ホンダスピリットが注入された元祖VTECエンジン『B16A』・・・記憶に残る名エンジン

  • ホンダ・B16A型エンジン(1595cc直列4気筒DOHC)

    ホンダ・B16A型エンジン(1595cc直列4気筒DOHC)

ホンダエンジンを象徴する機構である可変バルブタイミング・リフト機構の『VTEC』。VTECを初めて搭載したのが1989年4月に登場した2代目インテグラだ。搭載エンジンは1595cc直列4気筒DOHCのB16A型。

自動車メーカーがハイパワー競争を繰り広げ、大排気量のターボエンジンに注目が集まる中、ホンダは小排気量のNAエンジンでリッター100馬力を達成。これを実現したエンジニアたちのスピリットは現在も受け継がれている。

エンジン開発からスタートしたホンダの歴史

エンジン屋――ホンダを紹介する際、このように表現することも多い。日本を代表する経営者であり、稀代のエンジニア・発明家でもあった本田宗一郎氏は、自転車が庶民の移動手段だった1946年に、遠くまで自転車で買い物に行く妻が楽になるだろうと自転車用補助用エンジンを開発。

これは旧陸軍が放出した無線機の発電用エンジンをベースにしたものだったと言うが、注文が殺到し500基あった在庫がなくなると、本田宗一郎氏は自社製エンジンの開発に着手。そして1947年にホンダ初のA型エンジンが完成し、すぐに量産に入った。

燃料タンクはティアドロップ型。なんとこれはアルミ製の湯たんぽからヒントを得たという。ちなみにこの湯たんぽを生産していたのは遠州軽合金(現・エンケイ)だった。

  • ホンダ S500(1963年)

    ホンダ S500(1963年)

ホンダは1954年には当時の2輪最高峰レースだったマン島TTレースへの出場を宣言し、1959年に初出場を果たす。そして1961年にマン島TTレースで初優勝。なんと125ccと250ccクラスで1位から5位を独占するという快挙を果たした。エンジン屋・ホンダの名を世界に知らしめた。
そして1964年にはフォーミュラ1に初出場。第一期ホンダF1がスタートした。

四輪車に目を向けると、ホンダは1963年に軽トラックのT360を発売し、四輪業界に進出した。しかしその前年、ホンダは2シーターオープンスポーツモデルであるS360を一般公開している。残念ながらS360は販売されることはなかったが、T360が発売されたすぐ後に531ccの直4DOHCを搭載したS500が発売された。

高回転型のホンダエンジン

ホンダ製エンジンの特徴として思い浮かぶのが、高回転まで気持ちよく回ることだ。T360に搭載されたエンジンは8,500回転で最高出力30psを発揮。
同時期に発売されていた軽自動車を見ると、スバル 360の最高出力が16ps/ 4,500rpm、マツダ R360クーペの最高出力が16ps/5,300rpmだったから、ホンダのエンジンがいかに高回転型で、しかも高出力だったかがわかるはずだ。

NAエンジンを高回転まで回して走るのはなんとも言えない気持ちよさがあるが、一方で高回転型エンジンには弱点もある。それはパワーバンドが高回転域になるため、発進時や街なかなど低回転域を使うシーンで満足なトルクを得られないというもの。

それゆえに他メーカーでは高回転型エンジンが出てこなかったが、ホンダはエンジン屋ならではの高い技術力と発想で弱点を克服していくことになる。

VTEC誕生の逸話と背景

  • CBR400F(1983年)

    CBR400F(1983年)

1980年代にホンダは新時代のエンジン開発プロジェクトを立ち上げた。当時のエンジニアがこれまでにないまったく新しいアイデアを閃いた逸話が残っている。

エンジニアが仕事帰りに焼き鳥屋で酒を飲んでいる時、職人が炭の上で焼き鳥を回しながら焼いていると、肉は回転に合わせて回るのに串にゆるく刺さっているネギは串を回しても回らない様子を見て可変バルブという発想が浮かんだというものだ。

VTECの開発に携わったエンジニアが「ちょっと都市伝説的な話」と言っているので(VTECとHondaエンジンの30年Vol.2 『VTEC誕生秘話と「これから」』より)真相は不明だが、いかにもホンダらしいエピソードとして多くのファンが語り継いでいる。

1983年に発売された2輪のCBR400Fは、エンジンの回転数に応じて高回転域では4バル ブ、低・中回転域では2バルブに作動バルブ数が変化するREV機構を搭載した。最高出力は58ps/12,300rpm、最大トルク3.6kg-m/11,000rpmという超高回転型エンジンでありながら優れた燃費性能も両立した画期的なものだった。

そしてホンダは1984年からVTECエンジンの開発に着手する。プロジェクトがスタートした時は1.6Lエンジンで140psを目標に掲げたが、当時の本田技術研究所の社長・川本信彦氏の「どうせやるなら100馬力だ」という言葉で、リッター100馬力に目標が修正されたという。

1980年代中盤はターボモデルが全盛期を迎えていて、日本車メーカーによるハイパワー競争がスタートしていた。だが当時のホンダはターボではなくNAエンジンで気持ちいい走りを実現する道を選んだ。「どうせやるなら100馬力だ」という言葉からは、エンジン屋としての意地が伝わってくる。

ホンダエンジンの魅力は高回転型であること。だが前述したように、低回転域では満足なトルクが得られない。小排気量エンジンはとくにこの傾向が強くなる。VTECは高回転用と低回転用という2種類のカムを使い分け、スポーツ性能と日常域での扱いやすさや経済性を両立させる画期的な技術だった。

NAでリッター100馬力という前人未到の領域に到達

ただ、開発にはいくつもの障壁があったという。もっとも大きかったのはエンジンにかかる負荷の解消だった。これまでにない複雑な機構を備えるVTECで高回転まで回すと高負荷によってエンジンに不具合が生じる。それを解消すると別の部分に不具合が生じる……。VTEC開発はトライアンドエラーの連続だったという。

しかしエンジン屋のエンジニアたちは新素材を使ったり新しい部品を開発したりして問題を一つずつ解決。そして1989年4月に登場した2代目インテグラに世界初の1.6L VTECエンジン・B16Aを搭載したXSiとRSiを設定。最高出力は160ps/7600rpm。目標だったNAでリッター100馬力を達成してみせたのだ。

低いボンネットによるスポーティで洗練されたスタイル、4輪ダブルウイッシュボーンサスペンションによる安定感のある乗り心地、そして高回転までパワフルに気持ちよく回るVTEC……。マイケル・J・フォックスが出演した「カッコインテグラ」というCMも人気になりインテグラは大ヒットした。

そしてホンダのF1での活躍も相まって、VTECは走り好きの人の憧れのエンジンとなった。

B16A型エンジンは、1989年9月には2代目CR-X(サイバーCR-X)と4代目シビック(グランドシビック/EF)に搭載。ボディサイドに貼られる“DOHC VTEC”のデカールに一目を置いたものだ。1991年9月に登場した5代目シビック(スポーツシビック/EG)のSiR系には最高出力が170psに高められたB16Aが搭載された。

VTECの拡張、そしてタイプRの礎となったB16A

1990年代以降、ホンダはVTECのバリエーションを広げていく。1990年9月に登場したNSXには3L V6 DOHC VTECを搭載。他メーカーが大排気量のターボモデルで280psを目指したのに対し、ホンダはNAエンジンで280psを達成した。

EG系シビックにはB16Aのほか、燃費に振ったリーンバーン使用のVTEC-Eや、吸気のみ可変する1.5L VTECをラインナップした。1995年10月に登場した6代目シビック(ミラクルシビック/EK系)には低回転域、中回転域、高回転域でバルブタイミングとリフト量をコントロールする『3ステージVTEC』が搭載された。

そしてホンダと言えば、タイプRだ。1992年11月にNSXタイプRが登場。1995年10月にはインテグラタイプR、1997年8月にはシビックタイプがラインナップされた。
リッター100馬力を軽く超えるタイプR専用エンジンは、モータースポーツで培った精度の高いパーツ設計に加え、VTECの技術が欠かせないのは言うまでもない。

大排気量ターボ車が豪快に加速していくのに対し、タイプRは精密機械のように緻密な動きをするイメージだ。乗り手の技術も求められた。1997年に登場した初代シビックタイプRに搭載されたB16B型エンジンは、B16A型をベースに開発された。

2015年12月に発売されたFK2型シビックタイプRは、歴代タイプRで初めてターボエンジンを搭載した。だがターボになってもホンダがVTECの魅力である“高回転・高出力”にこだわったことが伝わってくる。そして高回転まで気持ちよくエンジンを回すNAエンジンの楽しさにも改めて気付かされた。

このようなホンダ独自の世界観を築き上げる礎となったのがB16Aだったのだ。

<参考>
VTECとHondaエンジンの30年Vol.2 『VTEC誕生秘話と「これから」

(文/高橋 満<BRIDGE MAN> 写真:本田技研工業)