【素敵なカーライフレシピ #10】クルマは移動のための足。畑との往復にプリウスとまだまだ走り続けます!

今回ご紹介する、群馬県前橋市に在住の山口祐三さんは、2004(平成16)年3月に定年を迎えて約35年の公務員生活にピリオドを打ち、その後はのんびりとした生活を送っています。
現在の生活の中心は、数年前に習い始めたウクレレの練習と畑の手入れ。愛車の2代目プリウスを生活の相棒に、日常の買い物やウクレレ教室通いのほか、自宅からこの畑との往復をメインに使用しています。

もともと在職中の頃から、日曜大工のほか、生け垣の手入れを行うなど、暇を見ては好きで土まみれの作業をしていた山口さん、いつしか野菜を育ててみたいという思いにかられ、2009(平成21)年に自宅から7キロほど離れた畑を借りてしまったほどの趣味にまで発展。
それほど大きな面積ではありませんが、年間6000円の使用料を払い、玉ねぎにキャベツ、白菜にねぎ、ピーマンなど、四季に応じて様々な季節野菜を育てています。

今日(取材日は2021年3月15日)も畑の手入れに出かけるということで、同行取材させてもらいました。
作業着(と帽子)に身を包み、プリウスの後部トランクに載せている鍬(くわ)や鎌(かま)などの作業用具に不足はないかを確認して出発です。

前橋市といっても自宅は市街地から離れた場所にあり、お隣りの伊勢崎市在住といっても差し支えないほど前橋の端っこ。いまから向かう畑も前橋の端のほうですから、自宅から畑までは前橋と伊勢崎の境界線沿いを走るようなもので、行く途中に目に入るのは畑や田んぼばかりです。

畑に着いて行う準備といえば、せいぜい跪(ひざまず)いて作業するための膝あてとマスクをはめるくらい。マスクはコロナ禍とは無関係に、ふだんから装用しています。土埃のほか、いまの時季なら花粉を吸い込まないようにするためです。

さて、野菜の栽培など、種を蒔いて水をやったらあとは時間任せだろうと、農作業知識の疎い筆者は思っていたのですが、種を蒔く前の作業があります。
「まず周囲の雑草を取り除く。次に肥料を蒔いて種を蒔く。そのあと耕すのですが、それもただ鍬で耕すのではなく、土の上下を入れ替えるようにして耕していくのです。」

この畑は、榛名山、妙義山と並ぶ上毛三山のうちのひとつ、赤城山のふもとに位置しています。畑の北側に目をやれば大きな赤城山がそびえ立っており、その様は、農作業に勤しむひとびとを、まるで赤城山が両腕を広げたような大きな裾野でやさしく包んで見守ってくれているかのようです。

「この景色は好きなのですが、ここは標高の高い山地ではなく、市街地と地続きな場所ですから夏は相当暑い。真夏の作業は汗だくになりますが、そんな中で育て上げて収穫した野菜の味は格別ですよ。」

取材当日は、前々日までの大雨がうそだったかのように真っ青な大空が広がり、この畑から赤城の山頂はもちろんのこと、榛名山や妙義山の稜線までもがくっきり見渡せたほどの晴れやかな日でしたが、群馬県名物・からっ風が吹き荒れる天候でもありました。
同行のカメラマンも「ひやあ、すっごい風!」と驚いていましたが、「いやいや、今日の風はまだ弱い方ですよ。本来なら今日の2倍から3倍くらいじゃないかな。これでもこの30年の間にからっ風も穏やかになったような気がします。」と山口さんは語ります。

・・・という具合に晴耕雨読に励む山口さんの現在の愛車は、前述したように2代目のトヨタプリウス(NHW20型)。2008(平成20)年3月の納車ですから、使い始めてからちょうど13年経ちます。

山口さんは、「クルマは走ればそれでいい」という考えの持ち主なだけに、ハイブリッドだからと特別な気構えはなく乗り続けているようです。車両の内外に手を入れるといったことなどにもまったく興味なし。だから後ろの荷室には、何のためらいもなく農作業道具を放り込みます。
床面に敷いたブルーシートの上には鍬に鎌、肥料の入った袋に手袋や帽子が転がっているばかりです。おやおや、よく見ると荷室壁面やバックドア内張りに土や砂もちらほら・・・。

「昔はいろいろやっていましたが、いまは洗車にワックスがけ、車内は掃除機をかけるくらいですかね。いまでは買い物や畑との往復といった使い方がほとんどで、農作業具も荷室に積みっぱなしで乗っています。」

山口さんは、生まれ育った北海道の函館市から、公務員試験に受かった群馬県に出てきた1966(昭和41)年に、ひとまず免許だけ取得しました。モータリゼーション(自動車大衆化)の時代だったのと、そもそも「群馬県は公共交通機関が未発達ゆえ、運転免許取得とクルマの所有がセットで必須だった(山口さん)」のです。

免許を取って数年後、最初に買ったのは中古のマツダファミリア。すぐに大きな故障を起こしたため、中古のホンダN360を入手しました。以降、「特に理由もなく、たまたま(同)」2台、N360が連続します。

「1977(昭和52)年8月の長女の出産で妻が先に長男と飛行機で北海道に里帰りしたとき、私は仕事の都合であとからひとり、2台目のNッコロで東北自動車道を向かいました。当時は東北自動車道がまだ宮城県の古川ICまでしかなく、そこから青函連絡船に乗る青森まで、一般道で10時間かけて走ったのは思い出ですね。」

長女が生まれた直後に購入し、昭和61年まで乗ったのが中古のダットサンサニー1200(3代目・B210型)です。
「クルマのクーラーがまだ一般的でない時代でしたから、真夏の東北道で北海道に向かうときには窓を4つ開けて、室内に響く風の音の中で『死ぬときは全員一緒だぞォ~』と物騒なことを大声で叫びながら運転したものです」と笑います。

昭和61年3月、4年落ちの中古で買った、同じ日産のオースターJX(2代目・T11型)に乗り換えます。このクルマでいよいよエアコン付きとなりました。

「家族全員で『おー、ひとんちのクルマに乗っているみたいだ』『タクシーみたいだ』と感嘆の声を挙げました。みんな自分の家のクルマで真夏に窓を閉め切って走ることが新鮮だったのです。」
ただしこのオースターは故障が多く、これ以上お金がかかるならと、山口さんにとって初となる新車購入を思い切って決意したのでした。

初の新車だけに慎重に話を進めながら決めたのは、大きな値引きをしてくれたトヨタコロナ1500(9代目・AT170型)の特別仕様車「セレクトサルーンG」。1991(平成3)年3月のことです。

このコロナは1991年3月から2004(平成16)年3月までのきっかり13年間、その間に運転免許を取得した長男が乗り回したこともあって16万キロ強走りましたが、ただの一度も故障しなかったことについて「なんだかんだいってもやっぱりクルマはトヨタだな」と思ったといいます。
だからいまのプリウスになったのかと思いきや、実は山口さん、それまでとはまったく異なるジャンルのクルマにいったん寄り道します。

それは3代目のホンダオデッセイ(RB型)。
山口さんは一時期、長旅を思い、ワンボックス車に関心を寄せていたのですが、全高や座る位置がセダンより高いことにためらっていました。それだけに、2003年、いわゆるミニバンなのに低全高を謳って出てきた3代目オデッセイは、山口さんが次のクルマと決めるにふさわしいターゲットととなったのです。
翌2004年3月、定年退職のタイミングで、山口家の車庫にこのオデッセイが収まります。

ただし維持費が想像以上なものになりそう(燃費がリッター6~8キロ)だったことから予定外に入れ替えの検討を開始、2008(平成20)年3月、オデッセイを売却した金額+アルファで手に入れたのが現在のプリウスです。

重視したのは値段と燃費。
「試しで長男が1泊2日で借りてきたトヨタレンタカーのプリウスにみんなで乗ってちょっと遠出したところ、大して丁寧に走ったわけでもないのに、カタログ燃費を超える29.8km/Lだったことが購入の決め手になりました。」
レンタカーのプリウスは2代目の前期型でしたが、手に入れたのは2008年3月ですから後期型の新車。プリウス誕生10周年記念の特別仕様車です。

「サイズはオデッセイより小さくなって以前のコロナとほぼ同じになり、運転しやすくなりました。大きすぎず小さすぎずのジャストサイズで、特に畑の真ん前に行くまでの狭い道に入るときなどは、クルマが一緒に寄り添ってくれている感じがするのがいいですね。」

唯一の不満は、ハイブリッドだからと期待してしまいがちな燃費。
「前はリッター20キロ弱あたりで、いまは16キロくらいかな。レンタカーのプリウスや、このプリウスのカタログ燃費には至らないですね。あのときもいまでも長男に『話がちがう』と文句をいっては『知らん。そんなのトヨタに聞いてくれ』と返されるというヘンな会話を繰り返しています。まあ、いまは短距離走行の繰り返しだから仕方ないかなと思いますけどね。」

もっとも、プリウスになっていきなりぐっと走行距離が減ったわけではありません。
「2011年の東日本大震災の1年後だったかな、高速道路の料金が1000円だったひと時期がありましたが、そのときに妻と東北に行ってきました。東北にお金を落とそうという話になりましてね。」

「むかし北海道に行くときは、東北道に乗っては途中で降りて観光しながら向かったのですが、子どもたちが小さかったあの頃のことを思い出しながらまわった被災地の旅でした。まだ復興作業の途中ではありましたが、たった1年で、テレビで見たあの惨状からよくぞここまで整えたものだと驚きましたね。」

いまでは長距離を走る機会もめっきり減り、ほとんど買い物や畑との往復に徹しているほか、遠出といえば、かつての仕事仲間と伊香保温泉に泊まりで出かける程度。山口さんにとってクルマは・・・このプリウスは、本当に生活のお供の足でしかないのです。

「本業で野菜を作っている人なら軽トラックでなければならないのでしょうが、こちらは趣味レベルの畑作業ですからね、作業具と肥料、収穫した野菜などが入れられるトランクスペースがあればプリウスで充分用が足りる」

「よくクルマのことを足代わりといいますが、群馬県のことですから、もしこのプリウスがなければ買い物もこの畑との往復もできなくなって、日常生活がかなり窮屈になるでしょう。なくては困るクルマです。朝起きて窓から庭を眺めたとき、いつでも出かけられるように車庫でスタンバイしているかのようなプリウスを見ると愛おしくなります。」

いまでは日常の足使いが主体ゆえ、2008年3月の納車からちょうど13年経過しながらも、積算距離計はわずか5万9400キロほどを刻んでいるに過ぎません。同じ「13年」でも16万キロ超のコロナのときとはえらい違いです。

だからといってクルマを使いっぱなしにしているわけではなく、前述したように定期的に洗車もしているのと、屋根付き車庫であることもあり、シルバーメタリックの輝きも新車時並みに保たれています。
「まだまだ快調だし、手放す気はありません。息子が『次のクルマは?』といっていましたが、そろそろ免許の返上を考えなければならない頃だと思っているので、このプリウスが最後のクルマになると思います。」

そうはいっても、手慣れた農作業の様子を見れば楽しそうで、野菜づくりはまだまだ当分続けそうな気配。だからこそ山口家にやってきて13年が経つプリウスも、これからも山口さんと走り続けていくのでしょう、日常生活の相棒として。

(文=山口尚志/写真=中野幸次)

[ガズー編集部]

愛車広場トップ