“代車”として借りただけのつもりが、今では二度と手放せない宝物へと昇華したホンダ・ビート

  • GAZOO愛車取材会の会場である『米子駅前だんだん広場』で取材したホンダ・ビート(PP1型)

    ホンダ・ビート(PP1型)


1980年代末のF1ブームに影響を受け、スポーツタイプのクルマに憧れを抱くようになったという、岡山県在住の『こうめてるぞう』さん。
運転免許を取得して最初に選んだ愛車は、ホンダが誇る初のVTECエンジン搭載車、2代目インテグラ(DA6型)だった。
高回転域まで一気に吹け上がる爽快なフィーリングには大いに満足していたが、その一方で気になる存在となっていたのが『ミッドシップ・アミューズメント』という大胆なコンセプトで登場したビート(PP1型)であった。

「インテグラを買った翌年くらいにビートが発売されたんです。当時の雑誌でもよく特集で取り上げられていて、私も街角で見かけるたびに『いいなぁ、カワイイな』と思っていました。とはいえ、インテグラを手放してまで乗り換える気にはなれなかったんです」

それから時は流れ、社会人としてキャリアを重ねて家庭を持ち、子供も授かるなど、こうめてるぞうさんのクルマ選びはおのずと実用性を重視したファミリータイプのクルマへとシフト。そんな生活環境の変化と共に、趣味性の高いクルマとはすっかり疎遠となりつつあったそうだが、ある時、思わぬ変化が訪れる。

「6年ほど前の話になりますが、当時は家族用のメインカーはセレナで、チョイ乗り用としてバモスという2台体制でした。そんな中、バモスのエンジンが不調になったので、整備や修理など、クルマいじりを趣味としている友人に診てもらうことになったんです。すると『修理にしばらく時間がかかるから、とりあえず今日は代車で帰ってもらえる?』と言われました。その代車とは、友人の愛車であるビートのバージョンZモデル。みんカラを通じて知り合って10年以上の付き合いで、工房の敷地内には常にビートが複数台ストックされていることは以前から知ってはいたけど、まさか代車でビートに乗る機会が巡ってくるとは!」

最初はピュアでダイレクトなビートの運転に少々戸惑いつつも、それもすぐに慣れ、バイクのようなレスポンスのエンジンとオープンエアがもたらす爽快さに、忘れかけていたスポーツカーへの情熱が呼び覚まされたという。
その翌年にも再び2週間ほどビートを借りる機会があり、暇を見つけてはドライブへと出掛けて行くうちに『いつか自分の愛車に…』との想いが芽生えた。さらに数ヵ月後の夏、こうめてるぞうさんに大きな決断を促す出来事が起こる。

「例の友人から『以前、知り合いに世話をしたビートが手元に戻ってきたけど、置き場が無くて困っているので、車検が残っている間だけでも乗っててくれないか?』との連絡があったんです。もちろん二つ返事でOK! またもやビートに乗れると思うだけでテンションが上がりました」

「それと同時に、嫁さんにはこれまでビートを借りてくる度に『やっぱ、いいよね〜。欲しくなるね〜』と、遠回しのアピールを続けてきましたが、思い切って『これも何かの巡り合わせだから、このクルマ、ウチで買い取らない?』と切り出しました。しかし、結果は完敗。“ウチにはセレナとバモス、それに私(奥様)のハスラーと、クルマ3台も持ってるやん。そんな余裕、どこにあるの?”と、まったくの正論で論破されてしまいました(笑)」

結局、意を決して挑んだ正面突破作戦はあえなく失敗に終わったものの、ビートへの想いを諦めることができなかったこうめてるぞうさん。とりあえず参考までにと『もし買うとしたらいくらだった?』と友人に尋ねたところ『車体の状態が結構良いので、相場よりちょっと高めになるだろうね』との返事。こうして、こうめてるぞうさんのビート購入計画は未完のまま幕を下ろすことになった…かのように思われた。
しかしその1年後、友人からまさかの連絡が飛び込んでくる。

「『今まで何度も乗ってくれていたし、そんなにビートが好きならあげるわ』という冗談みたいな話でした。嫁さんに言っても最初は信じてもらえませんでしたが、どうにか説得に成功。そこからユーザー車検を受けて名義変更などの手続きを行い、2024年の4月にめでたく私の愛車として迎え入れることができました。ただ、以前に嫁さんからクギを刺された通り、置き場所の確保や付帯費用などを考えると4台所有はさすがに厳しいので、バモスと物々交換することになりました」

こうして、まさかの条件で憧れのビートを手に入れたこうめてるぞうさん。機関部分のメンテナンスは引き続き友人に依頼しているが、できることは自分でと色褪せていたワイパーブレードを缶スプレーで塗り直した他、ビートの特徴的な装備である2DINのスカイサウンドオーディオシステムを旧式のカセットデッキ版から、2014年にビート発売20周年を記念して3500台限定で発売されたUSB対応モデルに交換した。

その他、レカロ製シートの装着やMR-S用ウインドディフレクターの流用に加え、ダッシュボードにはフロントガラスへの映り込みを抑制するマットを自作した。
行動範囲は大きく広がり、鳥取、神戸の他、四国や九州まで足を伸ばし、昨年11月には琵琶湖博物館で行われた『ビートパラダイス』にも参加したそうだ。

イベント会場では、日頃からSNS上でやり取りをしていた各地の仲間とも実際に顔を合わせて親睦を深めたという。
ちなみに、こうめてるぞうさんにとってビートはオープンで走るのが基本スタイルで、通勤時間は片道5分程度ながら、天気の良い帰り道はごく当たり前のようにルーフの固定解除レバーに手が伸びてしまうのだとか。

「このクルマには、二人の娘も喜んで助手席に乗ってくれるし、共通の好きなアーティストである『緑黄色社会』のコンサート会場までビートで行ったこともあるんですよ。ただ、オープンにして走ることについては、あまり共感が得られていないのが悩みといえば悩みですかネ(笑)」

「今までは雨の日にはセレナを使っていたけど、この春から長男が転勤先に持っていくことになったので、私のメインカーはコレだけになりました。だから雨が降っても普通に通勤でも使っています。Aピラーの付け根辺りから多少の雨漏りはしていますが、まぁそれも含めて覚悟の上で手に入れたので、すべて許容範囲内です」

名義変更前に預かっていた期間を含め、赤いビートが手元にやってきてから2年の時間が過ぎようとしているが、いまだに乗り込む時にはワクワクした気持ちになれるという。ほとんど毎日使用されているにも関わらず内外装は隅々まで美観が保たれるなど、日頃から愛情が注がれ続けてきたクルマであることが伝わってくる。
笑顔でドライバーズシートに収まる光景を眺めていると、そのキーを無償で託した友人の心情が理解できるような気がした。

「走行距離は年間1万kmペースと、この手のクルマにしては走っている方だと思います。私が元気な限りはまだまだ乗り続けますし、万一、手放す時には友人の元に謹んでお返しするつもりです。その点については嫁さんも同じ意見です。この年齢でビートに乗る機会を与えてくれた友人、そして私のワガママを許してくれた嫁さんに、本当に感謝しているんですヨ!」

ビートを見つめながら、無邪気な少年のような笑顔で語るこうめてるぞうさん。その瞬間は、まさに“少年こうめてるぞう君”に戻っていたかのようだった。

(文: 高橋陽介 / 撮影: 稲田浩章)

※許可を得て取材を行っています
取材場所:米子駅前だんだん広場(鳥取県米子市弥生町2-20)

[GAZOO編集部]