子供の誕生とともに購入したパルサーエクサコンバーチブルと過ごしてきた40年
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日産・パルサーエクサコンバーチブル(HN12改)
日産初の量産FF車であったチェリーの後継モデルとして、1978年にデビューしたパルサー。その2代目となるN12型は、初代よりも絞ってはいるものの多様なボディバリエーションを有しており、中でも特に特徴的だったのが、エクサというサブネームが組み合わされた2ドアクーペの存在であろう。
欧州を意識したデザインを採用していたパルサーに対して、パルサーエクサは北米輸出を念頭に置いたモデルとして開発されており、小粒のスペシャリティクーペとして、その特異なスタイリングが特徴といえよう。
1980年代のカーデザインの流行りとも言えるリトラクタブルヘッドライトを採用したフロントマスク、低めに設定されたウエストライン、キャビンの部分に厚みを持たせたトランクのある3ボックス形状など、全体的に直線的でいわゆるカクカクしたフォルムとなっている。
そして、そんなパルサーエクサにはオープンモデルとなるコンバーチブルもラインナップされている。これは日産チェリー店の創立15周年を記念して企画されたもので、なんと100台限定という超少量生産車となる。
そんなパルサーエクサコンバーチブル(HN12改型)を、なんと新車で購入し、現在まで乗り続けているのが“Taka”さんだ。
「昭和60年にコンバーチブルが出ると新聞で見て、すぐに地元のチェリー店に行ったんですよ」
しかし前述の通り、販売されるのは日本全国でたったの100台だけ。当時はホンダがシティカブリオレをデビューさせ人気を博していたことから、オープンモデルへの関心が高まっていた時節。100台限定という希少性もあってパルサーエクサコンバーチブルの購入希望者はかなり多かったようで、抽選販売という手段がとられたという。
「無駄なことと思いつつ、毎日のようにディーラーに通い詰めましてね、担当営業の方に『コンバーチブルを手に入れたら、一生大切に所有したい』という思いを伝えていました(笑)」そんな熱意が天に届いたのか、Takaさんはパルサーエクサコンバーチブルのオーナーに選ばれたのだ。
そして、めでたくパルサーエクサコンバーチブルがTakaさんの下に納車された10日後、さらなる幸せがTakaさんに舞い降りる。
「長男が生まれたんですよ」
実はパルサーエクサコンバーチブルを購入しようと思った理由のひとつに「長男が生まれる記念になるっていうのもあったんです」というTakaさん。まさに狙い通り(?)、納車とほぼ同時にご長男が誕生することとなったのだ。そんなこともあって「いつか長男に引き継いでもらいたい」と、乗り始めた直後から考えていらっしゃったようだ。
「幌式のオープンカーだから、傷みやすい幌がダメになると乗れなくなると思ったもので、納車されてしばらくした時に、予備として純正部品の幌を買ったんですよ」
長く乗り続けようという思いがなければ、なかなか予備として幌を入手しようとは思わないであろう。まさにTakaさんの本気度を感じさせるエピソードと言えよう。
そんな予備の幌だが「まだ一度も交換したことはないので、新品のまま所有しています」とのこと。つまり、現在付いている幌はなんと“新車時のまま”なのである。
「寒い時期に開閉して、ビニールのスクリーンに亀裂が入ってしまっていますが…」とおっしゃる幌なのだが、スクリーンの亀裂以外はほとんど傷みを感じさせない状態を保っている。
幌同様に驚くべきコンディションを保っているのが、ボディの塗装。
赤色の塗装はかなりケアして乗っていても時間の経過と共に色褪せしてしまう場合が多く、美しい状態を保った赤いボディの旧車の場合は全塗装などの再生作業が行なわれていると考えるのが普通。ところが、Takaさんのパルサーエクサコンバーチブルは、塗装に関しても工場出荷時のままだという。
「純正塗装のままの赤ですよ。紫外線が良くないので、こういう陽の強い時は昔からできるだけ乗らないようにしていました」
“こういう”とTakaさんがおっしゃるのは、取材時の強い日差し。取材日当日は、6月ながらも真夏のような日差しが降り注ぐ晴天で、本来こういう日にはクルマに乗らないようにしているそうなのだ。
それほど大切にされて今に至るパルサーエクサコンバーチブルは、ご家族内でも「これは長男のためのクルマ」という共通の認識があるそうで、例えばパルサーエクサコンバーチブルでドライブに出かける時は「私が運転して、助手席が長男、後席に妻と娘が乗ります」という着席位置になるのだそう。
Takaさんご一家にとってパルサーエクサコンバーチブルは、ご長男のための特別なクルマなのだ。そんな特別なクルマが2020年に、ご長男の晴れの舞台を飾る計画が持ち上がったそうだ。
「長男が結婚することになりまして、パルサーエクサコンバーチブルをウエディングカーにすることになったんです」
ご長男の結婚式は4月29日。2011年にイギリスのウィリアム王子とキャサリン妃がご成婚されたのと同じ日でもある。
この式典では、アストンマーチンDB6 Mk2 ヴォランテがウエディングカーとして使われ、クルマ好きの間でも話題になったので、覚えていらっしゃる方もいるのではなかろうか?
「そのアストンマーチンを参考にしたデコレーションを施して、パルサーエクサコンバーチブルをウエディングカーに仕立てたんですよ」
そのデコレーションは、新婚を表す『JU5T WED』の文字が入る前後の英国式ナンバープレートや、英国で運転練習中(結婚生活練習中?)を意味するという、白地に赤いLの文字のプレートをマグネットプレートで製作した他、リボンやバルーンというウエディングカー必須のデコレーションを施す準備を整えたそうだ。
さらに、以前からやりたいと思っていたインテリアのカスタマイズも施したという。
ボディカラーの赤黒と合わせ、インテリアも同様の配色にしたいと考え、シートを赤と黒のレザーに張り替えるなど、まるで元からこの内装だったかのように美しく仕上げられているのだ。まさにウエディングカーに相応しい、華やかな内装に仕上がり、ご長男の結婚を祝福する準備が整ったのだが…。
「コロナ禍となってしまい、結婚式は延期となり、さらに最終的には中止になってしまったんです。その間に息子夫婦は子供を授かっていて、結婚式ができないままなんです」
(写真提供:ご本人さま)
そんな経緯で、ウエディングカー用のデコレーションは使われぬままとなっていたのだが「昨年、長女が結婚しまして、その式でついにウエディングカーとして使用できたんです」と笑顔を見せるTakaさん。
そしてこの時には、本来であればこのウエディングカー仕様のパルサーエクサコンバーチブルに乗るはずだった長男ご家族も記念撮影を行ったという。
「長男のために作ったウエディングカーなんで、それに乗って記念撮影ができて、やっと念願が叶いました」
新車で手に入れてから今年で丸40年。同い年となるご長男にいつか受け継いでもらおうと、大切に乗ってきたお陰で、時の流れをまったく感じさせないコンディションを保ち続けている。
走行距離はまだ4万5200km台。たった100台だけ生産された非常に希少な名車パルサーエクサコンバーチブルは、Takaさん親子によって後世に受け継がれていくに違いない。
(文: 坪内英樹 / 撮影: 平野 陽)
※許可を得て取材を行っています
取材場所:道の駅 恋人の聖地 うたづ臨海公園 (香川県綾歌郡宇多津町浜一番丁4)
[GAZOO編集部]
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