父から貰った素敵な想い出とアルテッツァ。走るごとに心に響く、あの日と同じ排気音
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トヨタ・アルテッツァ RS200 Zエディション(SXE10型)
これまで多くのクルマとオートバイを乗り継ぎ、いつも傍らに大好きな乗り物がある人生を送ってきた『ななまるうどん』さん。仕事の都合で県外に住んだ時期もあったが、今は地元の香川県へと戻り、奥様と仲睦まじい生活を送っていらっしゃる。
学生の時、人生最初のクルマとして購入したのが、スズキのジムニー(LJ20型)で、次もジムニー(SJ30型)に乗り換えた後は、ソアラ(GZ10型)、カローラ(KE70型)とトヨタ車を乗り継いだ。その後も続いた長い車歴は割愛させていただくが、基本的にはトヨタ車とスズキの軽自動車が多く、時には同時所有していたこともあるという。
全般的に言えるのは、年齢に対して少し古いクルマばかりで、ななまるうどんさんが新しさや実用性よりも、古き良き時代の機械っぽさを好んでいることが伝わってくる。
少し古めのトヨタ車を愛好するようになったキッカケは、同じく大のクルマ好きだったお父様の影響。物心ついた時にお父様が所有していたクルマが初代カリーナ(TA10型)で、後にななまるうどんさん自身も同じ型のカリーナを所有したことがあったそうだ。
「カリーナは自分が小学2年生くらいまであったと記憶しているんですが、父は10年に1回くらいのペースでクルマを買い替える人だったんですよね。それで実家のクルマがカリーナから70系後期のカローラに変わったんですけど、当時は大好きだったカリーナが急になくなっちゃたんで大泣きしたのを覚えています(笑)」
その後、運転免許取得の適齢期まで成長したななまるうどんさんは、お父様からAE70型カローラを借りて仮免の練習をさせてもらった。そうして、仮免練習を通じて愛着を覚えたこともあって、ごく最近まではそれと同じAE70型のカローラを愛車にしていたそうだ。
ちなみにニックネームの“ななまるうどん”は、カローラの70(ナナマル)と、香川県人のソウルフードに由来している。
「それから父は70の後にAE100型のカローラに乗り換えたんですけど、追突されてしまったりエアコンが故障したり、色々あったみたいですね。それで次のクルマを探し始めた父は、最初は黒塗りのクラウンが欲しかったそうなんですけど、母に分不相応だと猛反対されて諦めたみたいで(笑)。私は当時、実家から離れて暮らしていて、帰省した時に次のクルマは何が良いかと相談されました。それで勧めたのがアルテッツァ(SXE10型)だったんです」
当時57歳だったお父様にとって、アルテッツァは少し意表を突かれた提案だったようだ。VVT-i付きの通称Beams(ビームス)エンジンと呼ばれた3S-GE型直列4気筒を搭載した『RS200』は、自然吸気で210psを発揮するスポーティモデル。
希望するセダンという条件にも合致することから、すぐにお父様のハートにも火がつき、『じゃあトランスミッションは6速MTだ!』と、早速クルマ探しを始めたそうだ。
「当時は新車でも売っていたんですけど、父は倹約家だったので、結局3年落ちの中古車を購入しました。RS200のZエディションという少し装備が充実したグレードで、ステンレス製のABC(アクセル、ブレーキ、クラッチ)ペダルも標準装備されていました。父はクロノグラフのメーターだけは馴染めなかったようですけど、職場に乗っていくと若い同僚から『おじさんがスポーツカーに乗り換えた!』と大変驚かれたそうで(笑)。そのことをすごく嬉しそうに話していた父の姿は、今でもはっきり覚えています」
そんな風に息子から勧められて買ったアルテッツァに大満足していたお父さんだったが、60歳の時に癌が見つかって入院生活に入ることになったため、ななまるうどんさんが入院先までアルテッツァに乗って行き、窓越しに元気な愛車の姿を見せては、辛い療養生活を励ましていたという。
平成19年のお正月に一時帰宅すると、ななまるうどんさんを助手席に乗せ、アルテッツァのハンドルを握ったお父さん。それが一緒に出かけた最後のドライブとなり、その2週間後、62歳という若さで天国へと旅立たれた。
「それからアルテッツァはナンバーを一度返納して、ずっと実家に青空駐車で保管してありました。そうしているうちに、4年前に私が転勤を機に実家に戻ることになったんです。それでアルテッツァを復活させて、自分で乗ろうかなあと思い立ったんです」
アルテッツァはそれまで14年の間、太陽の光を浴び続けていたためボディのクリアは剥げた状態となり、エンジンも既に不動となっていた。
ひとまずは自力で敷地の外には出せるようにしようと、ななまるうどんさん自ら整備用のスキャンツールを使ってOBDⅡ(オンボードダイアグノーシス)の情報を読み取り、燃料ポンプの不良と判断。新品の燃料ポンプに交換すると、エンジンを始動させることに成功した。
そこからは、馴染みの整備工場で鈑金塗装とメンテナンス、車検を依頼して、約半年の期間をかけて見事に復活!
フロントグリル等はまだ部品供給されていると聞き、費用もそれなりに掛かってしまうためかなり悩んだそうだが、せっかくならばと、新しくできる部分は新しくしていったそうだ。
エンジンのタイミングベルトやマウント類、サスペンションのブッシュ類も交換するなど、機関系もリフレッシュ。最近になって、パワーステアリングの関係パーツとラジエターの交換も済ませたそうだ。ちなみに『トヨタ』のロゴが入ったオイルフィラーキャップは、以前乗っていたAE70カローラから移植したものである。
「公道復帰してから4年経ちますが、今は通勤の足として毎日元気にうどん県を走り回っています(笑)。実際、うどんの食べ歩きも大好きなので、妻と一緒にアルテッツァで出掛けることも多いんですよ」
「FRのコンパクトセダンは、もともと好きなパッケージングではあるんですけど、こうしてあらためて自分のクルマとして乗ってみると、思いのままに操れる快感やバランスの取れた嫌味のないデザインが良いですね。父との想い出が残るクルマでもあるので、フルノーマルのまま、可能な限りがんばって現状維持に努めていきたいと思っています」
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(写真提供:ご本人さま)
お父様が入院していた時は、病室からアルテッツァのエンジン音を響かせながらななまるうどんさんがやって来るのを、いつも楽しみにしていたそうだ。
「気がついたら、私もアルテッツァを購入した時の父と似たような年齢になりました。これまでを振り返ると、なんとなく父のやってきたことを真似してきたような気もしますね。父は生きていたら80歳。もっとたくさんクルマに乗りたかったと思いますけど、その想いを受け継いで、私も後悔のない楽しいカーライフを送っていきたいと思います!」
決して湿っぽいムードにならないよう、時にユーモアを交えながら、大好きなクルマと歩んできた半生を楽しそうに語ってくれたななまるうどんさん。
心から家族とクルマ、そしてうどんも愛する生粋の讃岐人であった。
(文: 小林秀雄 / 撮影: 西野キヨシ)
※許可を得て取材を行っています
取材場所:道の駅 恋人の聖地 うたづ臨海公園 (香川県綾歌郡宇多津町浜一番丁4)
[GAZOO編集部]
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