自分を変える一歩を踏み出し、子供の頃の記憶を蘇らせる鍵となったKE65スプリンター
かつてお父様が乗っていたのと同じ型のトヨタ・スプリンターを、大人になってから愛車として迎え入れた浅野さん。初めに言っておくと『当時の楽しかった思い出を忘れないために』とか『今度は父を乗せて自分が運転したい』といった美談ではない。
そもそも、お父様がスプリンターに乗っていたのは浅野さんがまだ小さかった頃の話で、まだ鮮明な記憶や思い出が残っているという年齢ではなかったという。
では何故乗っているのかというと、ある時見つけたスプリンターと一緒に撮っている写真の中のお父様とお母様、そして小さかった頃の浅野さんの表情があまりにも幸せそうだったので『このクルマに乗ることで、子供の頃の曖昧な“家族で過ごした楽しい記憶” を呼び起こすことができればいいな』と思っているからだそうだ。
日本には5500万世帯以上が暮らしているわけだから、家庭円満な人ばかりとは限らない。家族だからこそ本気で意見をぶつけ合い、時には衝突するということもあるはずだ。そして浅野さん一家も例に漏れず、常に家庭円満というわけにはいかなかったという。
「今となってはいい思い出なんですが、旅行中に両親がケンカしたこともありました(笑)。就職して親元を離れ、自分が親となった今になって振り返ると、家のこと、子供のこと、お金のこと、いろいろと大変でそうなってしまったんだろうなと思います」
取材に同行してくれたお父様は、長距離トラックの運転手をしていたそうで、仙台-大阪を3日間かけて往復していたため平日はあまり家にいなかったという。その分、休みの日はドライブに連れて行ってくれることが多かったそうで、電車好きの浅野さんのために貨物ヤードの線路脇にクルマを停めて、気が済むまで貨物列車を眺めさせてくれたと笑顔で教えてくれた。
「父はシートを倒して隣で寝ていましたけどね(笑)。これは、楽しかった記憶の1つです」
寝ていたということよりも、自分のためにどこかに連れて行ってくれたということが重要だったのだ、と。
「もう時効だと思いますが、中学の頃に仕事へ出かけたと思っていた父が会社のトラックで家に戻って来たことがありました。そのまま私を助手席に乗せて出発して、深夜の高速を北上したんです。そんなことが2回ほどありましたが、行き先は岩手と青森だったと思います。胴体と頭が分離するトレーラーという大きいやつを運転していたんですけど、ハンドルを握る父の姿がカッコいいなと感じたのを覚えています。私が運転好きなのは、父親の影響もあるのかな」
こういう“家族にまつわる楽しい思い出"は、必ずしもスプリンターに乗っている時の記憶というわけではないのだが、スプリンターのシートに座ってステアリングを握る走行距離と時間に比例して次々と浮かんでくるという。
お父様には怒られた記憶がないこと、暇があればドライブに連れて行ってくれたことなど、数珠繋ぎに思い出すのだとか。
「スプリンターに乗っていた時のことは、何となく覚えているかな? くらいなんです。だけどね、これで良いんですよ。現在進行形ですから」
そんな昔の記憶を開錠する鍵となっている浅野さんのスプリンター1300DX(KE65)は、1978年12月24日のクリスマスイブに新車登録されたロマンチックな個体だ。
1974年4月から発売が開始された3代目モデルにあたり、その中でも1978年5月から1979年2月までしか生産されなかった後期型で、さらにモデルチェンジ3か月前のモデル末期に新車登録されたという希少な個体だ。
浅野さんが気に入っているという、中央部を独立させて格子状に仕上げた大袈裟なくらいキラキラのグリルは、兄弟車のカローラよりも上級でスポーティーに位置付けられていたという証。横長の2分割グリルにすることで、カローラとの差を一目瞭然にしたというわけだ。
横から見た時のセダンらしいフォルムや、斜め後ろから見た時のたたずまい、よく見ると複雑に構成されたボディのプレスラインも、とても気に入っているという。
そんなスプリンターと2006年に20数年ぶりの再会を果たしたわけだが、初めて見る感じはせず、そして、自分が大人になったんだという時の流れをしっかりと感じたという。例えば、背が大きくなったことで、あの頃は大きかったスプリンターが小さく見えるようになってしまったことなどだ。
「面白いもので、運転していると当時の情景をさらに思い出すんですよ。当時のトヨタ車のセルモーターの音、ローギアの独特な走行音、インパネから斜めに生えるシフトレバー、効きが悪いわけではないけどドラム式ゆえのカックンブレーキ。あぁ、こんな感じだったな〜と、じわじわ溢れてくるんです。母親が乗る時は自分が後ろに座り、父親と2人のときは助手席に座っていました。そして運転席に初めて座った今は『父親の目にはこんな風に写っていたのか』と懐かしくもあり、感慨深く思うところがありました」
古いクルマだからと覚悟していた部分もあったそうだが、運転するぶんには現代のクルマとの違いはそれほど感じないし、窓の面積が広いため視界が良好で車両感覚が掴みやすく違和感なく乗れてしまったのは、良い意味で少し残念でもあったと冗談っぽく笑っていた。
違うところといえば、エンジンを始動する時はチョークレバーを引っ張り、アクセルを数回踏むという“儀式”を行ってからセルを回すことくらいだという。ちなみに、今でもこの時ばかりは毎回少しだけ緊張するとのことだ。
サイズ的に使い勝手も良く、週末はスーパーに行くなどの日常使いもしているため、今年4月には製造から45年目にして走行距離10万kmを突破したという。
「購入当初から付いていたナルディのステアリングは革がボロボロになってしまったので、被せてステッチを編み込むタイプのカバーを購入して自分で装着しました。ゴム部分がツルツルになってしまったペダルはアルテッツァの純正品を取り付け、シフトノブは上級グレードの木製のものを偶然見つけて取り替えています。このシフトノブ、4速のパターンになっているんですけど、かなりレアだと思うんですよね〜」
ほかには、ロールやピッチングが大きかった走りを改善するために、ショックアブソーバーやブッシュ類などの足まわりにも手を加えているという。純正の姿をなるべく維持しながら、現代風にアップデートしていくというのが浅野流だ。
「2オーナーで購入時の走行距離は4万km。さらに、最初のオーナーがマメな人だったようで、新車購入時の保証書・取説を全部取ってくれていて、1999年に受けた最後の車検までの整備記録を事細かく付けてくれていました。とにかく、偶然ヤフオクを覗いていて見つけただけでも奇跡なのに、とても状態の良い個体だったんです。しばらくナンバーを切られていたそうですが、大掛かりな整備をすることなく公道復帰できました」
冒頭に記したとおり、昔の写真に写っているような幸せな思い出が蘇るかも?と走っているわけだが、それはあくまでも乗っている理由であって、このスプリンターを購入したキッカケは“一歩踏み出す"ためだったという。
「今まで色々あったから、とにかく目立たないようにしようというのが僕の生き方だったんです。そんな私にとって、旧車に乗るということは、人とは違うものを選択するということでした。いや、大袈裟と思われちゃうかもしれないんですけど、自分にとってはそうだったんですよ。だから、購入直前まで『乗ってみたいけどどうしようかな?』という葛藤がありました。それでも愛車として迎え入れたのは『一度きりの人生だから、これを逃したら絶対に後悔する』と思ったからです。クルマを買うというだけのことなんですけど、自分が少し変われた気がしたんです」
「最初は不安もあったけど、旧車に乗ってるといろいろな人に声を掛けられるようになって、それが結構嬉しかったんですよ。それからは、他人と同じじゃなくても大丈夫なんだと、考えも変わったような気がします。それと、自己紹介の時などに『旧車に乗っている』と話すと、向こうから話しかけてもらえるキッカケになりますし、ついでに顔と名前まで覚えてもらえるようになりました(笑)」
浅野さんは100%間違いないという声で「本当に愛車にして良かった」と言った。今まで生きてきて楽しかったことや辛かったことのすべてと、少しずつ向き合えるキッカケとなったからだという。そして、頑張った自分を褒めてあげられるようになったと穏やかに言った。
「残念ながら息子はクルマに興味がない」と苦笑いしていたが、浅野さんは知らない。
筆者が「クルマ好きなの?」と聞いたときに彼がこう答えたことを。
「これは好きかな。お父さんが楽しそうにしてるから」
息子さんにとって、スプリンターは現在進行形で“楽しい思い出を忘れないため"の存在なのだろう。
1台に家族みんなで乗って会場を訪れ、笑顔で取材を受けているお父さんの様子を見守っている彼の横顔を見ていると、きっとそうだと感じた。
取材協力:やまぎん県民ホール(山形県山形市双葉町1丁目2-38)
(⽂: 矢田部明子 撮影: 平野 陽)
[GAZOO編集部]
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