「まるでワープ」な首都高の中央環状(C2)品川線が体現した、道路四公団の民営化のメリットとは?・・・歴史で紐解く高速道路

2005年に道路四公団(日本道路公団、首都高速道路公団、阪神高速道路公団、本州四国連絡橋公団)が民営化されてから、間もなく20年になる。侃々諤々の激しい議論が戦わされた末の民営化だったが、何かメリットはあったのだろうか。

ユーザーからは、「SA/PA(サービスエリア/パーキングエリア)の食事がおいしくなったり、トイレがきれいになったりした」という意見が出るだろう。というより、それ以外には目に見えるわかりやすい成果はない。そもそも、民営化されたという認識すら希薄で、現在でも「道路公団」と呼ぶ人は少なくない。

  • 新東名の駿河湾沼津SA(下り)

    新東名の駿河湾沼津SAは上下線ともに駿河湾が見渡せたり、食事やお土産も豊富で人気のサービスエリア(写真は下り)

道路公団民営化以前から始まっていたSA/PAのサービス向上

確かに民営化後、SA/PAは爛熟時代を迎えた。しかしSA/PAの改革は、実は民営化前から始まっていた。
1998年、猪瀬直樹氏(現参議院議員)の特殊法人批判をきっかけに、SA/PAを運営していた(財)道路施設協会が2分割されることになった。当時、高速道路のSA/PAはあまり評判が良くなく、現在のようなSA/PAグルメなど存在しなかった。

(財)道路施設協会は、1965年、名神高速道路の全線開通の翌年、SA/PAでのサービスを統括するために設立された。当時はSA/PAのサービス提供ノウハウなどどこにも存在しなかったので、レストランのメニューなど全国一律の規則を設けて運営した。黎明期には必要な組織だったと言える。

ただ、カレーのレシピまで内規で決められており、それ以外のカレーは提供してはならないといった前例踏襲を続けた結果、組織は徐々に腐敗し、建設省→日本道路公団という系列の末端に存在する、単なる天下り団体に堕落していた。

そこで亀井静香建設大臣(当時)が、道路局長(道路官僚のトップ)に「あれを2分割しろ」と命令した。結果、(財)道路施設協会は、道路サービス機構とハイウェイ交流センターという2つの団体に分割され、隣同士のサービスエリアで競争になるよう、交互に配置されたのである。

これは劇的な効果をもたらした。天下り団体が2分割されただけにもかかわらず、隣のサービスエリアとの競争原理が導入されたことで、カレーのレシピ等の縛りは撤廃され、SA/PAは急速に魅力的になっていった。

その7年後、日本道路公団は分割民営化されNEXCOとなった。NEXCOにとってSA/PAは、サービスの向上で収益アップが望める貴重な事業。経営努力により、ますますSA/PAが元気になった……という流れである。逆に言えば、民営化されていなくても、SA/PAのサービスはある程度向上していたはずだ。

  • 首都高速中央環状線のマップ

    首都高速中央環状線のマップ(引用:首都高速道路(株)中央環状品川線 事業概要及び事業評価の資料より)

首都高中央環状品川線の道路公団民営化のメリットとは?

実は、民営化最大の成果は、SA/PAのサービス向上ではなく、ユーザーの目に見えないところにある。それがもっともわかりやすい形で示されたのが、2015年に開通した、首都高中央環状品川線(大橋JCT-大井JCT間)なのである。

首都高中央環状線(略称/C2)の構想は、1960年代から存在したが、放射線の建設が優先されたため後回しになり、東側から反時計回りに牛歩で建設が進捗。最後の最後に完成したのが品川線だ。延長は9.4kmで、そのうち8.4kmをトンネル部(山手トンネル)が占める。

大都市の地下にトンネルを建設するのは、大変な費用がかかる。C2品川線の北側に続くC2新宿線は、11.0kmの建設に1兆507億円かかった。つまり1kmあたり約1000億円。通常の高速道路(地方部)の建設単価の10倍以上だ。

ところが、同じトンネル構造にもかかわらず、C2品川線は、9.4kmを3019億円で造ることができた。単価はC2新宿線の約3分の1。設計は民営化の直前に決定したが(2004年に都市計画決定)、C2新宿線の知見を活かす形で、民営化に備えたさまざまなコストダウン策が採用されていた。いくつか具体例を挙げよう。

(その1)
C2新宿線は、山手通りを40mに拡幅した上で、その地下に2本のトンネルを掘ったため、用地費が約3000億円かかったが、C2品川線は、用地買収をせずに、幅員30mの山手通りの地下に2本のトンネルを収める設計にした。

(その2)
内回り・外回りを、それぞれ1基のシールドマンで、一気に8km掘り進めた(C2新宿線では、シールドマシンを合計5機使用)。

(その3)
途中のインターチェンジを1か所に絞り、交差する1号線・2号線とのJCTも設けなかった。

(その4)
内回り・外回りのトンネル位置を、通常とは逆の右側通行配置(本来内周り側に来るはずの内回り線を外回り側に配置)することで、トンネル左側に設置される非常口を2本のトンネルの間に設け、共有できるようにした。
唯一のインターチェンジ(五反田)も、左側から分合流する形にすることができた(C2新宿線はすべて右側分合流)。

それでも、建設開始直前の2006年の段階では、建設費は4000億円と見積もられていた。それが3019億円まで縮減されたのである。
高速道路の建設費は、当初の見積もりよりも大幅に増加する例が少なくない。C2新宿線は、当初5200億円でできるはずだったが、結局2倍以上かかっている。C2品川線が予定より大幅に安く造れたのは、民営化によって、コストダウン意識が働いたことが大きい。

まず談合が排除され、本物の競争入札となった。公団時代は、発注者側も加わっての官製談合が横行し、予定価額に対する落札額は99%強というデキレースが多かったが、C2品川線では、予定の6割強という驚くべき安値落札もあり、建設費が大幅に縮減された。
(これほどの安値落札があったのは、当時の建設業界が公共事業の減少と不況によって、仕事に困っていたという背景もある)

また公団時代は、契約通りに工事を施工させるのみだったが、民営化後の高速道路会社は、工事を受注した会社に、コストダウンに対するインセンティブ制度を設け、イノベーションを促した。システムとして脱・親方日の丸を目指したのである。

道路公団民営化後の「いい流れ」も、高速道路は実質永久有料化へ

SA/PAを除き、高速道路事業で可能な収益アップ法は、コストダウンしかない。民営化後は首都高だけでなく、他の高速道路会社でもコストダウン意識が働くようになった。

逆に公団時代は、コストダウン意識が足りなかった。なにしろ「公団」だ。ほぼお役所である。そもそもお役所は、利益を上げてはいけない。
お役所的には、「予定よりちょっと安上がり」がベストな着地で、大幅なコストダウンなど誰も求めない。建設費が多少高くても腹は傷まないから、大手ゼネコンと不適切な関係になり、官製談合もはびこる。そういった流れが、民営化で断ち切られたのである。道路四公団民営化最大の成果は、建設費や維持管理費のコストダウンだった。

道路四公団の借金は、民営化時点で合計約40兆円にまで膨らんでいたが、民営化後は順調に返済が進み、令和4年度末時点で26兆円に減少している。

民営化後に実現したコスダウンの中でも、C2品川線の例は白眉である。しかもこの開通によって、首都高都心部(C2より内側)の渋滞は約4割減少、新宿方面から羽田空港への所要時間は、開通前の平均31分から、19分(2019年)に短縮された。体感的にはそれ以上の効果があり、「まるでワープ」と表現されるが、コスト面でも、C2品川線は、ワープを実現していたということになる。

ただ近年は、難工事に加えて資材価格や人件費の高騰もあり、すべての高速道路会社で事業費が当初予定をオーバーするのが当たり前になってきている。
借金返済期限は、民営化当時は2050年だったが、その後老朽化対策の予算捻出のため2065年に延長され、昨年さらに50年間延長されて2115年となった。つまり「実質永久有料化」だ。

どんな制度も、時間とともに腐敗する。民営化直後のいい流れを維持するために、我々ユーザーは監視を続けなければならない。

(文、写真:清水草一)

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