歴史に残る革新的なBEVと日本メーカーのBEV開発の歴史を振り返る・・・BEVの真実と未来

  • トヨタ・RAV4 EV

ほんの10年前では信じられなかったことだが、今ではBEV(発電装置を持たずモーターのみを動力源とするバッテリー式電気自動車)を街で見かけることはそう珍しいことではなくなった。「先進国の中では日本のBEV化は遅れている」とは言うものの、いまや年間数万台(2023年通年で8万8535台)のBEVが日本の路上へ新たに送り出されているのだから、見かける機会も増えているのだ。

販売ボリュームの増大に従い、いまでこそ軽自動車から大型セダンやSUVまで多彩な車種が揃っているBEV。しかし、わずか10年前には世界的にみても数モデルしか選べず、極めて珍しい存在だった。

ただ、BEVの歴史は多くの人が考えているよりも長く、1830年頃には考案され模型を走らせることに成功したという記録があり、実車での走行は1881年にフランスの発明家ギュスターヴ・トルヴェによる電気自動車だ。
カール・ベンツによるガソリンエンジン車の登場は1885年であり、実はBEVの方が歴史が長いのだ。

その後はガソリンエンジンが主流となる中、戦争やオイルショックなどの社会情勢の中で時にBEVの開発が進みまた沈静化するという歴史が繰り返されていた。
今回のコラムではエポックメイキングなBEVを紹介しながら、各自動車メーカーのBEVへの取り組みをご紹介していこう。

アメリカ製人気車種「ベイカー・エレクトリック」

  • ベイカー・エレクトリック

    ベイカー・エレクトリック

1890年頃になると、欧州やアメリカでBEVが一般に向けて市販されるようになった。アメリカのベイカー・モーター・ビークル社が1899年に発売し、1915年まで長きにわたって販売された「ベイカー・エレクトリック」もその1台。
1馬力のモーターを搭載し、時速40kmでの走行が可能。1充電での航続距離は通常は100マイル(160km)程度だが、最長航続記録への挑戦もおこなわれ、なんと最長201マイル(約324km)という驚異的な記録を打ち立てたという。

1900年頃のアメリカにおいては、道を走るクルマの最大勢力は蒸気機関の40%だった。しかし電気自動車は38%と僅差でそれを追う存在。いまよりも多くのシェアを得ていたパワーユニットだったのだ。ガソリンエンジン車はずっと少なくわずか22%だったという。

1940年~50年代に1000台以上を販売した「たま電気自動車」

  • たま電気自動車

    たま電気自動車

太平洋戦争前後の日本において、石油はとても入手しづらいものだった。いっぽうで終戦後しばらくの間はエネルギー事情も異例なもの。水力発電により電力供給事情はよかったものの空襲の被害を受けて操業できない工場が多く、電気が余っていたのだ。その2つの社会問題を解決する方法として、国が音頭を取り電気自動車の生産を奨励。戦後の日本には新興電気自動車メーカーが多く誕生したのだ。

戦前の立川飛行機から派生した「東京電気自動車」(1949年に「たま電気自動車」に改名しのちの「プリンス自動車工業」)もそのひとつ。1947年から量産がはじまった「たま電気自動車」は1951年の生産終了までに1000台強が生産された。

1充電での走行距離は65kmで、最高速度は時速35km。生産終了は朝鮮戦争勃発の影響による鉛価格の高騰やガソリン供給事情の改善を背景とするものだが、同時にその後半世紀以上にわたり量産電気自動車の空白期間へと入ることとなる。
また、たま電気自動車は約60年後に後述する「三菱アイミーブ」や「日産リーフ」が発売されるまでもっとも多くの台数が生産された電気自動車となっていた。

先進技術の意欲作「日産ハイパーミニ」

  • 日産 ハイパーミニ

    日産 ハイパーミニ

2022年5月に発売した「サクラ」の前に、日産が軽自動車のBEVを発売していたことは、意外に知られていない事実かもしれない。
それが、2000年2月に発売された「ハイパーミニ」。全長2.7mと軽自動車規格よりもずっとコンパクトな、2人乗りのシティコミューターだ。専用設計された車体は軽量化のためにアルミフレームを使い、またバッテリーは当時の市販車としては極めて珍しいリチウムイオン式とするなど実験的車両とはいえ最前線をいく技術が投入されていた。販売台数は約400台。

あのテスラの最初のモデル「ロードスター」

  • テスラ ロードスター

    テスラ ロードスター

BEVの最大手として君臨するアメリカのテスラ社だが、最初のモデルが発売されたのは2008年3月。わずか16年前に過ぎないのだ。そのモデルが「ロードスター」である。
当時のテスラにはまだ車体を作るだけの技術やノウハウがなく、車体の基本設計はイギリスのスポーツカーメーカーである「ロータス」社が担当。同社の「エリーゼ」をベースとしたもので、そこでテスラのBEVメカニズムを組み込んでいる。
リチウムイオンバッテリーを組み合わせたパワートレインは最高出力292㎰で、航続距離は378kmを実現していた。

その後テスラの2車種目となる「モデルS」は、「BEVを一般的な存在にしたモデル」として電気自動車の歴史を大きく変え、「電気自動車といえばテスラ」というほどの人気と知名度をもたらした。

さらにテスラにとって5番目のモデルとして2020年に発売した「モデルY」は、「1年間に世界一売れたBEV」さらに2023年には「(ひとつのボディタイプとして)世界で最も売れたクルマ」という金字塔を打ち立てている。

世界初の大量生産EV「三菱アイミーブ」

  • 三菱自動車 アイミーブ

    三菱自動車 アイミーブ

「たま電気自動車」の終売から半世紀以上の時間が流れた2009年。電気自動車にとって新時代の幕開けを告げたのは日本の三菱自動車だった。アイミーブが発売されたのだ。
アイミーブは軽自動車の「i」をベースとした、つまりガソリン車をベースにした電気自動車。軽自動車規格というのも注目に値する部分だろう(のちに車体サイズを拡大して小型車登録となる)。
しかし、このクルマにおいて特筆すべき最大のポイントは、世界初となる大量生産の電気自動車だということ。特別な生産手法をとることなく、一般的なコンベア式の生産ラインでガソリン車と混流にて生産されたことは電気自動車の歴史においてはじめてであり、世界に先駆けてそれをおこなったことでその歴史を変えたのだ。総生産台数は約2万3000台。欧州でも販売され、また欧州の自動車メーカーである「プジョー」や「シトロエン」にもOEM供給された。

世界初となる専用ボディの量産BEV「日産リーフ」

  • 日産 リーフ

    日産 リーフ

2010年12月に発売した「リーフ」の世界初は、歴史上はじめて専用(内燃機関車と車体設計を共用しない)の車体を持つ量産BEVだということ。日産はBEVの未来に可能性を感じ、世界中のどの自動車メーカーよりも早く一般消費者への普及を目論んだのだ。
リーフはまず日本と北米で発売されたのち、欧州や中国でもリリース。初代モデルは20万台以上を販売。2017年に登場した2代目モデルまで含めると50万台以上を送り出し、「普通に乗れるBEV」というポジションを築き上げた。
初代デビュー時には200kmしかなかった1充電における航続距離は、最新モデルでは400km(JC08モード)まで伸びている。

RAV4は2種類のBEVが国内とアメリカで発売

  • トヨタ RAV4 L EV

    トヨタ RAV4 L EV

メジャーな―自動車メーカーは量産モデルのEVを発売するよりも前から少量生産のモデルを開発し、限定的に販売していた。
そうした中、トヨタが1996年に発売したのは世界初となるニッケル水素電池を採用した「RAV4 L EV」だ。一般電源からの充電が可能であったり回生ブレーキも採用されるなど、一充電あたり200km以上走行できるBEVとして日本とアメリカで1000台以上が生産された。

  • トヨタ RAV4 EV

    トヨタ RAV4 EV

また、2012年にはアメリカ・カリフォルニア州で「RAV4 EV」が発売された。
このRAV4 EVの革新的なポイントは、テスラ社のEVシステムを搭載していたこと。当時、トヨタとテスラは電気自動車に関する開発や生産で業務提携を結び、それが形になったのがこのRAV4 EVなのだ。

日本の自動車メーカーも昔からBEVを開発していた

本格的な量産電気自動車が道を走り始めたのは2010年頃になってからだが、実は1990年代から各自動車メーカーは電気自動車を本格的に研究し始めていた。トヨタや日産そしてホンダなどは少量生産の電気自動車を実験的に販売。電池性能が求められる水準に届いていなかったこともあり普及には程遠い状況ではあったが、まさに電気自動車普及の夜明け前といっていいだろう。

また、さらに時代をさかのぼると欧米においては1900年前後、日本では1950年頃にはそれなりの数の電気自動車が道を走っていたものの、様々な理由でエンジン車にリードを許した歴史もある。そんな背景を知っていると、昨今の電気自動車市場の拡大が実に感慨深く感じられることだろう。

そうした各自動車メーカーの過去のBEVの開発について少しご紹介しよう。

■トヨタ

1992年に電力会社や地方自治体で使用できるBEVとして「タウンエース バン EV」を開発し、3年間で約90台を販売している。
BEVではないが、トヨタは1960年代後半までハイブリッド車を開発し、実際にガスタービンハイブリッド仕様のスポーツ800が試作されていた。

■日産

日産は1970年の東京モーターショーでBEVのコンセプトカーを発表してからも、さまざまなタイプの電気自動車のプロトタイプを開発している。

1996年には、1991年に初めて商品化されたリチウムイオン電池を世界で初めて搭載したプレーリージョイEVを開発、1997年に各種企業・団体などの法人向けに30台をリース販売した。
一充電当たりの航続距離は200km以上だったプレーリージョイEVは、2000年から国立極地研究所北極観測センターの支援車として6年間故障することなく活躍している。

また日産は、1991年にはプレジデントをオープンボディ化した「プレジデントEV」や、1994年には日産と九州電力の共同プロジェクトで「アベニールEV」なども開発している。

さらに2005年の東京モーターショーに出展した「ピボ(Pivo)」は記憶に残っている方も多いだろう。

■ホンダ

ホンダは1980年代からBEVの開発を進め、1997年にはニッケル水素バッテリーを搭載し専用設計された車体による本格的なEV「Honda EV Plus」を発表している。
また2012年にはフィットEVを日本とアメリカでリース販売も行った。

  • ホンダ Honda EV Plus

    ホンダ Honda EV Plus

■SUBARU

SUBARUが初めて発売した電気自動車は、1995年登場の「サンバー EV」。電動モーターと5速MTを組み合わせたパワートレーンで時速40km/hで150kmの走行が可能だった。

  • SUBARU サンバーEV

    SUBARU サンバーEV

■マツダ

マツダは1970年に「ファミリアバン電気自動車」を開発するなどその歴史は古く、1993年には電力会社と共同で「ロードスターEV」も開発している。
2012年にはリチウムイオンバッテリーを搭載し200kmの航続距離となる「デミオEV」をリース販売している。

  • マツダ デミオEV

    マツダ デミオEV

■三菱自動車

1966年から研究を開始している三菱自動車は、1970年代には『ミニカEV』や『ミニキャブEV』を開発、1993年には鉛バッテリーながら100%BEVの『リベロEV』を官公庁や法人向けに販売している。
1995年には、リチウムイオン電池を搭載したプラグインハイブリッド車『三菱HEV』を開発。航続距離は60マイル(約96km)に達したという。

■スズキ

スズキは1970年開催の「日本万国博覧会(大阪万博)」で使用するために「キャリイバン(L40V)万博電気自動車」を開発。
1992年には、「アルト電気自動車」「エブリイ電気自動車」を発売している。

■ダイハツ

1965年に電気自動車の研究に着手したダイハツは、「日本万国博覧会(大阪万博)」には275台もの電気自動車を納入している。
1973年にハイゼットバンEV、翌年には15人乗りのEVマイクロバスも開発している。
1992年には電気自動車事業部の設立とEV専用工場の稼働を開始するなど、古くからBEVの開発には力を入れている。

(文:工藤貴宏 編集:GAZOO編集部 写真:トヨタ自動車、日産自動車、本田技研工業、三菱自動車、SUBARU、マツダ、Tesla)

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