切って乗り替えることにしたんです。予算的にあと50万円高価なVスペックには手が届かず、標準グレードにしました」

R33GT-Rに乗り替えることは決心がついた。このとき、悩んだのはボディーカラーだったという。
「イメージカラーである“ミッドナイトパープル”を考えていたのですが、パープルのボディーカラーって別路線のクルマをイメージしてしまって(苦笑)。そこで、日産のお客様相談室に電話を掛けて“ミッドナイトパープルのR33GT-R”が展示されているディーラーを教えてもらい、実際に現車を見て決めました。1995年1月に発表されて3月には納車されたので、生産番号もかなり前の方です」

たしかにパープル系のボディーカラーというと、現車を見ずに決めるのは勇気がいるかもしれない。今回、久しぶりに間近でミッドナイトパープルのボディーカラーを拝見する機会に恵まれたわけだが、太陽光に当たって微妙に変化する色合いは実に上品であり、R33GT-R専用色として開発した「推しのボディーカラー」であったことも頷ける。

当時、多くのクルマ好きが注目したであろう新型(R33)GT-Rにいち早く乗れたオーナー。その喜びを噛みしめていたのかと思いきや、意外な答えが返ってきた。

「R32GT-Rと比べると“クルマに乗せられちゃっている”印象でした。街中で黒いR32GT-Rとすれ違うと、もしかしたら俺の元愛車なのかな、なんて思ってしまったり・・・。いまでもふと思うことがありますよ。“誰が乗っているのか?海外へ行ってしまったのかな”とか・・・」

思い入れがある愛車を手放した後の行方が気になる・・・という人は案外多いのかもしれない。実は今回、オーナーの奥様とお嬢様も取材に同席してくださった(この場を借りて改めてお礼を申し上げたい)。当時は結婚前であったが、オーナーのR32およびR33GT-Rの助手席で体感した当時の印象を奥様に振り返っていただいた。

「私と交際していたときに所有していたR32GT-Rの調子がいまひとつだったんです。その点、R33GT-Rは新車だし、たしかに安心感はありましたが、乗っている方としてはR32の方がよかったのかなというイメージがありましたね。当時からミッドナイトパープルのボディーカラーを褒められることが多く、それで救われたような気がします」

すでにお気づきのことと思うが、当時のお二人にとってこのR33GT-Rは手に入れたときから一生モノ!ずっと乗りつづけたいと思う存在ではなかったようなのだ。・・・しかし、それから27年が経過した2022年現在も手放すことなく所有していることもまた事実だ。

「結婚して娘が産まれたあと、妻から『他のクルマに乗り替えて』といわれたことは何度かありました。当時、周囲の人からも『まだ乗ってるの?』なんていわれましたよ。でも、子どもが1人だったこともあり、今日まできてしまいましたね。あとは自分の手の届く範囲で欲しいクルマが見つからなかったという点も大きいです。2007年にR35GT-Rがデビューしましたが、当時私は30代半ばで、クルマに800万円も掛けられる状況ではありませんでしたから」

いまでは成人したお嬢様も、当時はまだ幼かった。育ち盛りのお子さんがいるのに、クルマ(それも趣味性の高いモデル)に大金をつぎ込むのは「お父さん」の立場からすれば躊躇するのは当然だ。

とはいえ、27年のあいだにそれなりのトラブルも経験しているようだ。

「これまで出先で故障して帰ってこられないということが3回くらいありました(苦笑)。次の日が仕事だというのに故障して、クルマを現地に置いて電車で帰る羽目に・・・。終電ギリギリ、深夜に帰宅したこともありましたね。それでも手放そうとは思わなかったです。子どもの具合が悪くなったら病院に連れて行きますよね?このクルマの調子が悪くなったら修理して直す。どちらも同じことだと思います。

具体的なトラブルはというと、サスペンションの取付部分のあたりが錆びてしまい、周辺部分を含めて除去・補強してもらいました。あとはトランク内の雨漏り修理も行いました。何よりエンジンブローしたことはまいりましたね。いまでは考えられないことですが、当時はR33GT-R用のN1エンジンがAssy交換できたんですね。エンジンを載せ換えるタイミングでタービン・インジェクター・燃料ポンプ等も交換しました。このとき、エンジンの載せ換えができなかったらこのGT-Rを手放していたかもしれません」

GT-Rチューン全盛の時代から所有しているだけに、モディファイにもこだわりと歴史が感じられる。

「ステアリングはmomo製、シートはRECARO製、メーターはMine's製のフルスケールに、フロントのブレンボキャリパーをR34GT-R用に、キセノンライトを後期型に変更しています。足回りは現在5セット目(ENDLESS製)、マフラーは4本目(取材後、画像のTRUST製からA'PEXi製に変更)です。タイヤはこれまで10セット以上は交換したかな・・・。現在はコンチネンタル製のスタッドレスタイヤを履かせています。実はリアのアッパーリンクを交換するときに公認を取りました。正確には“R33GT-R改”なんです」

純正ホイールに目をやると、たしかにスタッドレスタイヤを履いていることが確認できる。ホイールにはブレーキパッドのダストが固着しており、ハードに使い込んできたことが分かる。

「メタル製のブレーキパッドを組み込んでいまして、ブレーキダストがすごいんです。熱で固着して取れなくなってしまいました(予備の純正ホイールを所有しているそうだ)。この1台で何でもこなしますから。無闇に高価な部品を組み込まず、メンテナンスに関しても何でもプロにお任せ・・・ではありません。極力、自分でやれることは行います。長く所有するうえでコストパフォーマンスも大事なことだと思っていますから」

27年間、ずっとオーナーの家族とともに暮らしてきたR33GT-R。奥様やお嬢様にもこのクルマに対する想いを伺ってみた。まずは奥様から。

「家族のためのクルマではあるけれど、主人にとっては趣味ですからね(笑)。トラブルシューティングとか、他のR33GT-Rオーナーさんが発信している情報とか、もう年中情報を集めていますよ(苦笑)」

つづいてお嬢様にも。

「子どもの頃、クラスの男の子たちに『お父さんがGT-Rに乗ってるんだって!?』と聞かれてちょっと自慢でしたね(笑)。運転できないからゲームセンターで頭文字Dのゲームで遊び、我慢していました。大人になり、父のGT-Rに乗るつもりでMT免許を取得したのに、いざ取ってみたら運転させてもらえなかったんですよ(苦笑)」

ちなみに、お嬢様が一番欲しいクルマは?

「父のR33GT-R を別にするとR35GT-Rです。さすがに高価なので手が届きませんけれど・・・」

目の中に入れても痛くない愛娘が、ともに暮らしてきたR33GT-Rに乗りたがっているようだが・・・。オーナーの見解はというと?

「壊しても直せるだけの経済力がついてからですね。レンタカーを借りて運転させることがあるんですが、たしかにセンスはあると思います。クルマのちょっとした変化も敏感に察知しますし」

親子(ましてや父娘だ)であってもあえて甘やかすことなく接するのがオーナーの流儀なのだろうか。では、愚問を承知であえて聞いてみよう。今後も乗りつづけるつもりなのだろうか?

「乗りつづけるのが当たり前の前提で所有していますし、手放すなんて考えたこともありません。もはや家族みたいな存在ですからね。娘が嫁いでいった後もこの家にあるんじゃないかと思います」

オーナーのR33GT-Rを含めたいわゆる「第2世代GT-R」は次のステージに足を踏み入れたといってもいいかもしれない。

誤解を恐れずに表現すると、もはやチューニングカーの素材として・・・ではなく、動体保存が優先されるステージに入ったような気がする。

オリジナル度が高く走行距離の少ない個体は、海外の有名なオークションでも並み居るクラシックカーやスーパースポーツなどの名車と肩を並べつつある。名実ともに、世界的にスカイラインGT-Rの存在価値が認められる時代になったのだ。

その一方で、オーナーのR33GT-Rは27年という年月のあいだに刻まれた年輪が車体のいたるところに刻まれている。走り屋の勲章ともいえるフロントバンパーの飛び石の傷、ブレーキパッドのダストが固着したホイール、色褪せたシフトレバーおよびサイドブレーキのレザーカバー・・・。そのひとつひとつが、オーナーとその家族とともに暮らしてきたこのR33GT-R特有の使用感なのだ。

しかし、他人の手に渡った瞬間、この個体特有の雰囲気はかき消され、別の何かへと姿を変えてしまうことは間違いない。オーナーの他にこの状態を維持できるのは、愛娘である彼女しかいないだろう。

幸い、MT免許を取得し、クルマの変化に対する鋭敏なセンサーを持ち併せている。産まれたときからこのR33GT-Rとともに歩んできているのだ。次期オーナーとしてこれ以上の逸材が存在しないことは現オーナーも密かに認めているはずだ。

カタチはどうあれ、「4人目の家族」であるこのR33GT-Rが父から娘へと受け継がれる日は遠くないのかもしれない。そして、今回の取材がそのきっかけとなったら望外の喜びだ。

(編集: GAZOO編集部 / 撮影: 古宮こうき)

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