新車購入から31年。繰り返される四季の流れをホンダ・ビートと共に慈しむ

  • GAZOO愛車取材会の会場である秋吉台展望台で取材したホンダ・ビート バージョンZ(PP1)

    ホンダ・ビート バージョンZ(PP1)

今から31年前の1993年11月。オーナーである『コゲマル』さんの誕生日の3日後に、年齢と同じ数字のナンバープレートが付いたホンダビート バージョンZ(PP1)が納車された。

同時期に発売されたマツダ・AZ-1、スズキ・カプチーノとともに『ABCトリオ』として人気を集めた2シーターミッドシップのオープンスポーツカー、ビート。
なかでも800台限定のバージョンF、500台限定のバージョンCに続き、特別仕様車の第3弾として発表されたのがこのバージョンZである。
コゲマルさんが1番のお気に入りポイントだと言うボディカラーは、この特別仕様車のために追加設定された濃い緑色のエバーグレイドグリーン・メタリック。そのほかにもマッドガードやリヤスポイラー、インテリアもメーターパネルがブラックへと変更されるなど、標準車とは異なる装備が盛り込まれている。

まずは2人乗りでオープンカーという思い切りの良いクルマを、愛車として迎え入れたのは何故か?その理由を伺ってみた。

「うち、自営業なんですよ。隣がスバルの整備工場で、よく行くガソリンスタンドがスズキ車を売っちょって、トラックの車検を出していた整備工場がダイハツ取扱店じゃから、それ以外のメーカーの面白いクルマに乗りたいと思った結果、最終的に選んだのがホンダのビートでした」

ちなみに、お兄様がマツダに勤めていたため、当初はAZ-1が有力候補だったそうだ。諦めざるを得なかったのは、当時92kgと今よりもかなり恰幅が良かったため、ガルウィングのクルマに乗り込むのが一苦労だったからとのこと。

仕方がないと、お世話になっているホンダディーラーに足を運んだところ、営業マンが『うちは、ビートが登場したばかりですよ』と、笑顔でカタログを渡してきたそうだ。
それから31年…。コゲマルさんは、1度も車検を切らさずに乗り続けている。

「分厚いカタログのページをめくって写真を眺めちょると、人生で1度はオープンカーに乗ってみたい! というワクワクが抑え切れなくなったんです」

そして購入後、間違いなく自分の勘は当たっていたと確信したそうだ。物理的に見ると“屋根がない”というだけなのに、どこを走っても特別な道だと感じさせてくれるところが『オープンカーの魅力』だったと、得意気に教えてくれた。

そのため、春夏秋冬、季節を問わずにオープンにして走ってしまうので、冬でも肌が焼けているというのが“コゲ”マルというネーミングの由来らしい。

『一体どこに行っているの?』と、最初の頃はよく聞かれたが、31年間ずっと黒いので、今となっては元から地黒なのだと誤解されていると笑っていた。

夏はサンサンと降り注ぐ太陽に、磨きたてられたかのように輝く海面と潮の香りを感じながら、爽快なドライブを満喫。

そして、コゲマルさんが1番好きだと言う9月から10月の稲刈りシーズンは、芳ばしいような稲の匂いと湿った土の匂いが混濁した、何とも言えない匂いが好きなのだそうだ。

それから間髪を開けずの冬は、顔の表情が瞬間冷凍されてしまうのではないかというくらい肌に刺さる寒風を感じ、春は桜の花びらを舞い上げながら走っていくという、四季を存分に味わえる楽しみがあるのだと熱弁してくれた。

「車内に入った桜の花びらが濃い茶色に変色して、秋くらいにひょこっと見つかるんも、また一興なんですよ」
31回もビートと共に春を迎えてきたコゲマルさんらしい桜の楽しみ方に、なんだかほっこりしてしまう。
それに加えて、重ステだけどスッとよく切れるステアリングや、体の芯に響く低いエンジン音も、欠かすことのできないスパイスだと語ってくれた。また、自分の手や足を動かすように操作できるところも、このクルマに乗っていたいと思わせる理由だと言う。

「要は、ビートの運転席っちゅうんは、自分が自然体でおれる空間なんです。それくらい、身体に馴染んじょるんですよ。あとは、このクルマに詰まった想い出たち。なんといってもこれが宝物なんです」
そう言いつつ、大事に丁寧に話してくれたのは、クルマを運転するなんて想像もつかないほど小さかった子供達が、いつの間にか大人になっていたという大切な想い出話であった。

なかでも、娘さんを連れて“国宝 瑠璃光寺五重塔”の桜を見に行ったこと、そして桜を見た帰り道に『中学校になったらバンドを始めたい』と言う娘さんのために、中古のギターを買いに行ったのは忘れられない思い出だそうだ。

「私は“FLATBACKER”というヘヴィメタル・バンドが好きで、娘もその影響を受けたのか音楽好きに育って、今もライブハウスで演奏をしちょるんです。『お父さんがもっとええギターを持っちょるから使うか?』と聞くんですけど『コレがええ!』って、あの時買ったギターをずっと使うちょるんです。こんなに長く使うんじゃったら、もっとええのを買っちゃったら良かったなぁ〜なんて」

また、息子さんの高校時代の恩師がクルマ好きで、運転免許を取った記念にビートをオープンにしてドライブに行ったら、昔のコゲマルさんといい勝負の恰幅の良い先生のお尻がシートから抜けなくなってしまったこと。

大学時代の寮に持っていったスイフトのマフラー音が大きいと苦情が入り、スイフトの車検に時間がかかった時にビートを貸していたら、、今度は雨漏りが酷いと息子さんから苦情が入ってしまったことなど、さまざまな思い出話が溢れ出してくる。

「息子は24歳になったんですけど、それは僕がビートを購入した歳なんです。ビートを運転して走り去っていく後姿を見た時、そうか、そうなんか。あいつは大きくなったんじゃなぁ…と、寂しいような嬉しいような…とても感慨深い気持ちになりました」

その気持ちは、ホンダカーズへ車検に行った時にも、フッと心をよぎるそうだ。新車購入時に整備を担当してくれた人は、店長へと昇進。購入手続きをしてくれた受付の女性はしばらく見なかったが、最近戻ってきたそうで“ホンダ プリモ”の車検証入れを見るや否や、懐かしい! と笑顔になり、袋のところに入れていた当時の担当営業や整備スタッフの名刺を見て『みんな元気にしているかな?』と懐かしい話に花を咲かせたという。

「気が付けば、僕は31年間もプリモに通い続けちょるんやなぁ…と。時が経つのは、本当に早いんじゃなぁと思うんです」

一方のビートはと言うと、雨漏りなどは大したことではないと仮定して、大きな故障はエアコンやコンピューターくらいで『維持は比較的難しくない』と胸を張るコゲマルさん。

しかし、詳しく聞いてみるとエアコンは3年間連続して故障したそうで、流石に4年連続で故障したら心が折れそうだと、それから夏にエアコンは付けていないということだった。
「エアコンを付けなければ、一生壊れることはありませんからね(笑)」

なるほど。コゲマルさんは、愛車のトラブル対策として“エアコンをつけない”という、究極の選択をしたわけだ。
けれど、そこまでして乗りたいと思えるのは、ビートから抜け出せなくなってしまうくらいの強い中毒性があるからだという。だからこそ人生時間の半分も、共に時を過ごしているのであろう。

「走行距離は11万kmじゃから、1年換算するとあまり走っていない方なんです。だけど、この11万kmの濃度は、かなり濃いと思っています」

これからも、ゆっくり年月をかけて走行距離を伸ばしていきたいと話してくれたコゲマルさん。『次は息子が乗るようになるのでは?』という未来を思い浮かべるその表情は、嬉しい気持ちを隠しようもないほどにキラキラと輝いていた。

(文: 矢田部明子 / 撮影: 西野キヨシ)

許可を得て取材を行っています
取材場所:秋吉台展望台(山口県美祢市秋芳町秋吉秋吉台)
取材協力:美祢市観光協会/秋吉台観光交流センター

[GAZOO編集部]