奥さまから告げられたオープンカーへの想いを形に 1961年式MGA

  • GAZOO愛車取材会の会場である稲佐山公園で取材した1961年式のMGA

    1961年式のMGA

『最後にもう一度、オープンカーに乗りたい』という奥さまの願い。
「ふたりの息子が独立して、仕事や子育てもひと段落した頃。主人と交際していた時にオープンカーに乗って、ふたりでドライブや旅行に行った楽しい想い出が蘇ってきたんです。大袈裟かもしれませんが、自分の人生『これからも主人と楽しく過ごしたい』と、より強く思うようになりました。そこで主人に、その気持ちを告げてみたんです」

中川さんご夫妻が結婚前に乗っていたという、1971年式のトライアンフ・スピットファイア Mk Ⅳは、ドライブや旅行と色々な地域へ出かけていた想い出深い愛車だ。

「九州はほぼ全県を巡り、四国や中国地方にもふたりでたくさん出かけました。どちらも元々バイク好きだったので、オープンカーの解放感にも魅力を感じていましたね。オープンエアを直に受けることで、風のにおい、四季の移り変わりを肌で感じ、いつもHAPPYな気持ちにさせてくれました。そして当時は若さゆえでしょうか、スピットファイアに乗る時はオープンにして、ふたりとも半袖と半ズボンといった恰好が多かったので、常に日焼けして真っ黒(笑)。ドライブに行くたびに日焼けしては、ヒリヒリしながら何回も皮がむけて大変でした。けれど楽しい記憶はそれ以上ですネ」と、奥さまのさつきさん。出かけるときは必ずカメラと三脚を持参し、いつも愛車と一緒に記念撮影していたので、想い出写真のほとんどは、ふたりで写ったものという素敵なエピソードも。

そんな青春の思い出が詰まったスピットファイアは、結婚後お子さんの誕生を機に知人へと譲り、ファミリーカーとしてホンダ・シビック、トヨタ・タウンエース、ミツビシ・チャレンジャー、トヨタ・ノア、スバル・アウトバックを2台、フィアット・アバルト595と乗り継いできたという。

  • GAZOO愛車取材会の会場である稲佐山公園で取材した1961年式のMGA

    1961年式のMGA

「息子たちも独立し、年齢的にもそろそろ最後のクルマかな…と、スポーツカーも好きだったので実はポルシェを探していました。ところが妻から『オープンカーに乗りたい!』と声が挙がり『そうか、オープンカーという選択肢もあるな』と、考え直したんです」
それからオープンカーを探して福岡の中古車販売店を巡っていた際に、偶然MG・MGAを見かけて夫婦そろってひと目ボレ。

「スピットファイアと同じイギリス車のオープンカーで、テールレンズまわりの上品なデザインをはじめ、ボディラインの曲線美が美しく、特にサイドビューから見たフェンダーラインに魅了されました」

早速、見つけた販売店に売ってほしい旨の話しをするが、見つけたMGAは修理での預かり車で販売車ではないとのことでガックリ肩を落としたという。
それからというもの、ふたりともMGAの事が頭から離れずインターネット等で車両を探しまくった結果、群馬県高崎市のロータス専門店にて、ついに1961年式のMGAを発見する。

「とにかく現車を見たかったです」と、中川さん。2019年頃はアバルト595を所有しており、車検で福岡のショップに預けていたのだが、車検が終わってアバルトを引き取ったその足で、群馬まで自走してMGAを見に行ったのだ。現車を見るやいなや、ふたりとも一発で気に入り購入を決定。その場で契約を済ませた。

「当時は輸出がメインだったので、現存するMGAの8割が左ハンドルなのですが、MGAでは珍しい右ハンドルで、妻と生まれ年が同じ1961年式というのも縁を感じました」

そして1ヶ月後、ついに納車となったワケだが、中川さんは販売店が提案する長崎での納車を断り、自ら群馬での引き取りを希望する。引き取り当日に30分程度、販売店よりMGAの装備や操作についての説明を受けたものの、すべての理解もままならない状態で群馬を出発したという。

「試乗もせずに買ったので、まずは乗ってみたかったんです。ですが、58年前のクルマでいきなり長距離を運転するというのは、正直不安しかなかったですね。群馬での引き取りは、イチかバチかの賭けでもありました(笑)」

ところが、旧車ならではの“あるある”が、早々に中川さんに降りかかる。『ステアリングは重すぎる、ブレーキは効きにくい、ドアの開け方が分からない、ライト類の点け方も分らない』と、ありとあらゆる操作が分からなかったそうだ。とはいっても、これらは想定内の範囲。分らない操作は販売店に電話してレクチャーしてもらいつつ、あとは長年バイクとクルマに乗ってきた自身の感覚で、どうにか解決できたという。だがしかし、安心したのも束の間で、さらなる事件が起こってしまう。

「群馬を出て20kmくらい走行した頃でしょうか、10~20km走行するたびに勝手にドアが開いてしまうようになったのです。内側からドアが開かないよう必死に押さえつつ、なんとか走ることができましたが、自宅に到着するまでに50回位は開いてしまいましたよっ!! ここまでくると、妻と笑うしかなかったです。ま、ハプニングも想い出のひとつですけどね(笑)」

なんとか大阪のフェリー乗り場に到着して乗船。新門司港から長崎までは陸路で帰るのだが、MGAが納車されたことがよほど嬉しかったのか、前出のドアが開いてしまう問題があるにも関わらず、熊本、阿蘇方面へわざわざ遠回りのドライブをして家路に着いたとか。

ちなみに、ドアが開いてしまったのはドアヒンジの歪みが原因だった。中川さんがこの歪みを修正、調整を行なって、現在は走行中にドアが開くトラブルは解消したという。アクシデントも楽しみに変えてしまう強者の中川さん夫妻に、ただただ感心するばかりである。

「昔のクルマは単純なので、ガソリンと電気さえ来ていればエンジンは回ります。コンピューターも無いので分かりやすく、構造も単純なので整備しやすいですね。また、イギリス車は部品の8~9割が新品で手に入るから、比較的維持が簡単なのも魅力です。エンジンオイルですが、高価な化学合成油を入れると漏れてくるので、20W-50の安価な鉱物油を入れています。昔のクルマだから高性能オイルが合わないんでしょうね(笑)」

趣味でバイクや自動車の整備を行なう中川さん。所有して4年目となるMGAだが、キャブレターやタペット調整など細目なメンテナンスを行ない、エンジンはすこぶる好調だ。

そして、中川さん夫妻を悩ませたMGAの特殊な操作に、取材班も驚きの連続であった。まず、納車時に分からなかったドアを開ける操作。写真のようにドアの内側にあるワイヤーを下に引っ張って開けるのだが、MGAはボディの外にドアハンドルがなく、スライドするサイドウィンドウより手を入れて開けるという。恐らく、オープン状態が当たり前だったMGAならではの仕様といえそうだ。

次に、クラッチペダルの左側にあるシルバーのスイッチらしき物。これはヘッドライトのHiとLowを切り替えるスイッチとなり、つま先で押して操作するそうだ。この部分は一度壊れてしまったので、同じ部品を取り寄せて中川さんが修理。イギリスのルーカス社より現在でも新品で購入できるそうだ。

「オープン時の幌はシートの後ろに綺麗に収まるし、レザーの目隠しがあるのでスマートですね。昔のクルマなのによく考えられていると思います」
幌の開閉は、3ヶ所あるフロントウィンドウに固定しているロックを解除し、トランク側に固定している幌のホックを外す。そしてリヤスクリーンごと幌を上げ、シートの背面に収納。両サイドの窓はロックを解除して取り外しリヤトランクへ格納する。オープンにしている時はシートの赤いレザーやドアの内張りが際立ち、車体のホワイトとコントラストも美しい。

特に夫婦で気に入っているのが、リヤキャリアのトランクで、MGA専用のトランクかと思うくらいジャストフィットしている。トランクの中央に貼ってあるMGのエンブレムは、革で中川さんが手作りしたものだそうで、オシャレなクラシックカーの雰囲気をより一層高めている。

「20~30年前にモーガンが欲しくて、このトランクをリサイクルショップで見つけたんです。『モーガンを手に入れたらキャリアに積もう』と購入していたものです。しかしモーガンは買わずに、トランクをずっと倉庫に眠らせていたのを思い出し、MGAのキャリアに合わせてみたらピッタリサイズで驚きました」

そんな中川夫婦が現在ハマっているのがクラシックカーのラリーイベントに出場すること。
九州各地で開催されているイベントに参加し、2023年の『ツール・ド・アリタ』では4位に入賞。そして、2022年の『チェント・ミリアかみつえ第20回記念大会』では、ナント優勝にも輝いている。さらに『長崎街道ラリー』では、中川さんのMGAがポスターに採用されるなど、四方で大活躍中なのである。MGAが架け橋となり、九州各地のラリーイベントで仲間との交流が深まり、同志もたくさん増えたという。
余談だが、奥さまのコマ図案内が素晴らしく、言う通りに走っていたら北海道まで行きそうな勢いだとか(笑)。

そして気になったのが、お揃いのジャケットとキャップ。知り合いの刺しゅう店にMGのワッペンをオリジナルで作ってもらい、ふたりだけのユニフォームを製作。ラリーなどのイベントには必ず着用して参加しているそうだ。とってもお似合いで素敵すぎます!
「コマ図を見ながらの走行はもちろん、チェックポイントでのゲームの楽しさもラリーの魅力です。MGAをはじめ、同じようなクラシックカーに乗っているオーナーさんとも仲良くなれました」

取材中にも感じられたが、普段からとても仲の良い中川夫妻。ラリーイベントへの参加のほか、現在も所有しているルノー・4(キャトル)にキャンプ道具を積んで九州各地や広島までキャンプに行ったり、BMW・R1200RTで奥さまとタンデムしながら北海道から東北エリアを20日間かけてツーリングしたりと、旅行やキャンプなどもふたりで満喫しているそう。

「元々バイク好きだったので、若い頃は1970年代のバイクを中心に20台ほど所有していました。将来は息子たちに乗ってもらいたいと思っていたので」
ところがふたりの息子さんはどちらもバイクに乗らず…『じゃあ、クルマだったら乗ってくれるだろう』と、バイクを半分以上手放し、スバル・アウトバック、ローバー・ミニ、ルノー・4(キャトル)、そしてMGBと、MGAを含め現在も5台所有している。これに加え、オートバイも1970~1990年代のモデルを7台保持。さらにバイク専用のガレージ兼ホビールームまで拵えるなど、夢のお城を築いているのだ。

「次男は、所有しているローバー・ミニに乗ってくれていますが、長男は長崎の離島にいるのでクルマの必要性がなく、原付バイクに乗っています(笑)」と、ちょっと寂し気だったが、それを吹き飛ばすくらい自身のカーライフを謳歌している中川さんご夫妻。
第2の人生を大好きなオープンカー、そしてかけがえのないパートナーとともに。愛車と一緒にふたりで撮った写真は、これからも“人生”のアルバムを彩っていくことだろう。

  • 取材場所:稲佐山公園(長崎県長崎市大浜町)
  • 許可を得て取材を行っています

(文: 櫛橋哲子 / 撮影: 西野キヨシ)
[GAZOO編集部]

MORIZO on the Road