新車で購入したスカイラインGT-R(BNR32)と自然体で付き合う愛車ライフ

  • GAZOO愛車取材会の会場である平城京朱雀門ひろばで取材した日産・スカイラインGT-R(BNR32)

    日産・スカイラインGT-R(BNR32)

スープラ、フェアレディZ、NSX、RX-7…1980年代から1990年代は国産スポーツカーの黄金期とも言われ、その時代の名車たちは、国内はもとより海外でも高い人気を誇っている。当然ながらこれから個体数が増えることはないため、現在では新車時以上の価格はあたりまえで、程度の良さやグレードなどによっては数千万円といった目が飛び出すほどの価格で取引されることもある。
海外では「新車で買えるスーパーカーは街乗りに使えるけど、希少な日本車は大切に屋内に飾っておく」なんて話も聞くほどだ。

しかしそんな価値観は、当時からこれらのクルマを所有しているオーナーにとっては、必ずしもおなじとは限らないようだ。1994年に弟と共同で日産スカイラインGT-R VスペックII(BNR32)を新車で購入したという『よしの』さんは、このクルマを「普通に扱っている」という。
「当時はディーラーでメカニックをしていて、下取りで入ってきた中古車を乗り継いでいたんですね。で『そろそろ自分が好きなクルマを買おうかなぁ』と考えとったんです。それを弟に話したらちょうど弟も買い替えを考えているということで、欲しいクルマのジャンルも一緒だったので、2人で気合い入れて買おうかと検討したんですわ。当時、自分が乗っていたのはカルディナで、弟はカローラレビン。この2台を売却して頭金にすれば、500万円くらいまでのクルマなら買えそうだということで、候補探しがはじまりました」
候補に挙がったのは、当時発売されたばかりだったJZA80型のトヨタ・スープラをはじめ、FD3S型のマツダ・RX-7、BMW・318i、ポルシェ・968クラブスポーツ、ランチア・デルタ インテグラーレ、中古のフェラーリ328で、スカイラインGT-Rは当初の候補には入っていなかったという。

「スープラは前型のJZA70のほうが好きだったし、ロードスターを所有していたので似ているFD3Sもパス、インテグラーレやポルシェはなんとなく壊れそうな不安があったし、318iは試乗してみたら思っていたほど速くなかった。というわけで、968クラブスポーツをと思ったんですけど、すでに年内分は販売終了ですと言われてしまい、いったん振り出しに戻りました。そこで改めて検討したところ、ちょうどその頃に開催されていた東京モーターショーでBCNR33型スカイラインGT-Rのプロトタイプが発表されたんです。気になって見に行ったら好みではなかったんですけど、その時に『そういえばBNR32があったな』と思い出してディーラーに行ってみたら、まだ買えますよということでした」
その日はカタログだけもらって帰ってきたものの、少し経ってからディーラーから『VスペックIIはまもなくオーダーストップになります』と連絡があり、購入を決断したという。

こうして「契約書にハンコを押すときはビビりましたね」という当時28歳のよしのさんと弟さんが、当初の予算からちょっぴり(!?)超えてしまった600万円オーバーで購入したのが、1994年式の日産・スカイラインGT-R VスペックII(BNR32)。
1989年にケンメリ以来のGT-Rとして登場したBNR32は、1990年に発売されたグループAホモロゲーションモデルの『GT-R NISMO』をはじめ、Vスペック、N1といった特別仕様車を送り出してきた。そして1994年2月に発売された『VスペックII』は、標準車と比べてブレーキの強化やサスペンションリセッティングなどが施され、BBSホイールに245/45R17というサイズのタイヤを純正装着していた。

この車両を選ぶ際にこだわったポイントのひとつが寒冷地仕様であるという点だそうで「当時の日産車はバッテリーが上がりやすいと聞いていて、大きなバッテリーが搭載されている寒冷地仕様を選んだんです。ドアミラーに熱線も入っているんですよ。ところが、寒冷地仕様にしたら車重が1.5トンを超えて重量税が高くなったという笑い話付きです」

「ボディカラーはワインレッドが欲しかったけど、目立つし色褪せなども気になるだろうなと。黒系は夜にトラックとかから見えにくくて寄ってこられたりすると怖いしなぁ、ということで、中期型から追加設定された目立つクリスタルホワイトに決めました。フロントリップも、ほんとは黒なんですが、ディーラーでボディ同色に塗ってもらったんですよ」

「納車されてすぐの頃は、弟とそれぞれ鍵を持って乗り合いしていましたね」というように、ドライブやサーキット走行など、最初の1年で1万5000kmくらいは走り回ったという。
同時に足まわりやエンジン制御系などのカスタムもおこない、フェラーリ・F40のステアリングを装着するなど、愛車ライフを謳歌していたよしのさんだったが「速さに慣れてきたのと、自分が年齢を重ねていくにつれて、徐々に楽しみ方は変わっていきましたね。長距離を走るのは楽チンだったので、そういう乗り方が増えていったかんじです」
現在は車高調とマフラー、それにBNR34型スカイラインGT-Rの純正ホイールを装着している程度で、そのほかは当時カスタムしていた部分も純正の状態に戻していっているという。

ボディやガラスには当時モノのステッカーが貼られていて、古くなったら新しいものに張り替え、剥がれてしまったものは車検証入れにはさんで保管している。
「ナビやオーディオもレビンから外して自分で付けた当時モノで、まだ生きてますよ。データは使いものにならないので他にポータブルナビをつけていますけど、CDやラジオを聴きながら走ってます。乗せてあるミニカーも当時モノですね」

ヤフオクで手に入れたというシガレットケースや、光るリヤスピーカーも当時を感じさせるアイテムだ。
ちなみに『弟と鍵を共有していた』という話には続きがあって「GT-Rって鍵も専用デザインなんですけど、スペアキーは普通のショボい鍵で(笑)。それだと悲しいねってことで、ディーラーに注文してもう1本作ったんですけど、そしたらBCNR33用のデザインの鍵が届いたんです」とのこと。今でもその鍵は大切に持ち続けているという。

時代が流れてプレミアムカーとしてもてはやされるようになった現在、昔となにか変わったことはあるのだろうかと尋ねてみた。
「そうですね、以前はシャッター付きのプレハブみたいなところに入れとったんですけど、それやったらシャッター壊されたら終わりなんで、マンションの地下に潜るような駐車場を近所で探して、今はそこに保管してます」と、価値が高まったからこそセキュリティ面では気を使うようになったそうだ。

そして、なんとこのBNR32の存在をご家族は知らないそうで「ファミリーカーとしてトヨタのエスクワイアを持っていて、たまに弟のゴルフGTiを借りたりすることもあります。あと、BNR32より前から所有しているロードスターに関しては、2人おる息子のうちの1人は知っていて、それに乗るためにマニュアル免許を取ろうと頑張っています」
ロードスターについては兵庫県で開催した出張取材会で取材させていただいたが、さらに少し前に手に入れたという日産・プレセアの存在も家族には知らせていないという。

新車から2桁ナンバーを維持し続けるよしのさんに、今後について伺ってみた。
「BNR32はみんなにすごく大事にしているねと言われるけど、普通に洗車機に突っ込んじゃうし、気を使うこともありません。リヤバンパーは焼けているし、ステッカーとかも気軽に貼っちゃうし(笑)。いい意味で普通なんだと思います。ここまでくると、長く一緒に過ごしてきた嫁や家族みたいなかんじですね。今後も欲しいクルマがあったら弟と相談して乗り換えるかもしれませんよ」

実際にR35型GT-Rや新型フェアレディZが販売された時には検討したし、GRカローラの抽選にも応募したけれど外れてしまったのだというよしのさん。
でも、この先どんなクルマが候補に挙がっても、なんだかんだと理由を作って却下してこのBNR32に乗り続けるのだろう。なんとなくだけれど、たぶん間違いない、そう感じた。

(文: 西本尚恵 / 撮影: 清水良太郎)

※許可を得て取材を行っています
取材場所:平城京朱雀門ひろば(奈良県奈良市二条大路南4-6-1)

[GAZOO編集部]

MORIZO on the Road