クルマ屋さんなのに好きなクルマに乗れない、 そんな憂いをスープラで突破する

  • GAZOO愛車取材会の会場である福島県福島市四季の里で取材したトヨタ・スープラ

    トヨタ・スープラ



お父様がクルマ関係の仕事をしていたという『ごんごん』さんは、ポスターやパンフレット、ミニカーといったクルマに関する物が家には沢山あったという。
そんな環境で育つと、気付いた頃にはクルマ好きに成長しており、昔を振り返るとクルマに関連することばかりを思い出すと嬉しそうに目尻を下げた。

例えば…、小学校の担任の先生に「知っているクルマの名前を全部言ってみて」と授業中に当てられ、誰も知らないような車種をつらつらと答えると、クラスメイトに尊敬の眼差しを向けられたこと。トヨタ2000GTのポスターパネルを使って、弟や従兄弟とクルマごっこをしていたこと。スバル360などが置いてあった、河川敷にある廃車置き場が秘密基地だったことなど、想い出の隣にはいつもクルマの存在があると話してくれた。

それは大人になっても変わらなかったそうで、クルマ関係の仕事に就いたごんごんさんは、新型車が発表される度に『次はこんなクルマが世に出るのか』とワクワクしながら職場まで足を運ぶ自分に、中身はいつまでもあの頃のままだと苦笑いしてしまうこともしばしばあるという。

そんな毎日を送っている中で、ごんごんさんはあることに気付く。それは、乗りたかったクルマのハンドルを一度も握っていないということだ。

「そんな時に“50歳を過ぎたら好きなクルマに乗っていい”という言葉を、テレビかラジオで言っていたのを聞いて『じゃあ…私はまさにその時だ』と思い、スポーツカーに乗ることを決めました」

バイトに明け暮れた20代、がむしゃらに働いた30代、子育てに奮闘しながら日々を忙しく過ごした40代。そうして50代に突入した今“自分が本当に乗りたかった憧れのクルマを愛車にする”という夢を実現させる時が来たと奮い立ったのだという。

乗りたかったのはスポーツカーで「思えば大学生の頃からずっとそう感じていた」と腕を組みながらスープラ(JZA80型)を見つめた。

「私が大学生の頃は、乗っている車種によってモテるモテないが変わってくるほど(笑)、どんなクルマを愛車にしているか? が重要だったんです。シルビア、ソアラ、あとは…そうだなぁ…カリブなんかに乗っている人もモテていましたかね。私はクルマ屋の息子なわけだから、そういったクルマに乗れるものと少しだけ思っていたんです。けれど、父から勧められたのは登場してから暫く経った初代ビスタセダンでした。当時そのクルマに乗っているのは“おじさん”達ばかりで、茶髪でロン毛だった私は『絶対に乗りたくない』と言ったのを覚えています(笑)」

こうして、スポーツカーに乗れるかも?という淡い期待は見事に砕け散り、自分で購入できる範囲のカッコ良いクルマを探し始めたという。本当ならばスポーツカーに乗りたかったところだが、よくよく考えてみると、横に立ったときに自分はスポーツカーに釣り合わないと急に自信が無くなり、結局落ち着いたのはコロナ5ドアだったということだ。ちょうどその頃はスープラ(GA70型)が登場したばかりで、家に置いてあったパンフレットを眺めては、憧れが自分の思いに反比例してどんどん膨らんでいったと話してくれた。

「シュッとしてる方じゃないから、何となく恥ずかしくて乗れなくてねぇ〜。サーフィンやスノーボードが趣味だったから、働くようになってからはプラドやクルーガーⅤなどのSUVに乗るようになりました。そうして何十年か経って子育てがひと段落した今、やっとスポーツカーに乗ってみようという気持ちになれたんですよ」

人というのは不思議なもので、年齢を重ねていくと“周りに自分がどう映るか?”よりも“自分がどうしたいかを大事にする”ようなるのだとニコッと笑って見せた。そして、そういう風になってくると、似合うかどうかなどの細かいことは気にせずに、自分が本当に楽しいと思えるクルマを選べるようになるらしい。

こうして、自分に正直にクルマ選びをした結果、第1号として迎え入れたのは、幼少期にお父様が乗っていたカリーナ(RA15型)だったという。ファミリーカーがテッパンだったごんごんさん家に、突如として現れた2ドアクーペのスポーツカーらしいフォルムが、大人になっても鮮明に脳裏に焼き付いていたからだという。

「新型車ではなくて、古いクルマに乗ってみたかったんです。性能云々よりも、エンジンの音や匂い、デザインなど、そこには古いクルマにしかない魅力があると思ったから。実際に乗ってみるとやっぱりその通りで、なんなら購入時点から新車とはちがった面白さがありました」

仕事柄、新型車を取り扱うことが主となるごんごんさんにとって、同じグレードなのに程度が違ったり、タイミングを逃せば他のオーナーさんの元に渡ってしまうという一期一会の出会いが、かなり新鮮だったと目をキラキラさせながら説明してくれた。

「古いクルマは、来るべくしてオーナーさんの元に走っていくように思うんです。すべてのことがピタッと重なって、ここなら行ってもいいかな? という人の所へ向かうのかなと。まぁ、迷信ですけどね(笑)」

そうしてごんごんさんの元へ来たのは、カリーナの最上級グレードである2000GTだった。現在の愛車であるスープラもそうだが、最上級グレードを選ぶのがこだわりなのは、クルマに乗る理由が“自分が目一杯楽しむため、乗りたいクルマを素直に選ぶ”だからだという。

「ディーラーで営業をしていた頃に、値段が安いからと下のグレードをお客様にお勧めすると、のちに上のグレードの方が良かったと言われたことがありましてね。お客様の価値観や生活に寄り添った提案ができなかったんだと、とても悔しい思いをしました。それ以降は、どの要素がその人にとって本当に大切な部分なのかという事を深く考えるようになりましたね。そして、その結果、これからの僕の愛車は若い頃から夢見ていた“ちょっと贅沢な最高級グレード”といこうじゃないか! となったわけです(笑)」

カリーナからスープラへ乗り換えた理由は、カリーナにはパワステやエアコンが搭載されておらず、気軽に乗ることができなかったからだという。もちろん、それも醍醐味なのは承知の上だったが、これからさらに年齢を重ね、免許返納まで乗り続けることを考えると、それは無理だとひどく痛む50肩を押さえながら感じたのだそうだ。

そうして次なる“自分が乗りたかったクルマ”を探し始めると、大学生の頃に憧れた70型スープラが思い浮かんだのだという。
最終的に70系を選ばずに80系にしたのは、維持がしやすく、それなりに快適装備が付いているので、お爺ちゃんになっても乗れるだろうと踏んだからだ。グレードは、もちろん最上級グレードのRZ-S、運転しやすいターボでオートマチック車にしたと満足気に教えてくれた。

走行距離は4万km、エンジンの状態はまずまずだったが、ボディが日焼けし、雹害を受けたボンネットが所々凹んでいたという。どうしようかと悩んでいると、実際に運転してみないか? と提案され、ハンドルを握りアクセルを踏むと…、ごんごんさんはスープラの魅力にあっという間に落ちてしまったのだという。

「このクルマには、2JZ-GTEというアリストとおなじエンジンが搭載されているんです。昔、父がアリストに乗っていて運転させてもらったことがあったんですけど、パワフルで速くてワクワクしたあの衝撃が蘇ってしまってね。ゴォーというマフラーの音や、エンジンの振動がハンドルから伝わってきて、クルマに乗っているぞ! という感じがしたんですよ。この年代のクルマならではの、自分の運転スキル以上のことは何もしてくれない、ある意味素直な走行性能にグッときてしまったんです。それと、オーナー自身がこのクルマを学んで、運転スキルを上げていかなくては速く走れないという所も気に入りました」

そう言いながらハンドルをギュッと握り『これからまたドライブに行く』と、うずうずした仕草を見せた。
ちなみに、走行性能だけではなく、買い物を済ませて駐車場に戻ってくると、曲線美を描いた少し厚みのあるリヤのフォルムに胸を打たれ、座る度にオーナーを満足させてくれる飛行機のコックピットのような運転席の作りに幾度もため息が漏れるのだとも教えてくれた。
さらには、リヤシートを倒すとゴルフバックが2つも積め、奥様とゴルフに行ける利便性に驚かされるなど、毎日何かしら愛車にして良かったと思わせてくれる出来事があるところも良いのだとか。

今後は“大人のGTカー”をテーマに、基本的には純正をキープしつつ、休日のドライブと洗車を楽しんでいきたいとのことである。

「クルマ好きとして『趣味がクルマです』という方が増えるといいなぁ〜なんて思うんです。クルマをキッカケに仲間が増えていくのは嬉しいし、誰かとこの気持ちを共有できるって幸せじゃないですか!」

そう話すごんごんさんは、自分の乗りたかったクルマを愛車として迎え入れてからというもの、週末が待ち遠しくて堪らなくなったのだという。「人生に幸せというスパイスを与えてくれるのは、いつもクルマだった。そして、これからもクルマだ」と言い残し、颯爽と入道雲のその先へ、大好きなスープラを走らせていった。

(文: 矢田部明子 / 撮影: 平野 陽)

許可を得て取材を行っています
取材場所:四季の里(福島市荒井字上鷺西1-1)

[GAZOO編集部]